後悔の意味
「歴史というものを、好きな人は、皆成績がいいんだろうか?」
と、疑いたくなるほどだった。
最近でこそ、歴女なるものが流行ったりして、歴史が好きな女の子が増えてきたが、昔は、
「歴史の話は苦手だわ」
という女性が多かったではないか。
だが、そんな女の子たちの成績が悪かったとは、あまり聞いたことがない。それを思うと、
「俺のように成績の悪い人でも歴史が好きな人がいても不思議ではない」
と言えるだろうが、逆に、
「好きこそものの上手なれ」
という言葉があるではないか。
自分の場合は、
「下手の横好き」
なのだ。
どっちも当てはまることわざがあるということは、
「好きだが、成績が悪い」
というパターンと、
「嫌いだが、成績だけはいい」
というパターンの両方が多いといってもおかしくはない。
学問というのが面白いと言われるのは、そういうおかしなところも含めてのことではないだろうか?
そういう意味で、化学というものも、最初は、興味を持っていたが、成績はパッとしなかった。
だが、勉強しようという意識を持っていると、成績も不思議と上がっていった。
歴史の場合は、
「勉強しよう」
という意識ではなかったのだ。
というのも、勉強するということは、興味を持った後に、自分がそれを勉強だと思うかどうかということであり、薬学の場合は、勉強だと思った。しかし、歴史の場合は勉強というよりも、どちらかというと、
「遊び」
に近い感覚だったのだ。
ただ一つ言えることは、
「そのどちらも、自分にとって、いや、人間が生きていくうえで、大切なことだ」
ということであった。
遊び心があるのは歴史であり、それは、あらゆる学問が歴史に結びついてくるということが、意識することなく分かっていたからではないだろうか?
薬の勉強にしても、過去の人たちが、いろいろ研究を重ねてきた、
「歴史」
というものがあるからではないだろうか?
歴史という側面には、時系列というゆるぎないものがあり、それは決して動かすことはできない。だから、家康の後に、信長は存在しえないといえるのではないだろうか?
「信長がいたから、家康が存在した」
これが、一つの歴史が示した答えである。
昔見た、歴史上のある事件の映画を思い出すと、そのクーデターは失敗に終わったのだが、そこで将校が、自分の部隊の兵に向かって、
「我々が正しかったということは、必ず歴史が答えを出してくれる。だから、諸君は、胸を張って行進し、原隊に復帰していってくれ」
と言っていたシーンを思い出した。
だから、
「歴史は簡単に答えを出してはくれないものだ」
と感じたのと、その理由として、
「時系列が、絶対的なものだ」
と感じたからであった。
そんな時系列は、ある意味、万能なものだとも考えていた。その万能という意味は、
「どんな学問に共通だ」
ということであった。
学問にだって、すべて歴史がある。それは、すべて、人間が作り出したものだからだ。そして、その人間に歴史がある以上、時系列が密接にかかわってくる。そういう意味で、学問が好きな人は、歴史を避けて通ることなどできないのではないかとも考えたりした。
それを思うと、自分が、薬品に興味を持ったのも、何となく分かる気がする。
基本的に、学校で習う薬品というと、
「読んで字のごとし」
で、人間の身体を治す薬であったり、逆に、害となる薬の場合もある。
かと思えば、ピクリン酸や、ニトログリセリンなどのように、爆弾として使われるものもある。
火薬としては、TNT(トリニトロトルエン)のようなものもあり、これも、れっきとした、
「歴史の産物」
だといえるだろう。
そういえば、今から100年くらい前のドイツの科学者で、フリッツ。ハーパーという物理学者がいた。
彼は、空気中の窒素から、アンモニアを生成するという、
「ハーパーボッシュ法」
という方法を考案し、人類を飢餓の危機から救ったと言われている。
実際に今も、その方法から、肥料を作ったりしているという。
彼はこの技術の功績が認められ、ノーベル賞を受賞することになるのだが、その反面、彼には、恐ろしい側面があった。
第一次世界大戦において、ドイツ帝国と、イギリスなどは、新兵器開発において、先行していたと言われる。
この時代において、航空機であったり、戦車などの大型兵器の開発が行われた半面、化学兵器が密かに研究されていたのだ。その最たるものが、
「毒ガス開発」
だったのだ。
神経ガスや、マスタードガスなどの、死ななくても、後遺症が残ってしまう恐ろしい兵器である。
しかも、無色透明で風に乗って運ばれてくるので、その存在に気づいた時は、もう時すでに遅しということである。
そんな兵器を、フリッツ・ハーパーは開発していたのである。
彼は言う。
「自分は、一人の科学者であるが、国家の危機に際しては一人の国民として、国家が戦争をしていれば、国家の勝利のためには、どんなことでもする」
というのだ。
実際に、大戦中は軍に入って、闘い。開発した毒ガス戦の指揮を取ったりしていたのだ。
そのうちに、イギリスも、毒ガスを開発し、戦場では、
「毒ガス合戦」
の様相を呈してきたのだった。
そんな彼を奥さんのクララは、毒ガス開発を非難していたというが、それに抗議して、自殺を試みたと言われる。
ただ、この自殺には諸説あり、彼女も天才的な科学者だったのだが、結婚したことで、夫から自分の科学者としての立場を奪われたとして、不満を持っていたことで、自殺はそれに対しての当てつけという話もあった。
どちらにしても、ハーパーは、人類を飢餓から救ったという功績と同時に、拭い去ることのできない、毒ガス開発というものの汚点の両方で功績があったということだ。
彼は、正反対のことで功績があったことになるのだが、彼が考えたことは一つだった。彼の行動のほとんどが、
「愛国心」
というものに尽くされていたが、のちに彼がユダヤ人であるということを理由に、祖国を追われることになった。
しかし、外国に行くと、今度は、
「毒ガス開発者」
ということで風当たりは強く、まともに受け入れられることのない晩年だったという。
奥さんのクララのこともあったが、
「彼ほど、ジレンマに苛まれた科学者はいない」
と言ってもいいかも知れない。
それが、受け入れられないという問題なのか、人類を救う研究と、大量殺戮という罪の研究の板挟みにあるのか、それは、きっとその時代を生きた人間と、本人にしか分からないことであろう。
つむぎと、つかさ
そんなフリッツ・ハーパーの話を聞いたことで、科学者の罪と罰を考えるようになると、「マンハッタン計画における科学者がどうだったのか?」
とも考えるが、こちらも開発責任者のロバートオッペンハイマーが、最初は、原爆において、
「戦争を早く終わらせた立役者」
として、アメリカの英雄となり、その後の発言力が大きくなっていったが、晩年では、何と、
「ソ連のスパイ容疑」
を掛けられ、追放されることになる。