小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

摂関主義宗教団体

INDEX|23ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

 大きな化学工場であったが、明らかに教団の工場であった。そこで、国家転覆に近いことを、自己保身のためだけに行った団体、もう四半世紀も経っていて、梶原も生まれる前のことであったが、その話は、東北の震災とともに、衝撃的なことであった。
 そういえば、時代も、関西で起こった大震災と同じくらいの時期ではなかったか? そういう意味では、日本では、自然、人間が起こすこと、それぞれに、
「それこそ、世紀末を予感させる出来事だった」
 といってもいいのではないだろうか?
 そんな時代の話をもう少し真剣に見ていれば、もう少し違ったかも知れない。
「こんな教団に入ろうなどと思わなかっただろうな?」
 と感じたが、一度溺れてしまうと、身体がいうことを聞いてくれないのだ。
 女の肌は憶えてしまうと、なかなか頭から離れてくれない。
 それは、
「頭では理解して分かっているのに、その頭はいうことを聞いてくれない」
 という、矛盾したジレンマが、襲い掛かってくるのだ。
 ただ、
「自分はもう少し、理性があると思っていたが、どうしたことなんだ?」
 と考えていると、どうも最初の頃に教祖になるための修行と称して、その修行も大したことはなかったので、その時に悟るべきだったのだろうが、引きこもった部屋で、お香のようなものが焚かれていたのを思い出した。
 以前、アロマ効果ということで、リラクゼーションに行った時に嗅いだ匂いによく似ていた。
 頭がボーっとしてきて、神経がマヒしてくるのか、指先が痺れてもいないのに、感覚がなくなり、
「痛さも快感に変わるのではないか?」
 と思えるほどの感覚だったのを思い出していた。
 あのお香はまさしく、あの時のお香を彷彿させるもので、身体から、どんどん汗が噴き出してくる。
「何かを欲している身体になってきた」
 と、思うのだが、その何かが分からない。
 そう思っているうちに、修行は終わり、
「教祖としての開眼でございます」
 と、改まった儀式を霊験あらたかに、そしておごそかに、
「儀式」
 は行われたのだ。
 それなのに……。
「ここからは、教祖様の今まで抑えてきた欲望が放たれる時がやってきたのです」
 といって、女やごちそうを嫌というほど与えてくれる。
 しかし、今までであれば、飽和状態、つまり限界がすぐに来ていて、後ろめたさが出てくるから、そんなものは受け入れられないはずなのに、今は貪欲に身体がすべてを求めてしまう。
「我々の団体は、別に本能を抑えるような宗派ではございません。どちらかというと、欲望を爆発させて、そこから得られるものを、真実だとして捉えるようにしております」
 と倉橋は言った。
「じゃあ、皆。このような修行を経ているのかい?」
 と聞くと、
「ここまで徹底はしていませんが、我々もみそぎのようなものは受けております」
 というのだった。
「どういうものなんだい?」
 と聞くと、
「我々の団体は、個性を伸ばすということを中心に考えているんですよ。だから、無理に欲求を抑えるようなことはしない。抑えたって、いずれどこかで爆発して、うまく行かなくなるのは必定ですからね。それだったら、せっかくそういう力があるんだから、その力を使わない手はないということなんですよ」
 と言われ、
「でも、そうやって皆が、自分が自分がというようになると、統制が取れなくなるんじゃないのかな?」
 というと、
「それはあるかも知れません。だけど、すべてにおいてうまく行くなんてことありっこないんですよ。今の民主主義だって、平等だ、自由だとか言いながら、結局、勝者がいて敗者がいる。強者がいて、弱者がいる。敗者や弱者はどうなるんですか? 貧富の差の激しさだって、民主主義じゃないですか、特に民主主義は多数決でしょう? 51対49でも、49の負けなんですよ。少数派はどうなるんです? 昔、特撮やアニメなんかでよく言われていたじゃないですか、人間一人の命は、地球よりも重いとか言ってですね。あれだって、結局詭弁じゃないですか。しょせんは、民主主義といっても、数でものを言わせる世界でしかないんですよね。それを思うと、少々のマイナス面など、民主主義の穴に比べれば可愛いものですよ」
 と、力説していた。
「なるほど、その意見には、僕は大賛成ですね。特に歴史を勉強していれば、よく分かる。時の権力者というのは、結構力を持つと、その力を維持しようとして、どんどん卑怯な真似をして、言いがかりをつけて、相手を亡ぼすなんて、当たり前のようにしていたじゃないですか。蘇我氏あたりから始まって、北条氏などひどいもの。家康の豊臣家を滅ぼした話など、まだかわいい方だと思うくらいですよ。秀吉の、秀次事件や、千利休の切腹など、本当にひどいものだった」
 と、梶原は言った。
「そういうことを考えれば、我々が個人の能力を生かすために、他の人が少々犠牲になるのは、僕は仕方がないと思っています。犠牲になりたくなかったら、自分も個性で対抗すればいいんですよ。そんなことも考えずに、ただ、個性を生かして登ってきた相手を杭で打つような真似をすることの方が、よほど理不尽に見えてくるのは、この僕だけなんでしょうかね?」
 と、倉橋がいうと、
「その通りだよ。民主主義というのは、自由競争だと言いながら、負けた方に同情的になる。それも、判官びいきと言われることになるんでしょうね。ただ、まだまだ歴史上では、勝者にどうしても目が向いてしまう。判官びいきなどというのは、義経のように、歴史的にも大天才と呼ばれる男が、兄のやっかみから滅ぼされるなどというエピソードがあり、さらに、絶世の美少年などという、どこから出てきたのか分からないウワサが飛び交うことで、悲劇のヒーローに仕立て上げてしまうんでしょうね。それは、新選組の沖田総司しかりではないだろうか?」
 というと、
「確かにそうだ。新選組もどちらかというと、悲劇のヒーローですよね。ただ、あの団体は、鬼の法度なるものがあって、それに従わないと、必ず切腹という掟があるから、余計に悲劇なんでしょうね。しかも、すたれていく武家制度の最期のロウソクの燃え尽きるまでのようなイメージも一緒にあるからなのか、それが、歴史に与えるイメージは果てしないもので、歴史というものが、どれほど残酷なものかということも教えてくれる」
 と、倉橋が言った。
「義経も、肖像画を見ると、どこが美青年なのかと思うような雰囲気だし、沖田総司も写真や絵も残っていないので、それほどでもないと言われている。きっと、話継がれていくうちに、話に尾ひれが勝手についていったのではないなか?」
 というと、
「そうなんでしょうね。歴史というのは本当に面白い。要するに主義主張によって、何が正義で、何が悪なのか、分かったものではないというものなんじゃないでしょうか?」
 と倉橋は言った。
「ということは、自分が信じるものが正義だと考えればいいのかな?」
 と梶原がいうと、
作品名:摂関主義宗教団体 作家名:森本晃次