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摂関主義宗教団体

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 一生懸命にやっても空回りするかも知れない。
 そのうちに会社の上司が、
「こいつは辞めていくかも知れないな」
 などと思っていることを感じると、どう思うだろう?
 一気に身体から力が抜けて、それまでしがみついてきたものが何だったのかと思うことだろう。
 それでも、早く気づいた人はまだマシかも知れない。人生をやり直せるだけの機会があるのだから。
 しかし、ある程度まで勤続年数を重ねた社員が、いまさら会社のそんな体質を知って、「じゃあ、辞めればいい」
 などと簡単に言えるだろうか?
 家庭を持っているかも知れない。
 子供がいて、子供の学費や、家でも買っていれば、ローンの問題。何よりも、辞めてしまって、家族が路頭に迷う姿を想像することができるだろうか?
 家族と仕事を天秤に架けると、そんなに簡単に、
「辞めてしまえばいい」
 などと言えるものではない。
 だが、不安が消えるわけではない。逆に増えるだろう。
 今は簡単に辞めることはできないと思っても、このまま会社にいて、会社が潰れないとも限らない。
 そんなことはどこの会社にいても分かりっこないのだろうが、嫌々仕事をしている会社が潰れてしまったとすれば、これほど理不尽なことはない。
 かといって、再就職の道を模索するというのも、怖い気がする。
 どこか、探せば見つけることはできるだろう。
 しかし、再就職した会社が、さらにブラック企業なのかも知れない。会社側は必死になってブラックであることを隠そうとするだろう。労働基準局の目もあるだろうし、会社の存続のためには、ブラックにならなければいけないという経営者の考えがあるのかも知れない。
 そんなことを考えていると、自分が情けなくなる。まだ、会社に入社して仕事を味わっているわけでもないのにである。
 だが、今の自分は、そのスタートラインにも立てていない。そんな将来への絶望に近い妄想を抱くということは、それだけ、落ち込みが激しいということであろうか?
 ただ、今はアルバイトでも何でもしながら、その日一日を過ごしていくしかないのだった。
 そんな時、声を掛けてきたのが、同じ大学出身という人であった。
「確か、あなたは、摂関研究部に興味を持っていた人ではありませんか?」
 と言って声を掛けてきた。
 確かに、摂関研究部には大いに興味を持った。歴史が好きだったし、摂関家における謎の歴史を知っていたからだ。
「ええ、部には所属はしていませんでしたけどね」
 というと、
「そうでしたね、私はその摂関研究部の人間なんですよ。大学は卒業しましたが、組織には今も所属しています」
 というではないか。
「そうなんですね。でも、よく僕のことなど、気にしてくれていたと思うと、何か嬉しいですね」
 と、梶原は言ったが、これは本音だった。
 就職もできず、将来を憂いていた状態で、自分の中で勝手に負のスパイラルを描いていたような気がしていたので。どうすればいいのかを悩んでいた。
 そんな時、誰かが話しかけてくれて、素直に嬉しいと感じるのは、
「それだけ、俺が孤独を深刻に考えていた証拠なんだろうな?」
 と感じたからに違いない。
「私は、倉橋というものです。あなたは、確か、梶原さんですよね?」
 と言われて、
「ええ、そうですが、どうして名前を?」
「大学祭の時、うちのサークルの展示を見に来られた時、署名されたでしょう? その時にお名前を知ったんです」
 というではないか。
 まるでストーカーのようで気持ち悪い気もしたが、今は、
「孤独から抜けられるかも知れない」
 という思いの方が強く、この倉橋という男と話ができたのは、何もない最近の中では、自分が活性化されそうで、新鮮な気がしたのであった。
「ところで、どうして僕に声を掛けてくれたんですか?」
 と気になったことを聞いた。
 ただ、声を掛けてきたにしては、タイミングが良すぎる気がした。偶然道でばったりというのは、偶然にしてはできすぎているような気がしたからだ。
「いえね、あまりにも落ち込んで、負のオーラに包まれた人がいると思って近づいてみると、梶原さんじゃないですか? 見違えてしまうほどだったので、一瞬声をかけにくいと思ったんですが、思い切って掛けてみました」
 という。
 冷静に考えて、そして、少し疑ってみると、その言い分には、都合がよすぎる気もした。それを補おうとして、
「一瞬声をかけにくい」
 という言い方をして、最初は無視するつもりだったということを言いたかったのではないかと思ったのだ。
「そんなに、僕、落ち込んでいるように見えました?」
「ええ、近寄りがたい雰囲気は出ていました。普通だったら、声を掛けられないレベルです」
 というので、
「そんなにひどかったんですか?」
 と、ため息交じりで落ち込むと、
「そう、その感じですね。人というのは、落ち込んだ時、自分で思っているよりも、表に対して、大いなる負のオーラを発しているということを自覚していないものなんですよ。自覚できていても、まあ、一緒ではあるんですけどね」
 と、言って彼は苦笑いをした。
「そうですね。ここまで落ち込んでしまっていると、まわりが見えていないというのも、あるかも知れないですね」
 と梶原がいうと、
「それは分かります。私も、本当に落ち込んだ時は、自分が自分ではないと感じることが結構ありますからね。自分が自分じゃないと思った時って、まるで幽体離脱した気分になるんですよ。そんな時、これは夢だって自分で感じるんです。でも、夢が夢であるために決定的なことが欠如しているんです」
 というので、
「それはどういう?」
 と聞き返すと、
「夢で、もう一人の自分の存在を意識すると、その瞬間に目が覚めてしまうんですよ」
 というではないか。
「もう一人の自分?」
「ええ、そうです。もう一人の自分ですね。私の場合は。怖い夢というのを見た時って、結構覚えているんですよ。そして、その結構高い確率で覚えている夢の中で、もう一人の自分が出てきているんです。最初から怖い夢を見ていて、もう一人の自分でとどめを刺されることもあれば、それまでは、楽しい夢だったんでしょうね。夢の内容は覚えていないから。その時にもう一人の自分がいきなり出てきて、そこで夢が終わってしまう。つまり、もう一人の自分が出てきた時というのは、必ずその瞬間に夢から覚めてしまうということになっているんです。そして、もう一人の自分の出現が、同時に夢の終わりを示しているんですよ」
 というではないか。
 信じられないような話であるが、
「僕もその話分かるような気がします。すべてが信用できるというわけではないんですが、自分の夢も、おおむね似たような話なんですよ。そういう意味で、信頼できるし、何よりも、自分が納得できる気がするんです」
 というと、
「そうでしょう。あなたなら分かってくれると思いましたよ」
 と言って、かなり喜んでくれているようだ。
 だが、倉橋という男が喜べば喜ぶほど、虚しく感じるのは、
「今は笑っていられる状況に、自分がいるわけではない」
 ということを、身をもって思い知っているからであった。
 そんなことを考えていると、
作品名:摂関主義宗教団体 作家名:森本晃次