入らなければ出られない
「確かに最初に結婚する時は、この人と、一生添い遂げようと思うんだけど、一緒にいるうちに、お互いのプライベイトな部分が見え隠れする。結婚する相手にだって。一つや二つ隠しておくような秘密を持っているだろう? そこが、次第に分かってくると、この人は自分に隠し事をしているという気持ちになったりする。だから、疑心暗鬼になって、信用できなくなる。そうなると、離婚まではまっしぐらさ。お互いがお互いを信じられなくなるまでに、あっという間だからね。何と言っても、昨日まで、一番の理解者だと思っていた人が、一番信用できない人になったり、怖い人だと思うようになったりするのだから、話し合いなんかできっこないのさ。離婚するしかないというところまで行くんだけど、じゃあ、いざ離婚となると、どうすればいいのか分からない。結婚の時は、二人で協力してだったけど、離婚の時は、少しでも自分が特になるように別れるという意味で、実に露骨で、あからさまな態度を、見たくなかった態度を見なければならなくなる。それが、離婚が辛いと言われるゆえんなんじゃないかな?」
と、おじさんは話してくれた。
「何度も結婚したり離婚するというのは、やっぱり疲れそうな気がするんだけどな」
と聞くと、
「最後は慣れなんじゃないかな?」
と、おじさんはいうのだった。
そんな話を聞いていると、結婚というものが本当にしないといけないものなのかと思うようになった。
「一緒にいたいと思っている人と、一緒にいるだけではいけないのだろうか?」
結婚や離婚を繰り返すくらいなら、結婚しない方がいいに決まっている。それを分からないおじさんでもないはずなのに、それでも、結婚したいと思う時があるのだろうか?
確かに言われてみれば、最初にかすみと付き合い始めた時、漠然とであるが、
「俺は、この女と結婚するんだろうか?」
と感じたような気がした。
ただ、それも一瞬で、一緒にいるだけで楽しいと思うようになると、結婚という言葉が頭の中で、幻になってきた。
よく世間では、
「結婚を前提にお付き合い」
というではないか?
では、
「結婚を前提としないお付き合い」
というのはあるのだろうか?
あくまでも結婚することを前提としないと付き合うことができないのであれば、それこそ、
「友達以上恋人未満」
と言えるのではないだろうか?
そうなると、
「結婚を前提としたお付き合い」
というものをしている人のことを、恋人だということになるのだろう。
彼氏、彼女の関係のことを、
「友達以上恋人未満」
というのであれば、彼氏、彼女のままで、ずっといられればいいと思う。
何も、結婚する必要などないのではないか。
でも、結婚を、おじさんは、
「ゴールではなく、スタートラインだ」
と言った。
それは、マサハルもその通りだと思う。それなのに、好きになって付き合い始めて、
「結婚を前提としたお付き合い」
に発展し、
「結婚してください」
と言って、プロポーズして、そこから、双方の家族に許しを得て、婚約という儀式を経て、初めて、結婚することになる。
実に結婚するまでの道のりは、こうやって考えると、一般的な形式は結構いろいろあるということだ。
これだけあれば、結婚した時、
「結婚がゴールだ」
と思っても無理もないことかも知れない。
しかも、結婚式の一連の流れもあれだけの大イベントではないか。
教会か、神社で結婚式を経て、披露宴を行う。披露宴の下準備も大変だ。双方からどれだけの人を呼ぶか? 招待客の人数バランスから、席順、人数によって、規模の問題。さらには、余興なども自分たちで考える。さらには、引き出物まで……。
祝ってもらうのではなく、披露宴は、読んで字のごとく、
「結婚したということを、親せきや自分にかかわりのあるまわりに、宣伝、いや。宣告する儀式なのだ」
と言ってもいいだろう。
一種のバカ騒ぎに過ぎないが、本当は、結婚した二人の決意と覚悟の表れでなければいけないだろう。だが、一部のカップルは、この時がピークである人だったりする。
それが、
「成田離婚」
と呼ばれるもので、結婚してから、初めての共同生活、いや、それも始まる前から、式を終えて、新婚旅行に行っている間に、すでに、離婚への道を歩んでいることになるのだ。
確かに、結婚前に、同棲をしていたり、
「押しかけ女房気どり」
となって、旦那になる人の住まいで、食事を作ったり、夜を共にしたりという、
「半同棲」
をする人もいるだろう。
だが、成田離婚の中には、そういう人たちも一定数いるようなのだ。だから、成田離婚の定義のようなものとして、新婚旅行で、
「初めて、一緒に暮らしてみて、相手の今まで見えなかった性格であったり、性癖が見えてきたことで、たった今まで有頂天だった気持ちが一気に冷めてしまった」
という人が、喧嘩になって、挙句の果てに、成田離婚に発展するというのが、よくある話だったのだ。
つまり、
「結婚」
というのは、婚約とも違う特別なものだということだ。
結婚してしまうと、離婚しない限り、一人になることはできない。つまり、結婚するには、覚悟が必要であるということは、理屈でも頭でも分かっているのだ。分かったうえで相手を見るから、結婚前では許せたことも、結婚してからでは許せない。それだけ、
「家族になった」
という感覚になるからではないだろうか?
では、家族というのは、どういうものなのであろう?
この場合では、夫婦になることから始まり、子供ができて、子供を一人前に育て上げる。これが一番の仕事である。
それを考えると、確かに結婚というのは、ゴールインなのかも知れない。それは、カップルとして、恋人としてのゴールという意味で、結婚してしまうと、恋人は、家族というものに変わってしまう。この変化は、それまでの恋人関係とはまったく違ってしまう。
旦那は世帯主であり、奥さんは、配偶者という立場になる。そして、法律的にも家族として認定され、給与にしても、当然家族として認定される。
恋人の間までは、他の誰かを好きになっても、たとえ浮気をしたとしても、倫理的に微妙であったが、結婚した夫婦が、浮気をすれば、不倫ということになり、倫理的には許されないことになるのだ。
結婚して、夫婦になることで、
「恋人を自分だけのものにできた」
という気持ちは、そのまま裏を返せば、
「一生この人だけを愛さなければいけなくなった」
ということと同意語であることを分かっているのだろうか?
もし、分かる時があるとすれば、それは、夫婦の営みに、
「飽きを感じてきた時」
だといえるのではないだろうか?
男も女も、相手に対して飽きが来るというのは、人間の本性として無理もないことだと思う。
だからと言って、結婚しているのだから、他の人を抱くということは、倫理上許されない。それは、不倫とまではいかなくても、浮気であっても同じこと。
とは言いながら、
「一回くらいの浮気なら、大目に見よう」
という寛大な奥さんもいるだろうが、それが悲劇を生むことだってある。
男の方も、
「一回だけなら許してくれるんだ」
作品名:入らなければ出られない 作家名:森本晃次