入らなければ出られない
確かに、恋愛をして、
「この人なら」
と思える人と、一緒になる。これだけなら、人生の絶頂と言ってもいいかも知れない。
ただ、結婚はゴールではない。出発点なのだ。
ここがゴールなら、好きな人と一緒になった時点で勝ち組と言えるだろうが、家庭をこれから持たなければいけない。
「恋人としてであれば、ずっと見てきたが、これが、妻や夫として見た場合に、どう感じるだろう?」
もっと言えば、
セックスだってそうだ。
好きな相手を結婚したとしても、
「もう女房以外を抱けない」
ということに、呪縛を感じる人だっているだろう。
それは、旦那に限らず、奥さんだってそうだ。
結婚する時は、
「身体の相性がバッチリだ」
と思ったとしても、これから、何十年も、一人の女だけで満足しろと言われて、果たしてできるものだろうか?
「美人はすぐに飽きる」
と言われるではないか。
どんなにおいしい食事であっても、1カ月毎日食べていれば、果たしてどう思うだろう? 何とか、1カ月くらいなら、我慢できるという人もいれば、3日ともたないと思っている人もいるだろう。
それなのに、何十年もである。
しかも、自分も年を取っていくのと同じで、相手も年を取っていくのだ。まったく同じであっても、1カ月もたないのに、同じように年を重ねていく相手だと思うと、違った意味での感情が生まれてくるかも知れない。
それは、年相応の感情であり、その感情がお互いに、つかず離れずのいい関係であれば、
「老いても、末永く夫婦生活を営んでいける」
というものであろう。
どうせ、年を取れば、自然と性欲もなくなっていくものだ。セックスに変わる、お互いへの思いやりがいかに夫婦の間で芽生えるか? それが、結婚の醍醐味なのかも知れない。
ただ、このような幸せな余生を送ることができる夫婦というのは、ごく少数に違いない。そもそも、結婚というものを考えた時点で、
「結婚はゴールではない。スタートラインなんだ」
ということを理解したうえで、結婚を考えたのだろうか?
親が反対したり、口うるさくいうのは、自分たちの経験から来るものなので、理解しなければいけないことなのかも知れないが、自分の子供時代のことを棚に上げて、子供を叱りつけるような親に、どれほどの説得力があるというのか、親を見れば、自分の将来が見えてくるという人もいるが、どこまでがそうなのだろう?
五月病に罹ったマサハルは、その時、結構広範囲でいろいろなことを考えていた。
普段なら想像もしないようなことを考えるのだが、この時もそうだった。
自分の将来のことや、親との確執などが、走馬灯のように頭を駆け巡り、将来に思いを馳せて、まったく何も考えようとしないで、五月病にもかからずにいる能天気な連中に、苛立ちを覚えるのだった。
何をどうやっても、自分の考えた方のその後を想像しても、出てくる答えは、悲惨でしかなかった。
「正面から見ても、裏から見ても同じだというのは、逃げ道のない洞窟に入り込んでしまったのと同じで、一体どこから入ったのか、そのあたりの基本から分からなくなっていると言わざるを得ないのだろう」
と、考えていた。
マサハルの親戚のおじさんは、バツ3だという。
「そんなに、結婚と離婚を繰り返していれば、結婚も離婚も嫌にならないんですか?」
と中学時代に聞いたことがあった。
「そうだね、基本的には、もう、いいやって思うんだけど、そういう時に限って、現れちゃうんだよ。結婚したいと思う女性がね。しかも、相手もそんなに悪い気がしていない。それを思うと、結婚してもいいなって思うんだよ。そうなると、してしまうのが結婚というものでね。だけど、その時に感じると思うんだ。ダメだったら、別れればいいんだってね」
と、いうのだった。
実に、楽天的な考え方で、聞いていて、呆れてくるくらいだったが、それも、きっと、
「感覚がマヒしてくるんだろうな?」
と感じるのだった。
「子供はどうなんですか?」
と聞くと、
「いや、最初から子供はいらないと思っているから、子供のことを考える必要はない。だから、避妊もちゃんとするし、それよりも、一緒にいること、それだけでいいって感じなんだよな。若い頃のような、ドギドギした感覚はないからね。精神的には落ち着いたものだよ」
というので、
「じゃあ、新婚というよりも、ずっと、前から一緒にいたという感覚なんですか?」
「そうだね、その通りなんだ。だからね、ずっと一緒にいたという気持ちでいるから、少し慣れてくると、お互いにそれぞれを生きなおそうかって気分になっちゃうんだよね?」
というので、
「それって、熟年離婚の人の考え方ですかね?」
と聞くと、
「そういうことになるのかな? 相手も気持ちは同じだったりするので、別にどちらから引き留めるというようなことはない。少しでも、同じ時間を過ごせて楽しかったといって、別れを告げるのさ。だから、離婚しても、そんなにきついなんて思わないんだよ」
というおじさんに、
「でも、離婚って、結婚の何倍もきついっていうじゃないですか? そんなに簡単に別れられるものなんですか?」
「そもそも、離婚ありきで、結婚しているというところもあるからね。一緒にいたいから、一緒にいる。離れたくなったら離れる。それでいいんじゃないかな?」
「何とも、楽天的にしか聞こえないので、いいわけじゃないかって思うくらいなんだけど、実際はどうなんですか?」
「うーん、結婚した時の気持ちが、最初から言い訳を含んでいたようなものだから、離婚の時は、スムーズなものだよ。お互いに、楽しかったね。ありがとうっていうだけさ。離婚がきついというのは、お互いに離婚したいと思ったとしても、財産分与であったり、親権の問題だったりで揉めるからきついんだよね。でも、わしが結婚した相手は、皆そんなことには興味もないし、最初から、共有という感覚はなかったのさ。好きなもの同士が一緒に、楽しく暮らす。それを目的にしていれば、別に、離婚の時にきつい思いをしなくてもいい」
とおじさんは言った。
「じゃあ、結婚というのは、何のためにするんでしょうね?」
と聞くと、
作品名:入らなければ出られない 作家名:森本晃次