入らなければ出られない
この、創造という言葉を、想像として膨らませ、さらに、そこから妄想へと広げるのには、さほど難しくなかった。
小説というのは、当然誰に習ったものでもない。本を読んで、本というものに興味を持つ段階で、
「自分にもこんなものが書けたらいいな」
と感じることがなければ、小説を書いてみようなどとは、思わなかったことだろう。
実直で、勧善懲悪的な考えを持っている典子には、
「人まねは絶対にしてはいけない」
という意識があった。
ただ、真似る意識がなく、自然と似てしまっていたのであれば、それは、
「真似をしたことにはならない」
という考えを持っていた。
典子の中で、
「モノマネであれば、それは自分の表現が根底にあり、芸術の伝導であり、個性を表現することとして、十分に容認できるものであるが、サルマネという、真似をしているという意識がないことで、まわりから、二番煎じだと思われることを意識もしないで、自分がただ似ていないだけだいうような意識にとどまってしまうというものは、決して自分ではしたくないことだ」
と考えていたのだ。
人のものを、考えもなく真似をする。それは、ウケればそれでいいという安直な考えが、最初に始めた人の勇気や、その人の個性、まわりが認めた事実すら、否定することになるのだ。
そのことを考えると、
「二番煎じは悪だ」
と考えるようになった。
小説の世界には、二次創作なる言葉がある。マンガの世界にも存在はするのだが、今では、立派なジャンルとして君臨していることは認めざるを得ないのだろうが、正直、典子には許せないところがあった。
「ただの二番煎じで、サルマネではないか?」
と考えるのだ。
だが、全員が全員ただ、真似ているだけではない。中には、リスペクトという形で、原作に敬意を表す形で、しかも、原作者の許可も得て、後悔している作品がある。本当なら許されるのはそこまでなのだろう。それ以外は、ただのサルマネでしかないと思う。
それでも、典子は、そのリスペクトですら、否定的な考え方になっている。なぜなら、そこに、小説として大切な柱が、人のものだということが一番の問題だからだろう。
勧善懲悪の観点からいけば、二次創作は、どこをどう見ても、悪でしかないという考え方である。
そこまで、凝り固まった考えをしなくてもいいと思われがちだが、姉のかずみは、逆の考えだった。
「二次創作ができるということは、原作を読み込んでいて、しかも、真似るというテクニックを持っているのだから、それはそれでありだと思う」
と常々言っていた。
それはマンガを、かすみが描き始める前から感じていたことであって、このあたりでも姉との性格の違いを考えさせられるのだった。
典子には、その考えは承服できることではなかった。姉だって、口では二次創作を肯定しているが、果たして本心はどうなのかということを考えてしまう。
「私の姉なんだから、当然、簡単に肯定なんかしないわ」
と思うが、逆に、
「姉だからしそうな気もする」
と、次第に姉というものが分からなくなってきた。
典子は、ドロドロした小説を書き始めたのだが、最初は、純愛の恋愛小説を書こうと思っていたのだが、恋愛小説という部門の作家を検索して小説を読んでいると、どうも純愛の作家はほとんどおらず、有名どころは、愛欲や、異常性癖、あるいは、不倫ものなどのような小説が多かった。
それは、
「純愛小説がないわけでなく、売れる小説が、ドロドロしたものが多いんだ」
ということであった。
20年くらい前から、ライトノベルなどというものが出てきて、純愛小説も若干変わってきた。純愛小説というのは、学園ものであったり、青春小説などのジャンルに入ってきたのかも知れないと思ったのだ。
確かに、30歳過ぎの男女を描くのに、純愛小説というのも、どうかと思う。もちろん、そういうものもあるだろうが、売れる売れないで考えると、本当に売れるのかと言われると、考えてしまう。
もっとも、今は昔の時代が違い、結婚適齢期というものが、20代前半から、30前くらいまでではないかと言われていた時代があった。
結婚適齢期というのは、本当に精神的なものからなのかと思うことがあった。確かにこのくらいの年齢に、普通なら一度くらいは、結婚を夢見る時期であるのは認めるが、やはり、結婚というものを考えると、
「短大を卒業するのは、20歳や21歳くらいと考えて、そこから就職し、最初の一年は仕事で忙しく、その後というと、24歳くらいから、結婚を考えるのが一般的だったのではないだろうか、ここから、今度は30歳前後というのは、30代中盤になると、
「初産でこの年齢というと、高齢出産」
ということになり、母子ともに危険を考えると、どうしても、30前後までを結婚の年齢と考えるのが普通であろう。
それが結婚適齢期の考え方であるが、時代が進むにつれ、成田離婚に代表されるように、離婚率がかなり高くなってきた。時を同じくして、世間では、
「男女雇用均等」
という考え方から、女性が縛られる時代ではなくなってきたといってもいいだろう。
そうなると、
「女性が結婚して、家庭に入るなどという時代ではなくなってきた」
ということになり、
「結婚しない女性」
が増えてきた。
女性が結婚しないのだから、当然、男性も結婚できない人が増えてきたのだろう。しかも、離婚率は高くなり、バツイチになると、余計に結婚適齢期などと言う言葉が、死後になってくるのであった。
もちろん、女性にとって、結婚というと、夢の一つであるのは間違いないことであろうが、昔とはずいぶんと考えが違ってきた。そもそも、昭和というと、結婚は義務のようなところがあり、
「嫁いだ家の跡取りを産むのが、嫁の義務」
とまで言われていた時代があった。
そのうち、恋愛が自由になってくると、平成になった頃から、性格の不一致が顕著になったりして、恋愛期間中には分からなかったことが、婚姻届けを出した瞬間から、分かってくるということで、新婚旅行から帰ってきた成田空港で、すでに離婚が決まっていたという、
「成田離婚」
などという言葉が生まれたのだった。
そう考えると、結婚適齢期と言われていた時代というのは、それほど長くはなかっただろうか? 昭和40年代くらいからと考えると、20〜30年くらいということか、昭和が終わってから、今までで、すでに、30数年経過しているのだ。それを思うと、
「結婚というのは、一体何なのか?」
と思わざるを得ない。
しかも、そこに至るのが恋愛だとすれば、恋愛や結婚は、本当にいいものなのかと疑ってしまうのだ。
しかも、企業で、女性の役職も増えてきて、それが、結果として少子高齢化に繋がってきてもいるということで、ここに、時代の矛盾が存在していることになる。
「男女雇用均等法」
によって、女性差別がなくなって、男性と同じ道を歩んでいいようになってくると、女性は、
「嫁に行き、跡取りを産む」
などどいう制約から放たれる。
そうなると、
「離婚率も高いのに、結婚もしなくなる」
ということになり、子供を産んでも、今度は、
作品名:入らなければ出られない 作家名:森本晃次