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秘密は墓場まで

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 潔癖症において、大人になると、嫌でも。マスクをして表に出ないといけなくなったり、どこかに出入りする時は必ず。アルコール消毒をしなければいけない時代が来るなど、まったく想像もしていなかった時代だったので、今のように、
「潔癖症が潔癖症ではなくなった時代」
 ともなれば、潔癖症は希少価値だっただけに、今の人たちっからは、想像もできないものだったに違いない。
 あの当時も潔癖症な人間に対して、それ以外の人は、逆にバイキンでも見るような感覚だったに違いない。
 亡くなった母親も、どちらかというと、潔癖症なところがあった。それに比べると、父親は、潔癖なところは一切なかったのだが、実際はそれが普通のことで、自分や母親が、
「大げさすぎる」
 ということを、つぐみは分かっていなかったのだ。
 それだけに、家だけではなく、表にいる時も、どうしても、優先順位は潔癖なところが、一番となり、ちょっとでも、
「汚い」
 と感じると、どんなにいい人だと思った相手だったとしても、誰でも気にしないことを気にするようになり、下手をすると許せないと感じてしまうことになるだろう。
 だから、自分では、
「彼氏がほしい」
 と思うのに、一歩も二歩も進むことができないのだ。
 何と言っても、思春期の男の子たちへのイメージは、
「目がギラギラしていて、顔には、ニキビというか、気持ち悪い吹き出物のようなものが溢れていて、いつも、ギトギトしているという雰囲気があり、近くに寄るだけで、拒絶反応を起こし、吐き気を催してくるような気がしてくる」
 と感じるほどだった。
 そんな相手を誰が好きになるというものか。
 いや、実際に好きになりかかった人もいた。いくら、潔癖症でも、すべての同年代の男の子を毛嫌いするわけにもいかず、次第に少しずつ妥協するようになってくると、それまでまったく見ようと思わなかった男の子であっても、幾分かマシに見えてくる。
 そんな中で、
「こんなに爽やかな男子がいたなんて、気づかなかったな」
 と思える人がいた。
「潔癖の対象にするなら、彼は典型的な見本になるような男性だ」
 と感じるほどだった。
 ニキビもあまりなく、顔のどこにも、ドギドギとしたものはなく、目が血走っているわけでもなかった。
「爽やかというのは、彼のような男性のことをいうんだわ」
 と感じたのだ。
 そんな彼は、よく言えば、天真爛漫だったが、八方美人なところがあり、下手をすれば、浮気性にも見えた。
 だが、それは思い込みであり、自分の潔癖症がそんなイメージを植え付けたのかも知れない。
 一度相手を信じられないと思うと、自分の中で相手を過大評価してしまい、せっかく、爽やかだと思っていたことが、どんどん自分の理想と比較するようになり、その理想の発展に、彼への思いがついて行かないようになっていった。
 そして、せっかく好きになれるかも知れないと思った相手を、
「やっぱり無理だわ」
 と考えるようになるだろう。
 そこまでには、かなりのことを考えたはずなので、だいぶ時間が掛かったかのように思えるのだが、実際にはあっという間であった。
 自分では、一か月くらいかかっているつもりだったが、実際には一週間ほどでそんな気分になるのだった。
 それは、自分の中で我に返る瞬間があって、その時に、本当に我に返ってしまうと、立ち止まって考えることになるのだろう。
 ただ、そっちの方が当たり前のことであり、もし、立ち止まることができなかったとすれば、その時は、もう二度と彼のことを頭から離すことができないような気がしたのだ。
 それは、何か事件があって、彼のことを毛嫌いすることが起こったとしても、その時は、毛嫌いしたままその思いが消えることはなくなるに違いない。
「だから潔癖症なのかしらね?」
 と考えた。
 自分が何に対して潔癖なのか、自分でもよく分かっていないが、よほどの外圧のようなものがなければ、この潔癖症がなくなることはないと思うのだった。
 だから、父に対しても、その思いは極端に強かった。
 父親を男として見るなどということはなかったので、父親の方としても、
「思春期にありがちな、父親を避けるような態度だ」
 と思っていたのだろう。
 父親の方が、娘を避けるようになった。
 どうしても、微妙な思春期の心情を思いやると、下手に近づいてやけどなどしようものなら、とんでもないことになると父親が思っているのだと、つぐみは感じていた。
 だが、実際はそうではなかった。
 その時、父親は不倫をしていたのだ。
 相手は会社の同僚で、すでに結婚している相手なので、不倫ということになるのだった。その人は、どうやら父親が結婚前から、気になっている女性だったようで、何と、まだ母親が存命中からの付き合いだったようだ。
 母親を愛していなかったわけではない。むしろ、
「不倫をすることで、女房の良さも分かるのだ」
 という、随分勝手な意識を持っていた。
 母親が死ぬ前は、不倫相手はまだ独身だったので、今は立場が逆転した形の不倫になっていた。
 お互いに、
「W不倫だ」
 と言われるであろう時期は、それほど長くはなかった。
 母親が死んだ後くらい、不倫をやめればよかったのだろうが、父親としては、寂しさを拭い去ることができず、どうしても、不倫相手に、
「癒し」
 を求めたのだった。
「彼女と一緒にいれば、嫌なことは忘れられる」
 という思いと、
「どうせ、存命中もしていた不倫だ。いまさらやめたって、結果は同じことだ」
 という開き直りもあった。
 いや、余計に頑なになっていったといってもいい。倫理やモラルというのは、本来は世間が決めるものなのだろうが、父親は、
「自分に正直に生きることが倫理であり、モラルなんだ」
 と勝手に思い込んでいた。
 実際に、不倫はそれからも続いていて、寂しさはだいぶ和らいだが、彼女が醸し出している、
「癒し」
 から逃れることはできないでいたのだ。
 彼女の方が、父親に何を求めていたというのか、それは、
「似て非なる者」
 といってもいいだろう。
 彼女は、旦那との間に倦怠期を感じていた。
 これはむしろ、どの夫婦にでもあることで、長年一緒にいると、ふと他の異性が気になってしまうのではないだろうか?
 ひょっとすると、その時、
「第二の青春」
 を思い浮かべているのかも知れない。
 自分の中に沸き上がる血潮のようなものが感じられ、それが、異性への異常な感情を膨れ上がらせるものだといえるだろう。
 そこに、癒しといえるものがあるのだろうか?
 いや、ないということはありえない。要するに、その癒しを癒しとして感じることができるかということだ。
 癒しを癒しとして感じることができなくなると、それは、感覚がマヒしてきているからであろう。
 ただ、感覚がマヒしてきているということは、自分が飽和状態にいることに他ならない。あまりにも自然となってしまって、善悪の判断ができなくなってしまうというような話も聞くが、それと同じようなものではないだろうか?
作品名:秘密は墓場まで 作家名:森本晃次