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後悔の意味

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「灯台下暗し」
 とは、まさにこのことではないだろうか?
 後になって、つかさに、
「僕のどこを好きになってくれたんだい?」
 と聞いた時、
「あなたの、想像もつかないような発想かしらね?」
 というのだった。
 その時、聞いた質問に対して、最初は頑なに、いや、露骨に嫌な顔をして、回答を拒否していたが、あたかも質問内容が、愚問であるかのような態度だったにも関わらず、湧川は、つかさの態度に何も気づいていなかったのだ。
 つかさという女性にはそういうところがあった。
 相手を決して傷つけたくないという思いからか、嫌がっているのだが、それを何とか隠そうとしているからなのか、嫌がっている様子だけが残って、何を嫌がっているのかという肝心なところが分からない。
「学生時代は、よく勘違いされて、まわりから謂れのない村八分を受けたことがあるわ」
 と言っていた。
 村八分というと、無視されるよりもきついのではないだろうか?
 今では、
「ハブられる」
 という言葉を使うが、その語源として、
「村八分のことだ」
 というのを知っている人が、どれほどいるのだろう?
 そもそも、
「村八分」
 という言葉の意味というよりも、言葉自体を聞いたことのない人も多いのではないだろうか?
 村八分というと、
「村の掟を破った相手に対して、制裁の意味を込めて、集会に呼ばなかったりして、一定の地域に住んでいる人間が集団で、交際を断つことをいう。いわゆる、共同絶交と言われるものである」
 と定義できるだろう。
 今の時代の苛めに精通するものだ。
「そんな言葉をよくつかさが知っていて使ったものだ」
 と思ったが、つかさの場合は勘違いされたものだったので、すぐに修復したのだろうが、この静かな雰囲気は、あまり人付き合いができないタイプとして、
「ひょっとすると、その時のトラウマが残っているのかも知れない」
 と思うのだった。
「つかさには、隠そうとすればするほど、うまく隠すことができないという一面があり、そのため、まわりに勘違いさせることで、内に籠るという特徴があるのではないだろうか?」
 と考えられるのだった。
 だから、余計につかさはまわりの人に差しさわりのないような態度しか取ることができない。
 逆に言えば、今のおとなしい態度はトラウマから来るもので、本当はもっと気が強い女の子ではないかと言えるのではないかと感じるのだった。
 ただ、そのことは、その日の態度では分かることはなかった。一つ分かったことは、
「何かのこだわりを持っていて、それが意識の中で誰かと話すことで膨らんでいって、それを自分で認めるのを怖がっているのではないか?」
 ということであった。
 この日の会話のキーワードは、
「ドッペルゲンガー」
 であった。
 湧川も、夢を連想することで、何かを理解しようと無意識に感じていたようだが、ドッペルゲンガーをなぜつかさが意識するのかというところまでは、分かるはずもないのだった。
 ドッペルゲンガーというと、
「自分に似た人が、世の中には3人はいる」
 と言われるような人ではなく、本当の、
「もう一人の自分」
 ということであった。
 だから、
「同じ次元の同じ時間の別の場所に、もう一人の自分がいる」
 ということになるのである。
 その自分と同じ場所に存在してしまうと、近い将来死ぬと言われているのであった。
 実際に、有名人の中には、ドッペルゲンガーを見たといって死んだ人もいれば、明らかにドッペルゲンガーの存在を感じさせる逸話が残っているもの。あるいは、
「自分が暗殺されるようなウワサ話は流れていないか?」
 と、自分の側近に聞いたところ、その日のうちに、暗殺されてしまったなどという話である。
 最後の話は、アメリカ16代大統領のリンカーンの逸話である。
 ドッペルゲンガーの存在を匂わせるエピソードがあったのが、芥川龍之介であった。
 そんな話が全世界には、いくつも残っていたりする。
 どうして死んでしまうのかということ、さらに、それをどうして、自分で予言できるのか?
 などということは、諸説ある中の信憑性はそれぞれに高そうな気がする。
 信じられない話ではあるが、説得力があるのだ。
 何しろ、世界的にたくさんの例があるのだから、それだけでも、立派な説得力だといえるのではないだろうか。
 つかさという女の子を見ていると、
「どこか多重人格なのではないか?」
 と思えるふしがあった。
 ほとんどしゃべられないのだが、別に一緒にいる、つむぎに寄り添っているわけではない。
 まったく喋らないのであれば、少なくともつむぎに、助け舟を出してほしいという素振りをするものだと思えたがそんなことはない。
 むしろ、つむぎのそばにはいるが、あまり意識をしていないと言った方が正解なのかも知れない。
 相手の初対面の二人の様子を伺っているかのように見えるが、その割に、下から見上げるような視線があるわけでもない。
「この子は、まわりがどうであれ、すべて自分中心の考えなのではないだろうか?」
 という思いであった。
 要するに、つむぎの誘いでやっては来たが、別に興味のない相手なら、無視すればいいという程度の考えているのかも知れない。
 つむぎとしても、つかさのことを、自分の奴隷とまでは思っていないのは分かった。
「女の子二人がいて、どちらかが、明らかに主導権を握って、片方は黙っているような関係であれば、SMのような、主従関係がそこにあるのではないか?」
 と思っても不思議ではない。
 下手をすれば、百合や、レズビアンな関係を思い起こすかも知れない。二人だけの他の人には分からない楽園のものが存在しているのか、あるいは、SMのような主従関係が、友情の歪んだ形として形成されているのだとすれば、この関係も分からなくもない。
 湧川の方としても、最初から、そんな関係もあるかも知れないと、感じていたのは間違いないことだった。
 確かに、見ていると、主従関係に近いものは感じた。しかし、つむぎの方は、まったくつかさに気を遣っている様子はない。しかも、つかさの方も、つむぎに対して、怯えも全幅の信頼も感じられない。
「二人は本当に親友なんだろうか?」
 という思いだけが残り、
「この二人の関係はどこから来るのか? 本当に目に見える利害関係だけが二人を支配しているのではないか?」
 とさえ思えたのだ。
 ただ、一つ気になったのが、たまに、二人はアイコンタクトを送っていた。そこには、どちらからともなくという感じではなく、定期的に、お互いのタイミングがしっかり合っていなければできないアイコンタクトであった。
 それを思うと、
「二人の間に、主従関係はないように見えるが、実は違う形で存在しているのではないだろうか?」
 と、感じるのだった。
 それを考えていると、二人のうちのどちらかが、相手を、
「もう一人の自分ではないか?」
 と思っているような気がした。
 どちらもなのかも知れないが、そこは分からなかった。ただ、どちらかにその意識があるように感じたのは、錯覚だったとは思えなかった。
 ただ、この時の、
「もう一人の自分」
作品名:後悔の意味 作家名:森本晃次