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後悔の意味

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 これも、ある意味、フリッツハーパーと同じで、
「愛国心から出たことが、最期は政治体制の渦の中で、はじき出されてしまう」
 という同じような運命をたどることになるではないか。
 科学者というのは、しょせん、国家の体制というものに対して、無力だということなのだろうか?
 いや、絶対的に強い国家権力に、台頭してくるのが科学者だということであり、本当は科学者に限ったことではないのだろう。
 科学者の方が、印象深く残るから、逸話として語り継がれていることであり、大なり小なり、人間は国家というものに、逆らうことはできないということなのだろう。
 飲んでいる時、湧川はそこまで考えていた。
 結構、いろいろ考える方で、酒が入るとそのスピードが速くなるのが特徴の湧川なので、別にこれくらい、珍しいことではなかったが、女の子との合コンのようなことをしている時に、
「よくこんなことを考えられたものだ」
 と、思ったものだった。
 そもそも考え始めると、どこが節目なのか分からなくなるくらいに、考えが飛躍してしまうところがあるので、人の話をまともに聞いておらず、
「何、ボーっとしてるんだ」
 と言われることも少なくなかったくらいである。
「看護婦って、なかなか辛い仕事だと思うんだけど、どうなんだろうね?」
 と軽く聞いてみると、
「そうですね。たぶん、皆さんが普通に想像することであれば、想像を絶するという表現がピッタリかも知れないわね」
 と、つむぎは言った。
 それを聞いていて、つかさは頷いているだけだったが、その様子を見る限り、
「つかさは、いつもつむぎの後ろに付き添っているような感じなんだろうか?」
 と感じられ、
「まるで俺みたいじゃないか」
 と、いつも、迫田の後ろについて離れない自分のようなものだと思うのだった。
 湧川の場合は、別にそれでもいいと思っている。
 確かに、
「一緒にいれば、そのおこぼれでおいしい思いができるから、一緒にいるんだろう」
 と、まわりから言われるだろうことは、想像がつく。
 しかし、その思いがないと言えばウソになるが、迫田と一緒にいることで、自分が成長できると思っていることも事実であり、これは逆にいえば、
「俺一人だと成長する自信がない」
 ということを認めざるを得ないということを言わんとしているのだということを分かっているということになるのだった。
 迫田は、根っからの、大将気質とでもいえばいいのか、輪の中心にいることで輝くのは間違いなかった。
「では、輪の中心にいなかった時は?」
 と聞かれると、そんな想像はできなかった。必ず輪の中心にいて、その存在感を絶えずまわりにもたらしていた。
 逆に輪の中心にいなければ、どうなるか分からないと、本人が思っているのだろう。だから、真剣にそして、実直に輪の中心になることを求めていて、その後ろ姿を眩しく感じているに違いない。
「人には、その人の持って生まれた資質があって、それを追い求めることが、人生の意義なんじゃないですかね?」
 と、新人研修の時、先輩社員から、
「人生の意義について」
 という質問をされた時に、迫田が答えた回答だった。
 それを聞いて、湧川は、
「この人の説得力はすごい」
 と感じたのだ。
 その言葉にも、そして、言葉を発するオーラにも、どちらも欠かすことのない力強さが感じられたことで、すっかり、迫田の考え方に陶酔していったのだ。
 彼には、彼独自の考え方があり、それを証明することも、一つの生きる意義のように思えるのではないかと感じられた。
「人間ってさ。何もそんなに型に嵌ったような生きる意義を持つ必要なんてないと思うんだ。一つのことを、その時々で大切にする気持ちがあれば、自然と、膨れ上がってくるものなんじゃないかな? 確かに、最初から意義について分かっていれば、そこから派生させていくことができるので、楽なのかも知れないけど、同じことではない。それは加算法と減算法のようなもので、同じ場所をすれ違う時に、見えてくるものが、例えば、上から降りてきた人と、下から上がってくる人とでは、見え方が違う。それさえ分かっていれば、別にどっちでもいいんだと思うんだ。それを変に意識するから、どちらかしか正しいものはないなんて、凝り固まった考えになるんじゃないかな? それぞれの考え方には伸びしろがあって、お互いにすれ違った時、相手を意識できるかということが大切なんだ。それが分かると、もう一人の自分の存在に気づくんじゃないかって思うんだよな」
 と、迫田は言っていた。
「もう一人の自分?」
 と、湧川は、聞きなれない言葉に反応した。
 だが、聞きなれないわりに、違和感はない。ということは、どこか意識しているところがあるということだろうか?
「ドッペルゲンガーという言葉を知っているかい?」
「ああ、聞いたことがある。もう一人の自分というのは、そういうことか?」
 と、違和感がない理由の一つが、このドッペルゲンガーという言葉だと思ったのを同時に、自分の中でも、違和感のない理由を思いついたのだった。
 それは、夢を見た時のことだった。
 夢の中で、時々もう一人の自分の存在を意識することがあった。
 それは、夢から覚めるタイミングを、
「もう一人の自分が出てきたからだ」
 と感じていたのだ。
 だからこそ、もう一人の自分の存在を、
「これほど怖いものはない」
 と感じていた。
 夢の世界から、いきなり現実世界に放り出す力があるのだ。それが、自分の一番怖がっているものであるとしても、無理もないことではないだろうか。
 夢の世界に入るのには、何かコツのようなものがいるのか、眠った時に、必ず夢を見るわけではないではないか。
 しかし、夢から覚める時は、ちゃんと、現実世界に戻っている。このことに対して、最近、湧川は、2つの考えを持つようになった。それも、この時の迫田の話を冷静に考えてのことだったのだ。
 その一つというのが、
「夢から抜ける時に、必ず何かの大きな力が介在していて、その大きな力をもたらしてくれるのが、もう一人の自分というものの存在ではないか?」
 という考え方だった。
 明らかに迫田の考えを踏襲したもので、参考になったという方が正解かも知れない。
 湧川の中には、もう一人の自分の存在という意識が結構根強くあるようで、ドッペルゲンガーという意識とは少し違うものだった。それを後押ししてくれたのが、迫田で、少し違ったイメージを一本の線にしてくれたといってもいいだろう。
 そして、もう一つの感が型というのは、これは、迫田とは関係のないところでの自分だけの考え方だが、それは、もっと夢をいうものを単純に考えたものであり、
「夢というものは、見る日もあれば、見ない日もある」
 という考え方ではなく、そもそも、
「夢は誰でも毎日見ているものだ」
 という考え方である。
 つまりは、
「見た夢を忘れてしまうだけのことなのだ」
 という発想なのだった。
 こちらの方が説得力はありそうな気がするが、
「こんな発想をするのは、俺くらいじゃないかな?」
 と思えてくるほど、大胆な発想に思えた。
 だが、考えてみれば、大胆な発想ほど、意外と誰も気づかないもの。
作品名:後悔の意味 作家名:森本晃次