秘密は墓場まで
それは、あまりいい傾向とはいえない。特にこんな仕事をしている以上、仕事とプライベートに関しては、しっかりと線引きをしておかなければいけないと思うからだった。
明美は、何とか自分を制して、相手にそれ以上聞くことはしなかったが、相手がどういうつもりでこの話を明美にしたのかということくらいは、知りたい気もしたのであった。
その客が、明美に恐ろしいことを言ってきた。
「まりなさん、いや、明美さんといえばいいのかな?」
というではないか、
「この人は私のプライベートなことを知っているんだ」
と思うと恐ろしくなった。
しかも、この話し方は、身バレどころの話ではない。
「俺は、お前のことを何でも知っているから、お前は俺から逃げることはできないんだ」
といっているのと同じである。
しかも、何がいいたいのか、その顔は、完全に、
「カエルを睨んだヘビ」
と思わたのだ。
もちろん、カエルというのは、明美のことである。
「どうして私の名前を知っているんですか?」
と聞くと、
「私はね。困っている人がいると、鼻が利くんだよ。困っている人を助けてあげようと思っているので、よかったら、話を聞いてもらえないだろうか?」
ということだった。
「一体、私の何が困っているというんですか?」
と聞くと、
「つむぎさん、かなりお金をお使いになっておられるようですね? この商売も、そのためなんでしょう?」
と図星を言われると、さすがに背筋が凍る思いがした。
きっと、顔色は真面目な話、土色だったに違いない。
「どうして、それを?」
というと。
「だから言っているじゃないですか。お困りの人がいると私には分かるんだってね。そして私はその手助けをすることが自分に与えられた任務だと思っているんですよ」
「何を言っているのか、さっぱり分からない。私を脅迫しようというんですか?」
というと、男は、手を横に広げて、
「やれやれ」
とばかりに、首を振った。
「だから、そうじゃなくって、お助けしたいといっているんですよ。あなたは、今のままだと、浪費癖の娘から逃れることはできない。そして、旦那に本当はバレたくないと思っているようですが、もうすでにそれは無理だった。娘が借金をしていることをあなたが知っているわけだけら、旦那が知らないわけはないでしょう?」
と、実際に、今自分が八方ふさがりになっていることを指摘されてしまい、いまさらながら、どうしようもない状態になっていることに気づいたのだった。
「でも、そんな私のプライバシーまであなたが知っているというのは、どういうことなんです? あなたは、娘が旦那の知り合いなんですか?」
と聞くと、
「いいえ、どちらとも、面識がありません。もっとも、面識があったら、あなたにこんな話は持ってきませんよ」
というではないか。
「私は、正直、今は自分のこと、つまり、自分が家族に対してのことで精いっぱいなので、まわりをまったく見ることができないんですが、あなたには、全体が見えているとでもいうんですか?」
と、いうと、
「ええ、全体だけではなく、あなたのことは、その気持ちの奥まで分かっているつもりです」
と言われて、またしても、ゾッとするのだった。
これは、ストーカーよりも恐ろしい。なぜなら、こちらの弱みを握って、身体中を逃げられないように、雁字搦めにして縛っているのだから、どうしようもないと感じるのだ。
「あなたに、私の何が分かるというんですか?」
と、ヒステリックではあるが、内心、びくびくである。
「私は、正直、あなたの気持ちは分かっていないのかも知れないが、どうしたいと思うのかがわかるんですよ。たぶん、あなたは。それを考えるのが怖いという思いから、思い切ることを躊躇っている。だから、自分では考えがまとまらないと思っているんでしょうが、あなたには、ある程度まで腹は決まっていて、背中を押してほしいだけではないかと思うんです」
というではないか。
「腹が決まっている?」
と言われ、またしても挑戦的にいうと、
「ええ、分かっているつもりですよ。今のあなたのその挑戦的な態度を見ているだけで、心の中が透けて見えるようなくらいだ。あなたは、恐ろしいことを思っている」
というと、さすがに心当たりがあるため、ぐうの音も出ないというのは、まさにこのことであろう。
確かに、今のままでは、家族は離散してしまう。娘の借金が嵩めば、旦那も黙ってはいないだろう。当然離婚を言い出して、こうなった責任をすべて、妻に押し付けて、自分は、
「まったく知らなかった」
ということを盾に、借金問題から逃れるつもりではないだろうか?
「実は、あんたの旦那は、一人の女の子を金で買ったことがあるんだよ。それをちょっと、私は知ったことで、今回のことを考えたんだけどね?」
というではないか?
「一体何をしようというんですか?」
と明美がいうと、
「いえね。皆さんそれぞれに事情があって、死んでもらえば楽になる人がいるんですよ。その仲介を私がしようかと思ってですね」
という恐ろしくも、本当であれば、聞きたくもないセリフをよくもぬけぬけといってのけると思い聞いていたのだ。
「じゃあ、私は娘に死んでほしいと思っているとでも?」
というと、
「ええ、自分では打ち消しているつもりなんでしょうが、心の奥ではそう思っているはずですよ? そうでもしないと、あなたの人生は、ここで終わってしまうでしょうからね」
と言われ、背筋に一筋の汗が滲んでくるのだった。
いい返せないでいると、
「どうやら、図星のようですね。それなら話も早いというものだ。あなたは、たぶん、心の中で、自分で殺すのは忍びない。捕まりたくもないし、自分で手を下すということに対して、どうしても、自分を納得させられない。でも、このままだと、自分の身の破滅は分かり切ったこと。娘のために、自分の人生を棒に振っていいものかって思っていますよね?」
というのを聞いて、思わずうなずいてしまった。
それを見た男は実に嬉しそうに、
「だから、あなたに手を貸そうというんです。あなたが自ら手を下すことなく、娘がこの世から消えてくれればいいわけですよね?」
と言われ、
「あなたが、娘を殺すとでもいうんですか?」
と聞くと、
「そんなことはしませんよ。ここのこうやって、私はあなたとの接点がある以上、私があなたの娘を殺すには、すでにリスクがあるわけです。私とあなたの関係など、警察がその気になって調べれば分かりますからね。そもそも、私がここであなたに目をつけるわけだから、警察のような専門家には、あなたと関係のある人は一人も逃しませんよ」
というではないか。
「だったら、殺すなんて不可能じゃないですか? 事故にでも見せかけるとでもいうんですか?」
と聞くと、
「そんな運のようなことはしませんよ。本当に殺すつもりなら、絶対に殺してしまわないといけませんからね。殺し損ねると、2度目はないから、一度目の失敗をずっと引きずって生きていくことになるんです。できますか?」
と言われて、首を振った。