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真実の中の事実

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「完全に頭の中が真っ白になった」
 と言ってもいいほどの衝撃を受けた。
 彼女は、笑顔だったわけではなかった。ただ佐伯がいることに、ビックリはしたようだったが、それはほんの一瞬で、きょとんとしていたと言った方が正解だったかも知れない。
「ごめんなさい。お掃除してもよろしいですか?」
 と、一瞬だけとはいえ、あれだけ驚いたくせに、それ以降は初対面であるということも意識せず、淡々と掃除を始めた。
 だが、後で聞いた時、
「あの時、私も電流が走った気がしたのよ。だから、あの後、必死で平静を取り繕っていたでしょう?」
 というではないか。
「なるほど、先輩だから、あんなに落ち着いていたと思って、この会社は、化け物ばかりがいるところなんじゃないか?」
 と思ったが、実はそんなことはないようだった。
 後で聞くと、彼女は確かに先輩でもあり、年齢も自分よりも上だという。
「見た目は、未成年にしか見えないのに」
 というのは後から考えたからそう思っただけで、本当は、
「こんなにかわいいのに、何て凛々しい堂々とした態度なんだ」
 ということであった。
 それなのに、あれだけ落ち着いていたのに、その最初の驚き方は、滑稽に見えるほどだった。
「まるでニワトリが驚いたような感じだったよ」
 というと、
「いやねぇ、そんな風に見えていたの?」
 と言って、お互いに笑ったほどである。
 彼女は、名前を高山和代といった。ショートカットがよく似合う女の子で、
「そっか、凛々しく感じたのは、このショートカットが、ボーイッシュに見えたからなのか?」
 と感じたからだった。
 しかも、
「ショートカットが似合う女の子は、ロングにしても似合う」
 という考えを独自に持っているのが、佐伯だった。
 もちろん、個人の勝手な思い込みだったが、ほぼ今までその考えに違いがなかったのも事実である。
 今まで、ほぼ一目ぼれのなかった佐伯が初めての一目ぼれだったのだ。
 今までの佐伯が人を好きになる過程というのは、まず、その顔を見て性格を判断するのだ。
「笑顔がかわいい」
 であったり、
「凛々しさがハンパない」
 などと言った印象を受けることで、
「この人は優しいだ」
 とか、
「頼りがいがある」
 などというところである。
 どちらにしても、それは、まるで女性が男性に望むようなことだが、佐伯の中では、
「男であろうが、女であろうが、異性を好きになるというのは、本来同じところからくるのではないか?」
 と思っていた。
 それは、人間の起源が同じものであり、そもそも、
「進化する前の人間というのは、同じ身体の中に、男性も女性もいたのではないだろうか?」
 という考えを持っていた。
 一般的な動物は、雌雄異体なのだが、中には、雌雄同体であったり、種によっては、雄と雌が状況によって、コロコロ変わる動物がいるという。
 動物というのは、実に面白いものだ。
 そんな中に、コウモリという動物がいる、
「卑怯なコウモリ」
 という話を皆さんはご存じであろうか?
 これは、イソップ寓話の中に出てくるものだが、
「獣と鳥が戦争をしていて、獣に遭えば、自分には毛が生えているという理由で、自分を獣だといい、鳥に遭えば、羽根があるという理由で、自分は取りだといって、うまく立ち回っていたのが、コウモリなのだが、そのうちに、獣と鳥が戦争やめると、うまく立ち回っていたコウモリの存在が問題になり、どちらからも相手にされなくなり、結局洞窟の奥深くに入り込んでしまって、活動するのは、誰もが寝静まった夜の、しかも、実に限られた範囲でしかないということになった」
 という逸話である。
 コウモリのような動物もいるのだから、雄と雌が状況によって変わる動物がいても、不思議はないような気がする。
 むしろ、特殊な雌雄異体や、雌雄同体というのは、人間から見て、異端に見えるだけで、他の動物からみれば、当然の種族なのかも知れない。それだけ自然界というのは広いということなのだろう。
 佐伯は、自分が好きになった女性を思い返してみると、徐々に好きになっていったこともあって、思い出そうとしても、どの段階で好きになったのかということが意識できない気がしていた。
「ひょっとすると、本当に好きになったのではないのかも知れない」
 と思うほど印象が薄いものであるが、それも、この時の一目ぼれがあまりにも、強烈な印象だっただけに、それまでの印象がまるで、影が薄れていくかのように感じられたのである。
 その時の和代は確かに笑顔が素敵だった。えくぼがハッキリと分かるほどで、
「包み込むような笑顔というのは、ああいう笑顔のことをいうのだろう」
 と感じたほどで、次に感じた凛々しさは、笑顔が最初にあったからに違いない。
 最初にあった笑顔が強烈だったからなのか、その後に感じた印象がイメージが違いすぎて、却って最初に感じた笑顔がどのようなものだったのか、思い出せないくらいだった。その印象が、自分の中で、
「初めて女性を好きになるのは、本能から来るものだ」
 ということを、教えてくれたような気がした。
 実際に好きになってみると、それまでの自分の人生が急にリセットされたような気がするから不思議だった。
「別に相手も自分が好きで、付き合い始めたわけでもないのに」
 と感じるのにである。
 実際に、今まで付き合ったことがある女性にだって、本当に自分のことを好きだったのかどうか、分かるわけではなかった。むしろ、別れてから、付き合っていた時期の記憶がすぐに薄れていったくらいで、それを感じたのが学生の頃で、その頃から、
「人の顔が覚えられない性格なんだ」
 と思うようになった。
 それまでは、確かに覚えられないという意識はあったが、それ以上に、思い出そうとする機会がなかったことで、思いはあっても、それが意識として定着していたかどうか、ハッキリとはしないのだ。
 人の顔を覚えられないというのが、すぐに忘れてしまうというのか、それとも、特に印象に残らないから、覚えていないだけなのかということを考えていたが、好きになり、忘れたくないと思う人の顔でさえ忘れてしまうのだった。それは、
「本当に好きになった相手ではない」
 ということなのか?
 もし、そうだとすれば、
「今まで好きになったという感情が、すべてウソだったということになる」
 ということなのかと、疑ってみたくなるのも当然のことで、実際に、この時和代に感じた思いが本当に好きになったということだとすれば、
「もし、別れることになったとしても、その顔を忘れることはないだろう」
 と思っていたが、果たしてどうだったのか>
 年老いてから思い出そうとしても、実際に思い出すことができる。特に初めて見た時のあのセンセーショナルな印象は、忘れようとして忘れられるものではない。
 今から思えば、忘れることのないものというのは、30年も40年経っても忘れるものではない。むしろ、余計に印象が強いものだ。
「年を取れば、よく若い頃のことを思い出す」
 というが、それは、あくまで、決して忘れてはいけないと思うことだけでしかない。
 だから、皆が皆、
「年を取れば、若い頃のことを思い出す」
作品名:真実の中の事実 作家名:森本晃次