摂関主義宗教団体
「摂政、関白の政治や、それにまつわる政治体制などを研究しているのが、摂関研究部だ」
ということである。4
これは、あまり知られていないことであるが、道長の時代の少し後に、藤原氏が、二分するような争いが、朝廷内で持ち上がったという話が一部で伝わっていた。
摂政と関白が同じ時期に、そして同じ藤原氏で誕生していたのだ。
これは、気の弱い天皇が、それぞれ覇権を争っていた藤原氏兄弟に対して、それぞれに、摂政と関白の地位を与えたのだ。
同じ時期に摂政と関白がいても問題はないので、今まで表に出ることはなかったが、実は水面下で、それぞれの派閥が存在し、まるで、
「プレ応仁の乱」
と言ってもいいような、一触即発になっていた。
もし、この時、争いが起きていれば、その後の保元・平治の乱もなくて、そもそも、武士の存在すらあったのだろうか? 僧兵くらいがあったかも知れないが、土地によって、主従関係が生まれるという、包茎制度の時代がきたかどうか、分からない。
まだ、武家がいなかった時代だったが、実は武士になりかけの集団がこの時代にはいたという話が伝わっていた。
武士は一般的に、荘園を守るために誕生したと言われる。僧兵も、同じように寺社にて、荘園を守るための部隊を育成したことから生まれたともいう。
そんな中、武士でも、僧兵でもない集団が、朝廷内には、密かに存在していた。
いわゆる、
「守備隊」
と言われるもので、何を守っているのかというと、守護するものは、
「藤原摂関家」
であり、今でいえば、さしずめ、
「摂関家親衛隊」
とでもいえばいいのか、本来なら、天皇や皇族を守る近衛兵のようなっものはあったが、貴族を守る、しかも、特定の一族を守るというような一団は、普通であれば考えられなかった。
なぜなら、貴族などの家が軍事力を持てば、天皇に対してクーデターを起こしかねないからだった。
だが、藤原摂関家だけは違った。
彼らは、天皇に変わって、あるいは補佐して政治を実際に行うわけなので、その地位は、
「天皇あってのものだ」
と言えるだろう。
だから、藤原氏だけは、軍隊を持つことが許されていた。
その代わり、藤原氏に何かあっても、天皇にはかかわりのあることではないので、藤原氏は、自分たちのことは自分たちで何とかしなければいけなかったのだ。
そんな状態になると、藤原氏は、近衛兵に負けないほどの、いや、さらなる強力な兵を持つことになった。
それが、
「摂関警備兵」
であった。
藤原氏は、その時期、兄弟で、摂政と関白の地位についていた。
貴族は、どちらの側につくかということで、考えあぐねていたが、しょせんは、浅知恵しかない。
結局中途半端な状態で、戦乱に巻き込まれ、ほとんどが、朝廷内で力を失うことになった。
摂政と関白の兄弟が争うのを見ると、兄弟ではないが、
「壬申の乱」
を思い出す。
中大兄皇子が即位し、天智天皇となったが、王位継承の順番でいくと、弟の、
「大海人皇子」
が天皇となることになるのだが。天智天皇が死ぬ前に、跡取りを息子の大友皇子に継がせるとの遺言であったので、大海人皇子は奥さんとともに、吉野に逃れた。
その隙をついて、大友皇子が即位し、弘文天皇となったのだが、のちに大海人皇子が吉野で勢力を盛り返し、京に取って返し、弘文天皇を打ち取った。
これが、壬申の乱という、
「古代における最大の内乱」
と呼ばれるものであった。
結局、大海人皇子が即位し、これが有名な天武天皇となるのだった。
天皇は、ここで、天皇中心の中央集権国家を築くことになった。律令制度の基礎を父親の天智天皇が築き、弟の天武天皇が、実行したというところであろうか?
平安京における、摂政、関白による争いは、この時の、壬申の乱と酷似していると言われている。
実際に、あまりにも似ていることから、
「後世になって作られた、壬申の乱に模倣した架空の物語ではないか?」
と言われるようになったのだ。
だからこそ、
「歴史書は残っているのだが、その信憑性は疑わしく、簡単には信じられないものだ」
と言われている、曖昧な物語だったのだ。
「曖昧なことは、歴史の事実にあらず」
ということで、研究は続けられてきたが、いまだにれっきとした史実は出てくるわけではなく、相変わらず、
「伝説の物語だ」
と言われているのだった。
小説の世界には、同じようなジャンルでも、言い回しが違うものがあり、意味合いも若干違うというものがある。
例えば、ミステリー小説などは、推理小説と読んだり、探偵小説と呼ぶこともある。これは基本的には、
「時代の違い」
なのではないかと思っているのだが、基本的に、ミステリーは海外からの小説ジャンルと言ってもいい。
シャーロックホームズや、アガサクリスティーの小説、ルパンのような、怪盗が主人公の小説などが、日本に入ってきて、探偵小説というジャンルを気づいた。黎明期には、有名どころとして、江戸川乱歩、横溝正史、甲賀三郎などがいて、明智小五郎や、金田一耕助のような個性豊かな探偵が活躍する痛快活劇が、大正時代から、昭和の戦後すぐくらいまでの時代を作った。
彼らのような、探偵が爽快に事件を解決するような話であったり、時代性もあってか、異常性癖者による猟奇殺人であったり、などの小説が受けていた。
そして、戦争中は、当局から探偵小説のような娯楽性の高いものは、発禁とされ、暗黒の時代に入ったが、敗戦によって、表現の自由が保障され、堂々と探偵小説を描けるようになってきた。
さらに、高度成長時代あたりから、松本清張を中心とした、
「社会派推理小説」
と呼ばれるものが、出てくることになる。
そして、推理小説は、次第に一人の作家が、自分のジャンルを確立する時代に入ってきて、
「○○小説の第一人者」
というような形の小説が増えてきた。
西村京太郎の、
「トラベルミステリー」
など、代表例と言えるのではないだろうか?
このように、小説は一つのジャンルになっているものも、時代時代で呼び方が違ったり、似たようなイメージを感じさせるジャンルでも、そこには毅然としたジャンルの違いがあったりするものが存在する。
それが、
「歴史小説」
と、
「時代小説」
である。
どちらも歴史に関係のあることだと想像はつくだろうが、その定義について、説明できる人はいるだろうか?
だが、この二つに関しては、きっと漠然とであるが、言葉の意味はニュアンスから感じ取っているのではないだろうか? 正解を聞くと、皆、
「ああ、そういうことか。それなら理解できる」
というのではないかと思うのだ。
「歴史小説というのは、史実に基づいたもので、その場面となる事件や人物を題材にした、ノンフィクションが基本であり、時代小説というのは、時代劇のように、史実に基づいた事件などから派生する形で、面白おかしく話を作るという、物語重視の小説である。だから、こちらは基本的にフィクションであり、時代考証も、若干曖昧でも問題なかったりするだろう」
と言えるのではないだろうか。