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真実の中の事実

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 と思われるほどだったのだが、それは、差しさわりのない関係が築けるという感覚が大きかったのかも知れない。
「深くなりすぎず、それでいて、いつもそばにいてくれるという、絶妙な距離感」
 が相手に癒しを与えるのだった。
 だから、佐伯の場合、自分が癒しを貰いたいと思っていても、相手から見れば、
「癒しを与えてもらえる相手」
 として見てくれていることで、相手に求めるものは同じなのだが、それこそ、
「交わることのないのが平行線」
 ということで、まったく同じ方向を見ていても、最初の位置が違っていれば、交わるということはありえないということを示しているといってもいいだろう。
 お互いに広がっていく角度を持っていたとしても、下手をすると、
「地球を一周して、戻ってきたところで、交わることだってあるだろう。何しろ地球は丸いのだから」
 ということになる。
 それがどんなに果てしなく、時間が掛かろうともである。
 それを考えると、令和の今になるまで、結婚することもなく、彼女と言える人はそれなりにいたことはあるが、自然消滅してきたのは、
「無理もないことだったんだな」
 と、考えるようになった佐伯だった。
 だが、最近気になる女の子が現れた。
「どこかで会ったような気がする」
 と思うと同時に、
「何だ? この胸の高鳴りは?」
 思春期に戻ったかのような感覚は、何十年と考えたことのなかったことであった。
 好きな女の子への感情を明らかに超越している。本当に、忘れていた何かを思い出したのだが、その何かというのが曖昧で、ただ、懐かしさの中にあるというのだけは、本当のことのようだった。

                 22歳の恋

 転勤してきてから、焼き肉を食べて、海を見に行った。海と言っても、都会の海とは、かなり違っているのがよく分かる。それは、当然といえば当然のことなのだが、後ろを振り向いた時、夜景との代名詞ともなるネオンがほとんどないのである。
 佐伯が通学していた大学があるところは、
「海が近く、山も裏から迫ってきている」
 というようなところだっただけに、
「百万ドルの夜景」
 と称されるところで、
「日本三大夜景」
 の一つに数えられている。
 ただし、諸説あるようで、その所説によって、ここが省かれることがあるようだが、それはあくまでも、
「見る位置によるからではないか?」
 と佐伯は思っている。
 どちらにしても、日本有数であることに違いはない。それに比べれば、さすがに見劣りするのは当たり前のことだった。
 ただ、この街の夜景で気になるところは、
「奥に見える製鉄所」
 だったのだ。
 夜でも、きれいに光って見えている。しかも、蛍光色もあれば、白色照明もあり、赤い警報色もあったりする。
 半分くらいが、点滅していて、そのスピードがすぐには点滅していることが分からないくらいに、ゆっくりと点滅しているので、他の光との時間差で、さほどゆっくりと感じさせないところが、一種の、
「光の魔術」
 を、映し出しているのである。
 それを思うと、夜景というのは、
「都会だけがキレイだ」
 という意識は間違っているのではないかと思うのだった。
 いくら、寂しく見えても、寂しいだけに、暗さに慣れてくると、その暗さの中から浮かび上がってくるものが、次第に輝いて感じられるようになるということが、分かってくると、
「いつまで見ていても飽きないな」
 ということを思わせる。
 ただ、潮の匂いは、都会でも田舎でも変わりはないものだ。それでも、
「ここが田舎だ」
 という意識を持ってしまうと、匂いが強烈に感じられるのは、錯覚というよりも、もはや妄想ではないかと思われるくらいだった。
 防波堤に立っていると、波が打ち寄せる音が聞こえてきて、急に足がすくんでくるのを感じさせる。
「ここから、落ちたら、誰か助けてくれるだろうか?」
 と、思うとゾッとする。
 季節はまだ、暑さが残っているとはいえ、風が吹いてくると寒さがこみあげてくる。それを思うと、足がすくんで動けなくなるのも無理もないことであった。
 車を防波堤の先まで行って、ギリギリのところに止めたが、その先の方には数台の車が止まっていた。
「釣り客なんだろうか?」
 と思ったが、近寄ってみる気はなかった。
 なるべくつかず離れずくらいの距離にいて、海を見ていると、囁きの声が聞こえてくるようだった。
「だけど、本当は誰も何もしゃべっていないんだろうな?」
 とは思ったが、錯覚であればあるほど、この距離が一番いい距離なのだということを感じるのだった。
 あくまでも、自分は一人で来たのだし、人の邪魔をしたくないという思いと同じくらいに、
「自分も邪魔されたくない」
 と感じるのだった。
 海を見ていると、本当に落ちてしまいそうになった。そもそも、佐伯は高所恐怖症なので、高いところは苦手だった。そう思いながら、防波堤から、海を覗き込むと、静かな波が遠くから差してくるわずかな製鉄所の光に照らされる感じで、ゆっくりと靡いているのが見えるのだ。
 反射しているといっても乱反射であり、しかも、わずかな光なので、水面までお距離が分からない。
 分からないだけに恐ろしさがある。その恐ろしさは、却ってゆっくりと靡いていることで気持ち悪いのだ。
「落ちてしまうというよりも、吸い寄せられる感覚だ」
 と感じた。
 最初は見ていて、落っこちそうな感じに逃げ出そうと思ったのだが、完全に首が痛くて動かない。下を向いたままで動かない感覚を覚えると、今度は、頭を上げることが怖くなってきた。
 首を動かすことも身体を動かすこともできるのだが、どうしても動けないのは、
「頭を上げてしまうと、意識が朦朧としてしまい、そのまま海に落ちてしまうのではないか?」
 と考えたからであった。
 まさか、本当に落ち込むわけはないと思うのだが、そう思っている以上、動かしてしまうと、勝手に身体が動いてしまって、潜在意識が勝手に海に向かって落ちている自分を想像し、
「その通りにしないと、意識が自分を許せない」
 と思うのではないかと感じるのだった。
 さすがに、今日、死にたいとも思っていないのに、ここで飛び込むわけにはいかない。それよりも、
「この場所から飛び込みたいと思ったとしても、思い切って飛び込む勇気を、その時に持つことができるだろうか?」
 ということであった。
 決して、持つことなどできるはずはないと思っている。
 それに、
「死ぬ結城など、そう何度も持てるものではない」
 と感じたからだ。
「あれ? 俺はかつて、死ぬ勇気なんか持ったことあったんだっけ?」
 と感じた。
「死ぬ勇気」
 と、
「死にたい」
 と思うことではまったく違う。
 死にたいと思ったことはあったと思うのだが、だからと言って、その時に勇気が持てたのかと言えば、疑問である。そもそも、
「死ぬ勇気が持てたのなら、その時に死んでいてもおかしくないし、ましてや、そんな感情を持っていたなどということを忘れているというのもおかしな気がするではないか」
 と思うのだった。
作品名:真実の中の事実 作家名:森本晃次