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真実の中の事実

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 携帯電話などのなかった頃、昔は、10円に両替して公衆電話に並んだものだ。100円が遣える緑の公衆電話ができた時は、すごいと思ったが、そのうちに、テレフォンカードというものができた。それが普及し始めたのが、ちょうど昭和の終わり頃だっただろうか?
 いわゆる、電電公社が民営化されて、NTTに変わった頃のことである。
 さらには、同じく民営化された国鉄。JRに変わった頃は、オレンジカードなるものがあり、
「小銭がなくとも、切符が買える」
 というものである。
 これがいわゆる総称して、
「プリペイドカード」
 と呼ばれるものだった。
 実は、いろいろな産業でプリペイドカードが普及していったが、問題がある業界もあった。
 それが、パチンコ業界であった。
 ここは、昔は、
「みかじめ金」
 などという問題があり、パチンコ屋は個人経営が多かったことで、プリペイド制にすると、商売あがったりのところがあった。
 実は、その問題を含めてのプリペイド化だったのかも知れないが、何か改革をしようとすると、すべてがうまくいくということはなかなかないだろう。
 それを思うと、今まで発展してきた文化の裏で、人知れずすたれていった産業も多いだろう。
 元々、一世を風靡した産業だったのだろうが、元々自分たちが出てきた時も、それまで活躍していたものを、人知れず潰していったのかも知れない。
「それが歴史であり、文明だ」
 というのであれば、それはそれで仕方のないことなのかも知れないが、一抹の寂しさは免れられないだろう。
 そう思うと、
「答えを出してくれる」
 というはずの歴史は、どれほどむごい答えを出すのか分からないといってもいいのではないだろうか?

                 令和の世

 そんな時代を生きてきての、この令和の時代において、佐伯は、もう、
「アラカン」
 と言われる世代に入ってきた。
 いわゆる、アラフォー、アラサーなどと同じ使い方で言われているのだが、その意味としては。
「アラウンド還暦」
 つまり、四捨五入して還暦になる年齢というわけである。
 大学を卒業して入社した会社ではうまく行かず、結局、結婚もうまくいかなかったことで、会社を辞めなければならなくなった。
 そこで、かつて大学で研究していた歴史を生かして、考古学の研究として、発掘のアルバイトをしていた時、昔のノウハウが生きたのか、その時の教授に気に入られて、
「どうだい? 私の下で、歴史の研究をやってみないか?」
 と言われ、そのまま発掘作業をしながら、歴史の勉強を再度始めたのが、30歳になってからだった。
 それから、研究に研究を重ね、論文もいくつか発表し、自他ともに認める。
「歴史研究家」
 となったのだった。
 本を読むことを絶えず忘れず、論文にもしっかりと向き合った。そのおかげで、学生時代の頃の知識に追いついてくるまでにそんなに時間はかからなかった。
 おかげで、40歳過ぎであったが、准教授ということで、大学で部屋ももらえる立場になり、大学での立場もしっかりと確立するようになっていた。
「大学で授業が受け持つことができるなんて、夢のようです」
 と、自分を拾ってくれた教授にはいつも感謝をしていた。
 ただの発掘のアルバイトから、ここまで来るのに、時間もかかったし、苦労も重ねた。だが、それまでの人生とはまったく違った世界がここには広がっている。ただ、最近思うのは、
「一番人生で大切だった時代を、自分はどういう形で過ごしてきたのだろうか?」
 という感情である。
 大学を卒業してすぐの22歳から、24歳まで、この間に、一つの大きな山があった。
「人生、最初で最大の山だ」
 といってもいいかも知れない。
 その山が、悲惨な形で終わりを告げると、放心状態の時期が1年、いや、2年は続いただろうか? 何をするにもまったく行動できない。本当につらい時期だった。
「まさか、俺があんな風になるなんて」
 と思うほどの悲惨な毎日だった。
「何を食べてもおいしくない。息をしているのが、辛いくらいだ」
 と、そんなことを考えていた。
 20代前半というと、食べても食べても、お腹が膨れないといってもいいくらいの年齢だったではないか。
 その証拠に、
「お金がもったいない」
 と思いながらも、毎日のように、夕食は、
「焼肉食い放題」
 だった時期があったではないか。
 毎日のように、キチンと元も取っていた。そんな毎日は、お腹も心も充実していたのではなかったが
「いや、充実というには、少し違う気がする。ちょっとしたことでストレスから、荒れ狂う嵐の中にいたような毎日、自分がどこにいて何をしているのか、分からないという状態だったではないか」
 と思えた。
 しかし、それでも、最期には、元のさやに納まっている。その時、
「やっぱり、俺のやっていることは間違っていないんだ」
 と思い知ることになる。
 それが、自然に自分の自信に繋がり、毎日が、あっという間に過ぎていった。
「波乱万丈の人生を生きている」
 という気持ちは、人生にやる気を与えてくれて、
「年相応の悩みと喜びに人生は満ちている」
 とまで感じた。
 そう思わなければ、やっていられないというのもあっただろう。
 この大学でアルバイトをするようになってから、少なくとも自分は変わったと思っている。やはり好きなことをしている時というのは、嫌なことを忘れさせてくれるというが、確かにそうなのだろう。
 だが、それも、自分の精神状態がいい時でしかない。少しでも、精神的に不安定になると、何もできなくなってしまう。できなくなるというか、何もしたくないという感情に陥ると、本当に何もできなくなるのだ。
 そもそも、大学時代くらいの頃から、少し情緒不安定の時があった。女の子を好きになっても、なかなか、告白もできない。それは、自分の精神状態が不安定だったからだということも、大学時代には分かっていたのだ。
「プレッシャーに弱い」
 というのか、
「いざとなると、何も言えなくなる」
 というのは、今に始まったことではない。
 大好きになった人もいた。そもそも、佐伯は、一目惚れをするタイプではなかった。
「この子、可愛い」
 と思うよりも、
「話をしてみたら、楽しいだろうな?」
 という感覚から、相手を好きになるタイプだったのだ。
「楽しいと思うのは、一緒にいるだけで、会話がなくともいいものだ」
 という人がいるが、実際にはそうではない。
 一緒にいて、会話がないというのは、これほど苦痛なことはない。お互いに相手が話をしてくれるのを待っているというのは、自分がプレッシャーに陥るというよりも、相手に無言のプレッシャーを与えることになるのだ。
 お互いが互いに気を遣い合っているというのを分かっているほど、きついものはない。分かっていても何もできないことほど、きついものはない。
 一度、気になる女の子がいて、彼女が、
「佐伯君、ちょっと話を聞いてほしいんだけど」
 と言ってきた。
 それまで、
「自分は、彼女の応援団だ」
 という意識を持っていた相手だった。
作品名:真実の中の事実 作家名:森本晃次