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摂関主義宗教団体

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 なかなか就活がうまく行かないのは、なかなか通常の面接では、面接官の意図にかなうような対応ができていなかったのだろう。
 だが、これも、梶原の個性だと思うと、本人は仕方のないことだと思い、
「俺は、面接に向いていないのかな?」
 とも感じる。
 と言っても、そんなことは最初から分かっていたことで、自分の意見を押し通すことが自分の生きる道だと思っているので、忖度や、他の人と同じように合わせるということが性格的にできない人間だったのだ。
 結局、就活もなかなかうまくいかず、就活では、ほとんど全滅だった。大学卒業はできたが、正社員で雇ってもらうこともできず、アルバイトで食いつなぎながら、何とか、正社員の道を探っていくしかないというところであった。
 今の就職難の時代、似たような人は結構いる。
「その中の一人だ」
 と言えば、それまでのことなのだが、本当にそうだろうか?
 だが、諦めが早い方なので、実際にアルバイトをしていると、
「もう、正社員なんかで働く必要もないのかな?」
 とも思うようになってきた。
 どうせ、正社員になったって、こき使われるだけで、会社の犠牲にされてしまってはたまったものではない。
「社員は消耗品」
 と思っているような会社も多いし、実際に、会社のために働きすぎて、身体を壊したり、精神を病んでしまう人もいた。
 特に精神が病んでしまった人は悲惨だった。休職扱いにされたならまだマシで、簡単に首を切るなど、当然のことだ。休職扱いから今度復帰しても、また同じように精神が病んでしまう。会社がストレスが溜まる仕事しかさせずに、結局、自分から辞めるように誘導するというようなブラック企業も少なくないという。
「何のための仕事なんだ?」
 と思う。
 梶原は、別に自分がどんな仕事をしたいのかというのはなかった。だから、会社から余計に使われているという思いしか抱けないのかも知れないが、結局仕事なんて、会社の中では、個人というのは、ただの消耗品でしかないのだろう。
 それを思うと、もっとリアルなことばかり考えてしまう。
 会社の入って出世したとしても、途中の管理職というのは、実に惨めなもので、上のいうことは聞かなければいけないし、下からは、上の文句を聞かされる役でストレスが溜まる。
 それどころか、トラブルの板挟みになって、自分が悪いわけでもないのに、平謝りの役ばかり。
「中間管理職なんて、クレーマーに対しての謝罪役でしかないよな」
 と言われるくらいだ。
 実際になっていない、一般社員でもそう思うのだろうから、実際になると、そのストレスは計り知れない。それこそ、
「精神が病んでしまう」
 ということになるだろう。
 定年まで勤めあげたとしても、うまく行っても、部長代理クラスで終わるのが関の山。もし、自分が、一般的な家庭を築いたとすればどうなるか? それを仕事と重ね合わせると、さらに悲惨さが分かってくる。
 結婚は、30代、まあ、前半くらいだろうか? 相手は、ちょっと年下で、高齢出産にならないように子供が生まれるとすれば、結婚2年目までには一人が生まれ、年子くらいでもう一人が生まれることになるだろう。
 となると、40歳になった頃には、子供が小学生低学年くらいか? 係長クラスで、本来ならバリバリに仕事をしている年齢だろうが、押しつぶされていないとも限らない。
 子供たちに学費もかかるし、女房は子育てと一緒に、共稼ぎということになる。
 もし、女房ばかりに押し付けてしまうと、女房が潰れてしまうだろう。かと言って、梶原に何ができるというのか? 会社では中間管理職という気の抜けない仕事をしているのに、自分にできるだろうか?
 反抗期を迎えた子供たちと向き合う時は、家長くらいになっているだろうか? 一番中間管理職できついところだ。
 残業手当が出るわけでもないのに、仕事が山積み。会社からは数字を求められる。考えただけで恐ろしい。
 子供が一人前になって、成人する頃には、どうなっているだろう? 梶原の想像では、奥さんから、熟年離婚を言われそうな気がしていた。
 ただ、その頃には、
「それでもいいか?」
 と思っていることだろう。
 そのうちに定年になる。
 と言っても、今でも年金は65歳から、自分が定年を迎える頃は、果たして年金なんてあるのだろうか?
 十数年前に、
「消えた年金問題」
 を引き起こしたあの政府が、どんどん、定年を引き上げていって、さらには、年金をやらないような露骨な政策を打ち立てている。
「働き方改革」
 などという適当な政策を、うまい表現でごまかそうとしているが、考えてみれば、実にバカな政策ではないか。
 本当であれば、本当に改革をしないといけない業種や会社をピンポイントに、しかも早急に対策を打たなければいけないのに、実際にやっていることは、
「できるところから、無難に当たり障りなく対応している」
 というだけではないか。
 ある意味、どうでもいいことを一生懸命にやって、やらなければいけないことを棚上げにしている。
 どういうことかというと、
「やってますアピール」
 を国民にして、自分たちの立場を安泰にしたいだけのことであった。
 政府というのは、しょせん、
「選挙に勝てれば、それでいいのだ」
 ということである。
 選挙で上げた公約を、やってますアピールをすることによって、適度な成功を収めたというような内容を数字として残すことさえできればそれでいいのだ。
「政治は予算だ」
 と言われているが、
 国会で争われるのは、その予算配分ではないか。
 もちろん、政策を実行するには、予算がなければ、何もできないのは、小学生にだって分かることだが、それがあまりにも露骨なのが政府だ。
 何も知らない子供が大人になって、そんな政府のやり方を見て
「これが世間では一般的な正しいやり方なんだ。何と言っても、政府がやってえいるのだから」
 などと言って、世の中の民間会社が皆あんなことをやり出せば、すべてが終わりだ。
 何と言っても、民間会社のほとんどは、営利企業である。
「金儲けが正義であり、利益を上げることができない企業は、悪なのだ」
 というのが、社会では一般常識になっていて、実際に法律もその理念からできている。
 そんな世の中を生きていくかということが問題になってくるのだが、さすがに大学生ともなると、いろいろな人間がいることで、社会に対しての不満を持っている人がたくさんいる。
 ただ、これは、
「まだたくさんいた頃」
 とも言い換えられるだろう。
 大人になるにつれて、その考えは次第に消えていくのだ。
「長いものには巻かれロ」
 という言葉があるではないか。
 似た言葉として、
「朱に交われば赤くなる」
 というものがあるが、前者は自発的で、後者は、やむを得ない場合ではないだろうか?
 考えが消えていくのは、どっちの理由が多いのか、正直分からない。しかし、訳も分からずに消えていくというのは、本当に染まってしまうということであり、流されてしまう自分に嫌悪も感じていないのではないかと思うと、これほど気持ちの悪い感覚になることはないだろう。
作品名:摂関主義宗教団体 作家名:森本晃次