摂関主義宗教団体
ただ、就活と言うのは、面接でいかに相手の気持ちを掴むことができるかという、一発勝負であり、ただ、そのために、日ごろから訓練をしたり、相手に訴える何かを持っている必要があるのだろう。
だが、そんなことが分かったのは、就活が終わって、
「雇ってくれるところなど、どこにもなかった」
という結果が出た時というのは、本当に皮肉なことだった。
アルバイトで何とか食いつないでいるが、これから先、どうなるかなどということを、まったく想像もできないでいたのだ。
そんな時声を掛けられたのだが、自分では、そこまで落ち込んでいたとは思ってもいなかっただけに、少しショックであった。
それでも、こうやって食事をしながら誰かと話をするなど、大学時代以来だったので、嬉しくないわけもない。店の雰囲気も悪くないと思ったのは、それだけ、こういう店が久しぶりで新鮮だったからだ。それを思うと、本当に嬉しいと思うのだった。
だが、竹本先生の授業はそんな中でも興味が持てた。歴史というものを、時系列ではなく、ピンポイントで捉え、そこから過去や未来に線として飛ばしていき、そこからパラレルに広げるような形で見るものだったのだ。
普通はそんな見方を歴史ではしない。確かに斬新な切り口としては面白いのだが、そんな見方をしてしまうと、時系列でないので、興味のない人には難しすぎて理解ができないだろう。
ただ、それは独学で勉強する分には混乱するのだが、誰かに教えてもらう場合には、その混乱はない。教え方がうまいというのか、聞いていて、実に楽しかった。
というのは、
「次にどんな話が飛び出すか分からない」
というスリルのようなところがあるからだ。
歴史の勉強は時系列。ある一点を捉えるために、過去からその点までを時系列で進むか? あるいは、ある一点からさかのぼっていくかのどちらかであろうが、先生は違った。
「歴史というのは、原因があって結果がある。これは過去があるから未来がある。未来のために過去があるという発想と近いけど、意味合いは違うんだよ」
と言っていた。
その言葉を、今思い出していた。そして、あの時の疑問を今まさに聞いてみようと思ったのだ。
「先生の授業で言っていた、
「原因があって、結果があると言っていた意味、結局分かりませんでした。あれはどういうことだったんでしょうか?」
と聞いてみると、
「あの言葉、考えてくれたんだね? あれは、でも、普通に考えていれば、答えは出ないと思うよ」
と先生は言った。
「どういうことですか?」
と聞くと、
「ヒントをいうと、答えは一つではないということさ。逆にいえば、答えはないのかも知れない。要するに。答えを一つ求めたとしても、それが本当に正解なのかと考えると、その証明を求めて、また考えることになるのさ。そうなると、またもう一度一から考えるだろう? これって、パチンコの完全確率に近い発想があるんだよ」
と言われた。
「完全確率?」
と聞くと、
「そうだよ。君はパチンコというのをするかい?」
と言われて、
「いいえ」
と答えると、
「私もしないんだけど、その確率の意味を聞いた時、ああ、なるほどと思ったんだよ。歴史の勉強に近いものがあるってね。それで、完全確率というものは、例えば、大当たりまでの確率が300分の一だったとしようか? 普通に考えれば、300回回転するまでに当たるはずだよね? だけど、300回までに絶対に当たるということはないんだ。分かるかい?」
と聞かれたので、
「はい、そこまでは分かります」
「つまりは、1回目外れれば、299分の1になるわけではないんだ。もし、そうだったら、300回までに、1分の1になるだろう? 要するに、300分の1の確率というのは、ある程度の大当たり回数の中で、総回転数と、大当たりの回数を分母と分子に置き換えただけなのさ。平均したら、300回に1回当たるというだけのことなのさ」
というではないか?
「ああ、なるほど、分かりました。1回回しても、次も、300分の1の抽選ということですね?」
「そういうこと」
「おみくじを引くのに、外れくじを引けば、引いた外れくじをもう一度、中に入れるということになるんですね」
「そうそう、その通り。だから、いくらやっても、当たらない時は当たらないし、当たる時は続けて当たったりするものなのさ。もちろん、機械なので、プログラムされた形で当たることになるわけなので、300に近い数字になるように作られているということに間違いはないんだろうけどね」
と先生はいうのだった。
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「その考えが、歴史にも生きるということですか?」
と聞くと、
「そうなんだよ。君は、パラレルワールドという言葉を聞いたことがあるかい?」
「ええ、平行世界とか言われているあれですよね?」
「うん、そうなんだ。あれだって、完全確率と同じ発想じゃないのかな? 無限にある可能性の中から、一瞬一瞬選択された世界が、次の瞬間には広がっているわけだよね? でも、それをまったく違和感なく過ごしているというのは、すごいことではないか? これって、一種の完全確率のようなもので、まるで最初から決まったレールの上を進んでいるとしか思えないよね? しかもだよ。世界の中には、無数の人がいるだけだ。皆が違和感なく次の瞬間を迎えるというのって、奇跡のような気がしないかい?」
と先生は、目を輝かせながら話した。
「すまない。この話になると、中からではできないので、カウンターに座るけどいいかな?」
と、他のスタッフにそういって許しを得て、先生はエプロンを外して、カウンターの隣の席に腰かけてきた。
「確かに、先生のおっしゃる通りだと思います。私も、歴史の授業が好きでしたけど、どうして好きなのかと聞かれたら、何と答えていいのかって考えたことがあったんですが、言葉が見つかりませんでしたね。実際に聞かれたこともなかったので、答える機会は一度もなかったんですけどね」
と言って、梶原は苦笑いをした。
「歴史に限らず、学問というのは、別の学問とも密接に絡み合っているところがあるんだよ。この絡み合っているという表現が私は好きでね。まるで、男女が、身体を重ねた時に、空気の入る隙間もないほどに身体を密接させようとするだろう? あの時のいやらしい動きを想像してしまうんだよ。人によっては、いやらしく見えて、見たくないと思うだろう。だけど、普通の性欲を持ち合わせている人以上であれば、ずっと見ていたい光景だと思うんだ。それが人間の本性だからね」
と、いうではないか。
確かに先生は、大学の講義で、たまにこういう隠微な表現をすることがあった。それを、梶原は、
「先生も生徒の人気稼ぎのようなことをするのかな? 意味もないのに」
と正直思い、そんな時の先生を見ると、どこか冷めてくる自分を感じていた。
だが、今のように興奮した話の中にさりげなく織り交ぜてくるのを見ると、
「先生って、こういうさりげないところがいいんだよな」
と感じるのだった。