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摂関主義宗教団体

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 目の前にカーテンがあって、その向こうに女の子がいるということであるが、この瞬間がいつになくドキドキし、興奮の有頂天になっているといってもいいだろう。
「初めてなんです」
 といっていたので、それを考慮して、おじさんが落ち着いた感じの女性をあてがってくれたのだろう。
 パネル写真は、モザイクが入っていたりしてハッキリと顔が分からなかったが、実際に会う顔にモザイクがかかっているわけもなく、そこに立っている女性は、パネルから想像するに勝るとも劣らない可愛い女の子で、むしろ、想像よりもよかったのである。
「いわゆる、逆パネマジだな」
 と風俗好きの友達と話した時聞いた言葉だったが、
「パネマジって何なんだい」
 と聞くと、
「パネルマジックのことさ。つまり撮影方法で加工したり、口元をモザイクで隠したりして、完全に顔が分かるようにしていないのさ」
 というので、
「何のために?」
 と聞くと、
「だって、もし、家族や上司。先生とか、自分の身内が来た場合は、どうしようもないだろう? 店は身バレをしないように考えているのさ。なぜなら、身バレされると女の子も大変だけど、店だって大変さ。親に見つかったりすると、うちの娘をこんなところで働かせてと文句を言われる。下手をすれば、裁判沙汰にもなりかねない。そういう意味で。店側は女の子の身バレに関しては、結構考えているのさ」
 というのだった。
 その時はそんなことまで知らなかったので、写真よりも、ずっとかわいい女の子だったことを、正直に喜んだ。
 そして、彼女と腕を組むようにして部屋までいくと、思ったよりも簡易なベッドと部屋であったが、お風呂だけは、やけに広くて豪華な感じがしたものだ。
「さすがは、お風呂屋さんだ」
 といってもよかったようだ。
 女の子は、梶原をベッドに座らせると、
「何か飲みますか?」
 といってくれた。
 実際に、ちょうど喉が渇いていたので、ちょうどよかったのだが、
「じゃあ、ウーロン茶で」
 というと、冷蔵庫からペットボトルのウーロン茶を出してきて、それを紙コップに入れてくれた。
「乾杯」
 と彼女は言って、何の乾杯なのか分からない状態で一気に飲み干すと、
「お客さん、いい飲みっぷりしてますね」
 と、まるで酒を飲んでいるかのように喜んでいる。
 おとなしそうな雰囲気だったが、よく見ると天然が入っていて、その天真爛漫さが緊張をほぐしてくれるような気がしたのだ。
「のどが渇いていたからね」
 というと、
「よかったわ」
 といって、ニッコリと微笑んでくれた。
「初めてなんだって?」
 といって、彼女は少し高飛車とも取れるような言い方をしてきた。
 しかし、普通の時であれば、こちらから露骨に嫌な態度を取るのだが、何しろ初めてであり、自分はまるでヘビに睨まれたカエル状態だと感じたので、態度を露骨になんかできなかった。
 いや、そうではない。自分の中で素直に、
「彼女に従っていれば、いいところに導いてくれるんだ」
 という思いがあったので、変に余計な気を回すようなことはしなかった。
 彼女もそのことに気づいたのか、今度はしおらしくなってくれて、最後まで付き従ったことを、悦びに変えてくれた。
 あの時の言葉、高圧的に見えたが、後から思うと、自分自身が必要以上に緊張していたことで、少し気持ちが挑戦的になっていたことで、彼女の方にはまったく高圧的なところがなかったのに、勝手にそう思い込んだことがいけなかったのかも知れないと思うのだった。
 彼女の中にある、
「よし、この人を絶対に後悔などさせないわ」
 という、梶原のために、気合を入れなおしてくれたことを、自分の緊張から、高圧的に見えてしまったというのは、実に愚かなことだったのだろう。
 だが、それも、自分の機転から、もう少しで嫌いになってしまいそうな状況を、元に戻すことができたのは、それだけ、
「冷静になれたからなのだろう」
 と感じるのだった。
 実際にはあれだけ、他の人と違うような、危険な発想を抱いているにも関わらず、今までそれほど痛い目に遭ってこなかったのは、このあたりの冷静な性格が功を奏したに違いない。
 だとすれば、今回の教祖への誘いというのは、どうなのだろう?
 何もかも、危険なことであるとして、むげに断るおいうのは、ありなのだろうか?
 怖くないと言えばうそになるが、今の自分がどういう立場で、自分で自分が惨めだということを、どこまで分かっているのだろうか?
 さすがに、教祖になるかどうかの判断を、最初に風俗に出かけた時の感情と比較するというのは無理があるのかも知れないが、確かに風俗に初めて勇気をもって出かけた時に感じた感覚が、その瞬間から、自分の中で何かを変えたというか、何かを目覚めさせたかのように思えたのだ。
 どうしても、風俗に行ったというと、どこか後ろめたさのようなものがあり、そこで自分が変わったなどと感じることは、どこか罪悪感のようなものがあったので、それが、余計に気になって仕方がなかったのだが、それは考えすぎだったようだ。
「間違いなく自分はあの時変わった。いや、一皮むけたのだ」
 と感じたのは間違いない。
 自分が他の人と違うということを、前から思っていたと感じていたが、それこそ勘違いなのかも知れない。
「俺は、昔からそうだったと思っていたわけではなく、何かのきっかけで、気づいただけなのだ」
 というのは、ウスウス気づいていたが、ハッキリとは分からなかった。
 それが分かったのは、今回の教祖に対しての気持ちが分かるようになったからではないか。
 今の自分は歴史に対しての考え方とは違い、
「時系列がやっぱり大切なんだ」
 と思うようになったのだ。
 一つのことが成就して、さらにそこから積み重ねるものがあっての、地固めなのではないだろうか?
 それを思うと、今自分が成長していることに気づくと、
「教祖というのも悪くない」
 と思うようになった。
 さっそく、先生に連絡を入れると、
「そうか、やってくれるか?」
 といって喜んでいた。
 何も、喜ばそうと思って言ったわけではないが、何か心の奥で沸騰している何かがあることを、梶原は感じたのであった。

                 大団円

 実際に教祖になってみると、やりたい放題だった。女は信者の中からより取り見取り。さらには、食事もおいしいものが食べられて、まるで、毎日がハーレムの酒池肉林であった。
「こんな世界が存在するのか?」
 と、まるで夢見心地の毎日に、とてもじゃないが、前の普通の生活になど戻れるわけもない。
 ただ、普通に考えれば、
「教祖になれば、これだけのことができるのに、なぜ誰もしようとしないのか?」
 というそんな当たり前のことを、梶原は感じようとしない。
 いつの間にこんな立派な教団施設が出来上がっていたのか、そう思うくらいの建物だった。
 どこか誰も知らないような山の中に、こんなハーレムのような、まるで小国家のようなものが存在しているなど、誰が想像できるだろう。
 小説家にだって、想像ができない。ただ、今までにこのような新興宗教はあったではないか。
作品名:摂関主義宗教団体 作家名:森本晃次