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真実の中の事実

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 というわけでもない。
 ただ、楽しかったという時期を思い出すのだ。
 それが、熟年であってもいいはずだ。しかし、人間というのは、若い時の思い出が一番強かったり、感受性が強かったりすることで、余計にそう思うのかも知れない。
 だが、中年になって思うことは、
「若い頃よりも涙もろくなった」
 と思う。
 それはあくまでも、若い頃の経験があって、年相応の感覚から若い頃のことと、感受性を受けることをシンクロさせるからであって、涙もろくなったのは、何も、熟年になったからだというわけではない。
 それでも、それだけ、柔軟な感受性になってきたからだといってもいいのだろうが、比較対象になるのは、若かった頃のことであろう。
 今から思えば、そのことを、かつて感じたことがあったと思っていたが、それが、初めて和代を見たその時だったのだ。
「そういえば、あの時も、年齢を重ねてから、また同じような思いに至るのではないか? ということを感じたような気がしたな」
 というのを思い出したのだ。
 実際に年を取ってから、その頃のことを思い出そうとすると、確かに、シンクロしたかのような印象で蘇ってくる。
 ただ、同時に、あの時、
「彼女とのことは、一筋縄ではいかないような気がする」
 という、ネガティブな感覚になっていたのも事実だった。
 実際にその通りで、最初に感じた笑顔をずっと忘れずにいたから、必死になってしがみついていたともいえるかも知れない。
 確かに、
「俺には、和代しかいない」
 とずっと思っていたのは間違いのないことで、それは、今でも同じことなのかも知れない。

                 偶然のきっかけ?

 和代のことを佐伯が好きだということは、どうやら、公然の秘密のようだった。特に事務の女の子や、倉庫のパートのおばちゃんたちには、バレバレだったようだ。こっちは必死に隠そうとしているのに、そんなことはお構いなしのようで、少し鈍い佐伯にも、まわりの不穏な雰囲気は漏れてくるのが分かった。
 そんな時、一人のおせっかいなおばさんが、
「佐伯君は、和代ちゃんのことが好きなんじゃろう?」
 と、方言バリバリに話しかけてきた。
「あっ、いや」
 と、わざとらしく見えるほど、狼狽えていたが、実際には、
「その通りだ」
 と言っているのと同じだった。
 だが、内心では、
「本当は気づいてほしかった」
 という思いもあった。
 社内恋愛がどういう意味を持つのかという本当のわけを知らなかったこともあって、話題になるのは嫌ではなかった。
 学生時代、話題になりたくても、面白みも何もない自分が目立つことはないだろうと思っていたが、田舎の人間から見れば、都会からやってきた新入社員というのは、実に珍しく、興味深いものに違いない。
 それにしても、ここまでズバリと言われると、狼狽えたのも、まんざらというわけでもなかったのだった。
「よく分かりましたね」
 と聞くと、そのおばちゃんは、
「そりゃあ、そうよ。私はあなたの倍以上生きているのよ。子供があなたと同じくらいなので、そのあたりも分かるわよ」
 というのだった。
「このことは、他の人には、言わないでくださいね」
 と言って、人差し指を立てて、口元に持って行ったが、それを委細かまわずに、
「何言ってるのよ。皆知っていることよ。もう、ここまでくれば、公然の秘密というところね」
 と、まるで、鬼の首でも取ったかのように、おばさんは自慢げに言うのだった。
「そうなんですか?」
 と、別に困った様子を見せるでもなく、頷いた。
「それでね。今度、二人でデートすればいいじゃない。実は博物館の券が2枚あるのよ」
 と言って、チケット入れにキチンと入った状態で手渡してくれた。
 入れ物まであるということは、貰ったわけではなく、実際に買ったものではないかと思った。
「ここまでしてくれるんだ」
 と、ホロッとした気分になったが、それだけ田舎の人たちは人情に厚いということなのだろうか?
 ただ、気を付けないと、興味本位ということもあるかも知れない。だが、せっかくの好意を無にすることもないだろう。
 実際に、彼女と近づきになりたいのは事実であり、そのきっかけがほしいと思っているのも間違いではない。それを思うと、
「せっかくだから、もらえるものは貰ってもいいだろう」
 という思いが強くなった。
 デートと言っても、まったくしたことがなかったわけではなかったので、何とかなるだろうと思ってはみたが、逆にこちらが、元々、都会の大学生だったということから、
「過度の期待を受けるのではないか?」
 とも思えて、
「中途半端なことはできないか」
 と、またしても、考え込んでしまった。
 だが、郷に入っては郷に従え、どうせ、都会ではないんだから、背伸びすることもないと思うと、気が楽になってくるのだった。
 問題は、普通に彼女を誘って、来てくれるかどうかということだった。
 転勤してきてから、2週間、正直、彼女と普通の会話も交わしたこともなかったことを、いまさらのように思い出したのだった。
 だが、きっかけというのは、案外とそのあたりに転がっているもので、まるで絵に描いたように、チケットを渡せるきっかけができた。
 その日は、仕事で遅くなり、一番最後に営業から会社に帰ってきたのだ。あたりは薄暗くなっていて、すでに、会社では提示を過ぎていて、5時が定時だったのだが、帰社した時間は、6時を過ぎていた。
 会社の敷地内の駐車場は台数が限られているので、社員の何人かと、営業車は、近くの月極駐車場に会社が契約してくれている場所に止めることになっていた。
 和代もその駐車場に車を止めているのは分かっていた。彼女がどんな車に乗っているのかというのも知っていたくらいだ。
 今なら、
「ストーカー」
 と言われるかも知れないが、当時はストーカーなどと言う言葉もなかった。
 もし、当時そんなものがあれば、恋愛はかなり少なかったかも知れない。今でも、もし、ストーカーのようなものがなければ、犯罪は少ないかも知れないが、それ以上に、恋愛に対して積極的になれないだろう。
「あいつは、ストーカーだ」
 などというレッテルを貼られてしまえば、恋愛どころではない。
 犯罪者扱いという目で見られることを思えば、皆が前に進むことができず、恋愛を考えることができないだろう。
 特に、
「草食系男子が多い」
 と言われる世の中、その一番の理由は、ストーカーと恋愛の線引きができもしないのに、ちょっとでも怪しいといえば、ストーカー認識してしまうことからであろう。
 しかも、今の時代は、男女平等という観念が特に強い。この問題は、コンプライアンスの問題と絡んで、男が一歩踏み出せない問題として、
「冤罪」
 という発想が生まれてくるからだ。
「女がいると会議が長い」
 という言葉を言ってしまった、ただそれだけのために、オリンピック委員会の委員長を辞める羽目になってしまった政治家がいたではないか。
 しかも、時代はちょうど、世界的パンデミックの真っただ中。東京で開かれたオリンピックでの問題である。
作品名:真実の中の事実 作家名:森本晃次