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後悔の意味

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 この日は、
「合コンのようなもの」
 と、湧川は感じていたが、実際には、
「のようなもの」
 ではなく、本当の合コンだったのだ。
 つむぎには、前述のように彼氏がいる。そのことは、皆知っているはずのことなので、計画者である迫田は、主人公ではない。
 となると、主人公は必然的に、湧川であり、その相手としてキューピットの矢が当たったのが、つかさなのだろう。
 迫田ほどの人が、そう簡単に、何も考えず、
「こいつとこいつをカップルにしよう」
 などと安易に考えるはずなどないと、湧川は分かっていた。
 それに、その計画につむぎも関わっているのだ。もう一人の自分を相手に感じさせるほどのつかさを紹介しようというのだから、彼女の方も無責任なことをしているわけではない。
 そうなると、この合コンは結構ガチであり、しっかりと計画されたものなのかも知れない。
 ということを考えていくと、
「最初から計算ずくのことだったのでは?」
 と思えてきた。
 迫田は、当然、湧川がいつも、最低でも待ち合わせの10分前には来ていることを知っているので、それを狙って、最初に女性二人と、湧川の3人にしようと考えたのかも知れない。
 その発想は、
「ひょっとすると、つむぎから出た可能性があるのではないか?」
 と、湧川は考えた。
 つむぎという女性は、実に計算高いところが感じられる。
 その計算というのは、
「頭の回転が速い」
 というところから来ていて、その速さは人尾数倍ではないかとも思えるほどだった。
 逆に、発想に限界があれば、行き着いてしまったところから折り返してきて、相手を正面から見た時に。普段思いつかないような発想が生まれてきて、それが、tsむぎという女性の本来の姿ではないかと思えた。
 もし、つかさにもつむぎにも、
「もう一人の自分」
 の存在を感じたのだとすれば、折り返してきたつむぎと目が合ったその時ではないかというのは、あまりにも強引な発想だといえるだろうか?
 そんなことを考えていくと、次第に会話がなくなってきていることで、その場が、少し凍り付いてきた雰囲気になってきた。
 さすがに、これには、迫田もつむぎも計算をしていなかったようで、どうすればいいのか、二人の間でアイコンタクトが激しくなっているようだった。
「ところで、つかささんのお仕事って、結構大変なんでしょう?」
 と、迫田の、その場の雰囲気を変えるつもりのセリフであろうが、あまりにも、ベタな質問に、逆に、他の3人は我に返ったようだった。
「それまでの凍り付いていた時間が、なかったのではないか?」
 と思うような感覚があり、その感覚が、我に返らせたのであって、
「店に来てから今までがあっという間だった」
 という感覚とは別に、
「思ったよりも、時間がかなりかかったのではないか?」
 という思いの二つがあり、どっちが本物かというよりも、信憑性がある、つまり、納得がいくのだろうか?
 という思いなのではないかと思うのだった。
 時間というものに、ここまで曖昧なものを、3人が3人とも感じたことはなかっただろう。ただ、この時ではないが、迫田も別の時に、同じ感覚を味わったことがあったというのを、この3人はまったく知る由もなかったに違いない。
 迫田は、そういうタイプの男で、やはり、この4人の中では突出したような存在だといっていいだろう。
 つかさという女の子を観察して見ていた。
 たぶん、迫田とつむぎの態度から、
「俺と、つかさをくっつけようと考えている」
 と思えば、その態度にはしっくりくるものがあった。というか、納得がいくといった方がいいだろう。
「だったら、その挑戦に乗ってやろうじゃないか」
 と思ったのだ。
 第一印象は、少し暗めの女の子だという雰囲気はあったが、実は嫌いではない。むしろ、変に賑やかな女の子よりもよほどいいと思っている。賑やかな人は得てして相手の気持ちを考えようとしないところがあり、そこが気に入らないのだった。
 ただ一つ気になるのは、何か目つきがきつそうな気がしたのだ。
 気が強いという雰囲気だといっていいのだろうが、気が強いということは、ある意味、いい意味での解釈であった。
「気が強い人で苦手だ」
 と考えるのは、まず、融通が利かないと考えるからで、そんな人は、空気が読めないのではないかと感じ、悪い意味で感じてしまうのだ。
 しかし、逆に気が強い人は、まわりに流されないという意識もあり、どちらかというと、
「人と同じでは嫌だ」
 と感じている湧川にとって、まわりに流されない性格は、自分にとってありがたい性格であり、
「気が合うかも知れない」
 と感じさせられるに違いない。
 どれを優先して考えればいいかということになるが、正直そのどれも捨てられない。悪く感じるところは、保守的な防衛反応という意味で、外せないのだが、いい面というのは、一歩進んで、実際に付き合うとなった場合に重要になってくるところだ。
 そういう意味で、
「付き合ってみたい」
 と思える何かが見えてこないと、話は始まらないわけだが、果たしてそんなものが本当に見つかるのかとうか、難しいところであった。
 つかさが、つむぎの、
「もう一人の自分を形成しているのだとすれば、つむぎを見ていても、分かってくる部分があるのではないだろうか?」
 と感じた。
 つむぎを見ていると、
「つかさよりも、分かりやすそうな性格だな」
 というのは、社交的で開放的に見えるからというのもあるが、実直なところが、開放的なところと相まって、何でも曝け出してくれているように思えるのだ。
「学生時代は、いつも輪の中心にいたんだろうな?」
 と思い、想像を巡らせると、いつも必ずそばには、つかさがいるように思えてならなかった。
 まるで、仏像の雰囲気を感じた。如来や菩薩がいて、左右に、小さな明王や天部が控えているかのようである。
 そもそも、如来と菩薩というもので違ってくる。
 如来というものが、仏像の世界のピラミッド形成の一番上に君臨しているもので、
「悟りを開いた者」
 のことである。
 お釈迦様や、阿弥陀様、薬師如来などが、如来と呼ばれている。
 菩薩というのは、悟りを開くために、修行しているものであったり、人々の救済をするという役割がある。
 弥勒菩薩であったり、観世音菩薩、いわゆる観音様、お地蔵様などが、その中に入るのだ。
 といっても、如来も菩薩も有名な仏は一部で、もっとたくさん知られるべきではないのだろうか?
 明王部で有名なのは、不動明王で、仏の教えに背くものを懲らしめるという役であり、
天部といわれる最下層には、
「仏とその教えを守り、人々に、現世利益をもたらす」
 といわれている。
 帝釈天、梵天、四天王、弁財天、大黒天などが有名で、七福神が含まれていたりするのだ。
「如来や菩薩がどっちで、下に控えている天はどっちなんだろう?」
 そんなことを考えていると、
「まるで禅問答のようだ」
 と考えるようになっていく。
 それは、先ほど考えた、
「合わせ鏡」
作品名:後悔の意味 作家名:森本晃次