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摂関主義宗教団体

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 もちろん、小説によっては、史実に充実な話であり、歴史小説かと思いきや、エンターテイメント性に富んだ内容で、結果、フィクションだったりするという、時代小説とされるべき話もあったりする。
 そういう意味では、厳格に分けられたジャンルではあるが、
「歴史小説なのか? 時代小説なのか?」
 と聞かれた時、果たしてどっちなのかが分からないようなものもあるのではないだろうか?
 ひょっとすると、摂関家の争いの文献も、本当は小説であり、エンターテイメントを重視した時代小説だったのかも知れない。
 いつの時代に書かれたものか、ハッキリと分かっていないし、発見自体が結構昔だったにも関わらず、ずっとその存在を知られないようにしていたようだ。
 今の時代になってから、公開されたり、研究されるようになって話題になり始めたが、きっとどこかの時代で、このような小説が、
「時代にそぐわない」
 ということで、封印されたのが、今まで放置されていて、誰の目にも触れていなかったのかも知れない。
 この小説が世に出るようになったのが、20世紀末だった。ちょうど、歴史が少しずつ見直されてきて、過去の定説が、実は、そうではなかったと言われるような時代に入ってきたことで、歴史に対して興味を持つ人間が増えてきたこともあり、今まで封印されてきた本も、どんどん明らかにされてきたのだ。
 しかも、
「時代によっては、情報統制と同じで、歴史認識の統制もされていた」
 と言ってもいいだろう。
 前述の、豊臣の時代から徳川の時代に変わった時も同じだったが、今度はその徳川の時代が終わり、天皇中心の中央集権国家に変わってくると、歴史認識もそれまでとは、かなり違ったものとなることだろう。
 戦後にしてもそうだ。
 それまでの大日本帝国の教育が、
「日本は立憲君主の国であり、国家元首は天皇陛下だ」
 と教えられ、まるで天皇は神であるとまで言われるようになり、それが、そのまま教育になっていた。
「天皇のために、国民は命を捧げる」
 とまで教育されていた時代だったが、戦後、連合国からの、押しつけの民主主義によって、どこまで日本という国が変わっていったというのだろう?
 確かに民主主義の国となり、自由となったのはよかったが、どこまでをよかったと言えばいいのか、戦後教育を受けた人間と、戦前の教育を受けた人間が、どれほどのギャップを持って同じ時代を生き抜いてきたのか、想像することもできない。
「時代が歴史を作るのか、歴史が時代を作るのか?」
 まるで禅問答のようが、どちらもありのようで、どちらもないように思える。
 一つ言えるのは、片方だけということはないのではないか? ということであり、片方だけが正しければ、もう片方は、架空の話なのかも知れない。
「それこそ、歴史小説と時代小説の関係のようではないか?」
 と、梶原は考えるのであった。
 この摂関家の争いの話は、摂関研究部のバイブルとなっている。
 世間では知られていない摂関政治の裏側が、この文献に含まれていると思っている。
 サークルには、この話をフィクションと考えている人、ノンフィクションとして、事実だと思っている人、それぞれがいるようだ。
 確かに、どちらともいえない佇まいがある。ただ小説として読んだだけでも、真相が分からないとなると興味を持った。それに専門家の、この話をフィクションか、ノンフィクションか? ということの評論には、どちらにも説得力があり、判断が難しい。
「よほどの証拠が何か出てこない限り、この平行線はずっと平行線のままとなってしまうだろうな」
 と、思うのだった。
 一度、興味があったので、摂関研究部を覗きに行ったことがあった。あまりにも奇妙な雰囲気だったので、すぐに帰ったが、その時は、
「入部してもいい」
 とまで思ったほどだった。
 後から思い返すと、奇妙な雰囲気というのが、どのあたりだったのかがハッキリと思い出せないくらい、心の中で、
「なかったことにしたかった」
 と感じていたのかも知れない。
 その時の部室の雰囲気も、部員自体の雰囲気も、何もかもが気持ち悪かった。どれか一つとしてまともなものがなかったという部室は、その時が初めてだった。
 まるで、
「ここで見たことは誰にも言うな。もし喋れば、お前を呪い殺す」
 とでも言われたかのようだった。
 元々臆病な梶原だったが、最初に感じた恐ろしさは、次第に薄れてくるのを感じた。しかし、一度薄れたと思うと、今度は思い出すのが怖かった。
 しかし、そう思えば思うほど、思い出さないわけにはいかなかった。
「怖さを忘れるには、一度すべてを思い出さないと、忘れることはできない」
 と言われているようで、それができるくらいなら、こんな苦労はしないというもので、忘れてしまいたいという気持ちが自分の中で強いのだということが分かってきた気がしたのだ。
 大学生活に、不満らしいものはないが、勉強はしているつもりであったが、成績がパッとしなかったのは、自分の頭が、凝り固まっていたからではないかと思えた。
 もう少し柔軟にものを見ることができれば、論文形式の試験も、もう少し形のついた回答ができたであろうに、実際には、文章としての体裁が整っていないような回答であり、「これが大学生の回答なのか?」
 というほどに、ひどいものだったに違いない。
 就職活動をしていても、面接で、トンチンカンな回答をしている自分を、
「どうして、こんなありきたりの回答しかできないんだ?」
 と、普段であれば、もう少し気の利いた回答ができるはずだと思っているのに、自分でもそのわけが分からない。
 案の定、受ける会社のそのほとんどが一次審査で不合格。二次審査に行けたのは、例の、グループディスカッションのあの会社だけだった。
 その時、二次試験で仲良くなった人がいたのだが、彼が、かなり梶原のグループディスカッションに大いなる興味を持っていた。
「どうして、あんなに堂々と反対意見を言えるんです? 僕は、考えは浮かんでも、反対意見をいうことはできない」
 という。
「どうしてなんだろう? まわりに人がいると、俺が中心にならないといけないという気持ちになったのかな?」
 というと、
「うーん、僕が聞いた時は、少し違うイメージだったけどね」
 という。
 彼は、隣の輪の中に入っていたのだ。何と、彼は梶原のサークルにいる梶原を観察しながら、ディスカッションに参加し、そこで、一次審査を合格したのだった。
「俺は逆に知りたいんだ。俺のような反対意見を言っているわけでもないのに、よく一字を通過したと思ってね」
 何と言っても、自分のサークルから合格できたのは、梶原だけだったからだ。
「ああ、俺の場合は、まわりを巻き込むのがうまいというか。正統派意見なんだけど、俺の意見をそのまま押し通せば、それは皆と同じになるだろう? そうではなくて、まわりに俺の意見のいいところを言わせるように仕向けるのさ。本人たちは、自分の意見を言っているように思うんだけど、それはすべて俺の意見を証明させているというやり方さ」
 というではないか。
「どうすればいいんだい?」
 と聞くと、
作品名:摂関主義宗教団体 作家名:森本晃次