入らなければ出られない
「もうダメだ」
と感じた。
最後の、
「別に」
という言葉がとどめを刺したのだった。
別にというのは、一体何が? いや、何に対して別にというのだろう?
これほど曖昧であり、しかも、腹立たしい言葉はない。これだけたくさん言葉がある中で、出てきた言葉が、一番今聞きたくない言葉ではないか。
つまり、追い詰められて、こんな言葉を発するということは、普段から自覚しているということである。
こうやって逃げれば、誰に対しても失礼にならないとでも思っているのか、そんなことを考えているのだとすれば、
「女の腐ったような人ではないか?」
と言いたくなった。
ちょっと、男女平等の世の中でコンプライアンス違反なのかも知れないが。女のかすみが思うことで、
「口に出していないのだから、別にいいのではないか?」
と感じた。
確かにかすみも、
「別に」
という言葉は使うが、絞り出した時に出す言葉ではないと思うので、それは意識の上でのことだろう。
それでも言ってしまうというのは普段からそう思っているのか、それとも、相手を傷つける言葉だという意識が欠落しているのか、もしそうだとすれば、失礼なことであり、
「自分自身も投げやりになるほど、自分に自信がないんだろうな?」
と感じたのだ。
かすみは、完全にマサハルに対して、嫌な思いしか感じなくなった。そんな時かすみは自分がどんな態度を取っているのか自分でも分かっていなかったが、この日は、それを思い知ることになる。
かすみの態度に対して、それでも煮え切らない態度を取って、曖昧に振る舞うマサハルとは、もう一緒にはいたくないと思った。
「同じ空間に存在していることも、同じ空気を吸っていることにも、嫌悪を感じる」
とまで思うようになった。
そう、かすみというのは、一つのことを嫌になると、自分でも抑えが利かないほどに、相手を毛嫌いしてしまうことがあるようだ。
ただ、それは、それまでにその相手に対して絶大な信頼を置いていたり、好きだと思っている人だったりする場合である。今回は後者なのだが、この思いは、自分の考えていることとまったく違った態度を取る相手に、
「裏切られた」
と感じるのだろう。
相手に裏切られたり、相手が自分のことを、こちらに分からないように、利用して、自分だけが、利益を得ようなどとするのが分かると、完全に敵対することになる。
相手が自分をどう感じているのかということに関しては、結構無頓着だったくせに、自分に危機感を持たなければいけないような状態に陥りそうな時だけは、よく分かるのだった。
これはきっと、彼女の中にある、
「動物的な感覚」
いわゆる、本能のようなものが働いているのではないかと思うのだ。
動物は、自分に危険が迫っていると分かった時、その防衛本能から、それぞれ、遺伝子がその力を発揮し、自分たちの種族を反映させてきたのだ。人間のような知恵を持っているわけではないが、防衛本能は、人間の知恵に勝るとも劣らないような力があるのではないだろうか?
かずみにも、そんな能力があるようだ。具体的にはよく分からないが、妹の、典子が子供の頃に話していたような気がする。
「お姉ちゃんには、何か、目に見えない力があるような気がするんだ」
というので、かすみも、
「それは典子に感じることだわ」
と、かすみは言ったが、決してお世辞やおべんちゃらをいうようなことのないかすみお言葉なので、妹も一概に疑ってはいないと思うが、それにしても、お互いに相手に見えない力を感じるというのはどういうことだろう。
と言っても、妹にどんな力が備わっているのかということはハッキリとは分からなかった。
妹も、かすみの力について言及することはなかったのだ。
「私にとって、それが何なのかということは重要ではない、私に対して、どのような影響があるのか? ということである」
と考えていた。
きっと典子も同じだろう。
ただ、そのことがあってから、お互いに意識をし始めた。
「見えない正体も分からない力で攻撃されたら、どうしよう」
という思いからか、一定の距離を保つようになった。
それは、ミサイルの射程距離から離れるという感覚に違いのだが、ミサイルがどれほどの性能かも分からないし、そもそも、見えない力がミサイルのようなものなのかというのも分かったものではない。
「ひょっとすると、お互いを助け合う力なのかも知れないではないか?」
とは思っても、どうすることもできない。
本能は、安全な場所への避難を要求している。とりあえず、少し様子を見るしかなかった。
と思いながらも、意識だけは、しないわけにはいかない。
「妹がどのように考えているのか、どうすれば分かるだろう?」
という思いを妹も抱いていたようだ。
そのことが、急に分かる時があった。
「何か二人の間で。二人のものとは違う、不思議な力が働いているのではないか?」
と思った。
「二人の間に、自分たちも知らない共通の何かがあって、その力が及ぼしているものって何なんだろう?」
と、思うと、
「親が何かを知っているのだろうか?」
と思えてならなかった。
しかし、その頃の両親は、子供たちには結構厳しく、そんなことを聞こうものなら、逆襲にあって、却って、立場が悪くなってしまう。今のところ、親に聞くわけにはいかない。それは、妹も同じように感じていることだったのだ。
だが、父親は母親と違って、何かを言いたいと思っているようだった。
一度、父親が、不思議なことを言っていた。あれは、まだ大人になっていない頃だった気がする。
「お前たち姉妹は、仲良くしていた方がいいぞ。仲良くしていれば、お互いが危機に陥った時、何かの力になってくれる。いや、力を引き出す手助けをしてくれる。お前たちでは解決できないことを、解決してもらえる足場が築けるんだ」
と、いう意味不明な話をしていた。
「何それ、意味不明なんだけど」
と気持ち悪いと思いながら聴いていたが、
「典子もまったく同じリアクションをしたぞ」
というではないか。
「典子にも同じ話をしたの?」
と突っかかるように聞いたのは、父親が自分よりも先に、妹に話をしたからだった。
姉としてのプライドが、傷つけられた気がしたのだった。
「何をそんな変なプライドなんか、持つ必要はないんだ」
と、父は言った。
「何で私の気持ち分かったの?」
「親子だからな」
と言って、笑っている。
この笑いには、何とも言えない説得力があった。それを思うと、父の言葉もまんざらでもないような気がしてきたのだった。
「一体、どうしたっていうの?」
と、かすみは、どうでも捉えられるような聞き方をしたのだが、
「そのうちに分かる時がくる。とにかく、うちの家族はお前が思っているよりも、よほど秘められた力を持っているのさ。信じられないだろうが、今はね。でも、いずれ分かる時が来る」
と、父親は言ったのだ。
「一体、どういうことなのか、もう少し分かりやすく言ってもらえれば嬉しいんだけど」
とかすみが聞くと、
作品名:入らなければ出られない 作家名:森本晃次