小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

秘密は墓場まで

INDEX|17ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

 とでもいえばいいのか、子供がグレるには、ちょうどいいのかも知れない。
 娘のつむぎは、中学から、中高一貫教育の女子高だった。いわゆる、
「お嬢様学校」
 といってもいいだろうか。
 母親も、娘がそんなお嬢様学校に行くということで、正直鼻高々というところであった。
 何しろ、旦那は出世街道には載っていないと言いながらも、世界を飛び回っていて、人並み以上の生活ができて、いわゆる、
「セレブ」
 といってもいいくらいの生活をしていることで、近所の奥さんとも、
「午後の奥様」
 ができるくらいになっていた。
 しかも、旦那がいないのだから、少々は目を外してもいいだろう。母親はうまくやっているせいか、不倫をしていても、まわりにバレることはなかった。
 ただ、これは、娘にも遺伝していて、母親は娘が友達とうまくやっていると思っていたが、実際には、スケ番連中から目をつけられて、脅されながら、いわゆる、体のいい、
「お財布扱い」
 されているというわけだ。
 そのせいで、金遣いが一気に荒くなってしまった。母親が気づいた時には、もう時すでに遅しというわけで、いろいろなところから借金をしていた。
 それでも、父親が近くにいないことをいいことに、今まで貯めておいたへそくりが役には立ったが、一度完済しても、次々に借金ができてしまう。
 堂々巡りを繰り返していれば、すぐにうまく回らなくなる。最初はうまくごまかせたが、次第にそうもいかなくなり、母親も、呑気に、
「午後の奥様」
 など演じていられなくなった。
 そういう意味で、不倫相手とは縁が切れることになるのだが、今度は、お金を稼がなければいけなくなり、風俗で働くことを余儀なくされてしまった。
「最近は、人妻の風俗というのも多いからな」
 と、果てしなく増えているデリヘル業界であったが、店舗型の、
「箱ヘル」
 などと違って、主婦層がウケる時代ということもあり、デリヘルというと、人妻系が結構あったりする。
 特に、デリヘルというと、その店のネーミングで印象を受けるのだ。何しろ、店に赴いて、実際にパネルを見て、というわけでもなく、何と言っても、立地には関係なく、似たような店がたくさん、蠢いているのだ。どこを選んでいいのかというのは、ネーミングのユニークさであったり、インパクトなのではないだろうか?
 しかも、デリヘルというと、本当に人妻である必要もない。若奥様を希望する客もいれば、熟女を希望する客もいる。
 店によっては、
「熟女専科」
 といっているところもあれば、
「若妻専科」
 というところもあるが、オールマイティに、どちらもという店も少なくはない。
 最近は、店舗型の店も、デリヘルに押されているせいか、同じように、
「コンセプト」
 をしっかりさせている店もある。
「学園、コスプレ専門」
 であったり、
「恋愛シミュレーション」
 などのように、設定を細かくするような、客が望む店を演出するようなところも増えてきている。
 要するに、風俗というのは、昔のように、ただ、
「抜くだけ」
 というところではなくなったということである。
 競合店が増えれば、店の独自性を出さないと生きていけないというのは、どの業界も同じだろう。特に、風俗業界などは、客側からしても、何かがなければ、
「今度は他の店に行ってみよう」
 と、選ぶ方はよりどりみどりなのだ。
 それだけ、店舗も勤務する女の子も増えてきているということであろう。
 特に最近では、女の子も多岐にわたる。昭和の頃というと、
「親の借金が……」
 などというのが多かった。
「知り合いのために保証人になってあげたら、その知り合いが夜逃げした」
 などという話はよく聞いたものだ。
 だから、自分がした借金でもないのに、背負わされる女の子が可哀そうで、風俗の女性は、とにかく。
「可哀そうな女の子」
 というイメージが多かった。
 それが、次第に同じ借金でも、
「自分の借金」
 というパターンが増えてきたのではないだろうか?
 例えば、仕事を持っている女性や、あるいは、専業主婦などが、それぞれにストレスを抱える時代になってくると、その解消法として、どうしても、お金がかかることに手を出してしまうことが多くなる。浪費癖がある人は、
「依存症」
 という言葉が付くものが多くなってくる。
「買い物依存症」、
「薬物依存症」
「ギャンブル依存症」
 などが、そうではないだろうか?
 買い物などは、昔のように現金ではなく、クレジットを使うので、お金を使っているという感覚がどうしても薄れてくる。
 薬物もギャンブルも、
「怖いものだ」
 という意識があって、嵌ってはいけないという意識があるはずなのに、どうしても嵌ってしまうのは、ストレスに負けてしまうというよりも、感覚がマヒしてしまうというのが、多いからではないだろうか?
 実際には、薬物にも、ギャンブルにも、最初から出会わなければ、嵌ることはないのだ。危ないと分かってもいるはずなのに、どうして手を出すのかというと、やはり感覚がマヒしてしまっているからだという認識でないと、納得できない。
 セックスや、女に溺れるというのは、身体が興奮状態から我慢できないということで手を出してしまうのだろう。確かに、薬物もギャンブルも、常習性があるものであり、そういう意味では、
「忘れられない」
 という思いが、感覚をマヒさせるのではないだろうか?
 薬物も、ギャンブルも、初めてしまうと、理性が利かなくなる。なぜ利かなくなるのかというと、興奮状態が慢性化してくると、感覚がマヒしてきて、
「それがないと、生きていけない」
 というほど、我慢ができなくなるものではないだろうか?
 その我慢できなくなるという状態が、
「禁断症状」
 として、麻薬などの場合は、
「中毒状態」
 というものを引き起こしてしまうのだろう。
 そんな状態を放っておくと、ただ、我慢ができないというだけではなく、苦しさから、精神が蝕まれていき、幻覚状態を引き起こしたり、
「まわりが皆敵だらけ」
 に見えてしまったりするというものだ。
 これは、
「自分の近しい人が、悪の結社、組織の力で、身代わりと入れ替わっているのではないか?」
 という精神疾患である、いわゆる、
「カプグラ症候群」
 というものを引き起こしたりするものであろう。
 だが、そんな状態を引き起こすのは、ストレスなのだ。
「たかがストレス」
 などと思ってはいけない。
 病気だって、
「たかが風邪だ」
 と言われていても、
「風邪は万病の元」
 というように、すべての病気は風邪から始まるというように、ストレスも、すべてがそこから始まるといっても過言ではない。
 しかも、問題は、
「依存症というのは、継続性があり、なかなか簡単に辞めることはできない」
 ということである。
作品名:秘密は墓場まで 作家名:森本晃次