真実の中の事実
加藤がどのような覚悟を持って、これを和代に話したのか、手に取るように分かる気がした。
彼は和代のことが中心なのだ。だから、これを機会に、新しい恋に邁進してほしいという気持ちだったのだろう。それを感じると、加藤にお礼を言いたい気分にもなったし、和代の気持ちも受け止めようと考えたのだ。
これは、和代と二人で乗り越えなければいけない壁であり、この壁は、佐伯にとっても大きな壁であったのだ。
加藤がもたらしたその情報、それは、後藤が先日亡くなったということだった。交通事故だったらしい。一瞬のことで、即死だったということだ。あっという間にこの世から姿を消してしまったことで、佐伯には消し去ることのできない、後藤という人物の虚栄が、和代と一緒にいる間付きまとってしまうことを感じていたのだった……。
大団円
和代は、この話を聞いて、早速、葬儀に出かけて行った。帰ってきてから、一日目が真っ赤になるほど泣きはらしていたのだが、
「あなたはいなくならないでね」
と言って、佐伯に寄り添っていた。
「これで、和代と俺の間に、障害はなくなった」
と思った。
翌日からの和代は、今までの和代に戻っていて、それまで毎日のようにいろいろと些細なことで言い争いになっていたのもなくなった。
いよいよ結婚が、秒読みと言われ始めた時、世の中というのは、実に厄介なもので、急に、佐伯が転勤を言い渡された。
「転勤と言っても、大丈夫さ。結婚したら、戻ってくるように会社にいうからさ」
と、かなり甘いことを、佐伯は言った。
だが、和代の方は、
「会社って、そんなに甘いものじゃないわよ。私は、お母さん一人を残して、結婚してついていくわけにはいかないの」
というのだった。
だが、別れるという話にはならない。とりあえず、遠距離恋愛を続けてみて、それからお互いがどうなるかということだろうと、二人の話は落ち着いた。
「遠距離と言っても、車で帰ってこれるくらいのところなので、そんなに遠い距離ではないよ」
と言い聞かせた。
確かに隣の県で、しかも、車で3時間くらいのところなので、ちょっとしたドライブという感覚である。だから、佐伯もさほど心配はしていない。心配しているのは、和代の方だった。
「大丈夫さ。いざとなったらすぐに帰ってこれる距離なんで、和代も結婚となると、ついてきてくれるさ」
という安易な考えしかもっていなかった。
月に2度くらい、こちらに戻ってきて、1日中一緒にいた。一緒にいる時はいいのだが、佐伯が帰らなければいけない時になると、とたんに暗くなってしまう。
和代だけが暗い気持ちになるわけではなく、佐伯にまでそれが伝染する。
「やはり、俺は、和代の影響をずっと受けてしまうんだ」
と感じた。
これは、和代と佐伯だけの関係ではなく、和代と後藤の関係においてもそうだった。後藤の感情が和代に大きな影響を与えていた。つまり、佐伯との関係とは逆だったというのだ。
「俺たちは、そういう連鎖を持っているんだろうか?」
と感じたが、まるでそれが、
「自然界における、食物連鎖」
のようなものが、感情の連鎖として繋がっているかのように思えて仕方がなかった。
次第に、和代の態度が変わってきた。だからと言って、その日のうちに飛んでいくわけにもいかない。電話で話しても埒があくことではない。和代の精神状態が荒れてくるのが分かる。
週末になると飛んで帰ると、少しの間、落ち着いているが、また、ストレスからか、荒れてしまうのだ。
「躁鬱症ではないか?」
と思い、病院に行くことを勧めるのがいいか、これも迷ってしまう。神経内科というのは、あくまでも本人が病気を意識して、自分から病院に行くと言わなければ、どうなるものでもないからだ。
「これが遠距離恋愛の呪縛なのか」
遠距離恋愛は、うまくいかないと言われているが、
「そんなことはない」
と思っていた。
しかし、実際にこうなってしまうと、どうすることもできない。これほど、恋愛というものが難しいものかと考えていた。
「まさか、後藤さんの呪縛なんじゃないだろうか?」
とさえ思えてきた。
さすがにここまでくると、佐伯も疲れてきた。
「このまま別れれば、絶対に後悔する」
という思いが一番強く、最初の頃のように、強引に突っ走ることができなかった。
「たぶん、彼女も同じ状態になっているんじゃないだろうか?」
と考えても-みたが、それでも、自分だけが苦しんでいるように思うのは、被害妄想があるからではないだろうか?
彼女の様子を見ていると、どこか、佐伯に似たものを見ているような気がしたので、ちょっと話を聞いてみた。
「私は、何か妄想を抱いているような気がするのよ。私のまわりの人が皆、私の知らない人たちと入れ替わっているかのような妄想なのよ」
というではないか。
佐伯は似たような妄想であったが、
「俺は、知らない人が皆知っている人に見えてくるというそんな妄想に駆られているんだよな」
と感じていたので、同じような妄想なのだが、まったく違う、いや、正反対の妄想を抱いていることで、佐伯は、
「もう彼女と一緒にいると、どっちもおかしくなってしまう」
と、考え。別れを渋々ではあったが受け入れた。
その後の彼女がどうなったのか、正直知らない。
結局会社も辞めることになった。
辞めてからというのは、アルバイトのような形で大学の発掘に携わっていたのだが、そこで教授が拾ってくれたのだ。
まだ、25歳だったのと、大学で考古学の専攻をしていて、知識は十分にあるということで、研究員の一員となったことで、第2の人生が花開くことになったのだ。
前の会社の呪縛が残っていなかったわけではないが、考古学をしていると、嫌なことも忘れられるし、そのおかげで、また考古学という孤独な世界に入り込むことができる。
5年後には、論文を発表し、それが評価を受けたことで、大学からも、正式に雇われることとなり、40代後半で、准教授にもなることができた。
「これも教授のおかげです」
と、准教授昇進祝いの席で先生にお礼をいうと、
「いやいや、君の努力のおかげだよ。私もだいぶ助かったし、とにかく君の知識は、最初から十分だったから、あとは経験だと思っていたんだよ。それを継続して続けられたことが、君をここまで押し上げてくることができた原動力さ」
という教授に対して、
「ありがとうございます。私は、とにかく後悔をしたくないという思いが結構強くて、そのためには、先生にしがみつく形で、しっかり成果を残そうと思ってきたのが、よかったのかも知れません」
というと、
「それもそうなんだけど、君の場合は、何か他にトラウマのようなものがあって、そのトラウマを克服したいという思いを結構強く感じたので、それが、眩しかったというのか、私の若い頃を見ているような気がしてね」
と、その年で、そろそろ還暦になろうかとしている教授が、まだ、40代前半の佐伯にそう言った。
「トラウマは確かにありました。それが後悔したくないという思いと結びついたんですね」
というと、