真実の中の事実
そこまで意識していたかどうか分からないが、相手が見えない敵だということほど、大きなプレッシャーはないだろう。そのことがストレスとなり、和代を失いたくないという思いと、絡み合うことで、
「自分がどうしてここまで必死に感じるのか」
ということが、そのうちに分かってくるのだろうが、とにかく焦りがどこまで絡んでくるのか、その時は分からなかった。
「どうして、そんなに急に僕とは付き合う自信がないと思ったんだい? あの日は楽しかったんだろう?」
と佐伯は聞いた。
そもそも、人と付き合うというところまで行ったことがあったのかと言われると微妙な感じがしている佐伯にとっては、そういうしかなかった。もっと気の利いた言葉を言えれば、それこそ、相手の気持ちを動かせるのかも知れないが、他に言葉が思いつかない自分が情けなかった。
だが、彼女はそんな佐伯に憤りを感じることはなく、
「ごめんなさい。私、本当に恋愛には臆病なの」
というではないか。
彼女としても、前向きに考えていてくれた証拠であろう。
「僕はあなたのことは、正直、何も知らないけど、一緒にいたあの一日で、第一印象が間違っていなかったと確信したんです。今まで一目ぼれなんか、一度もしたことがなかった僕がですよ。それを思うと、和代さんが、どうしても諦めきれない。僕じゃあ、ダメなのかな?」
というと、
「そんなことはないの。逆にあなたでなければ、最初からデートに誘われても行くことはなかったと思うの。あなただったら、私の中の何かを変えてくれるような気がするんだけど、でも、あの楽しかった日に、あなたと別れて一人になったでしょう? その時に急に怖くなったのよ。このまま一人ぼっちのままになるのではないかと思ってね」
と和代は言った。
彼女のいう独りぼっちという気持ちは分かる気がした。その思いは、一度感じてしまうと、そのままアリジゴクに嵌りこんでしまったかのように感じるのではないだろうか?
二度と這い上がってこれないという思いが、彼女の中で考えた末に、
「自信がない」
という言葉になって現れたに違いない。
そういう意味でいけば、
「自信がない」
という言葉は、実に曖昧で、都合のいい言葉なのかも知れない。
それは、何かを断る時には、相手にいろいろと発想させて、その本当の意味になかなかたどり着けないだろう。
もし、違うところに辿り着いてしまえば、その人のことは、信用しなければいいだけだ。違うところに辿り着いたということは、自分にしか分からない。本人は、ちゃんと辿り着いたと思うからだ。
この違いが、自信がないと言った人間を有利にさせるのだ。それが、
「都合のいい」
という解釈になるのであった。
和代にはそのことが分かっていた。何しろ、恋愛経験も、異性を見る目も、佐伯に比べれば、比較にならないくらいに大きな差であった。
もちろん、そのことは、佐伯にもひしひしと分かっていた。では、諦めたくないと思えばどうすればいいか。それは、もう必死になってしがみつくしかないのだ。
だからと言って、相手を怒らせたり、相手の感情を逆撫でするようなことは、言語道断である。いくら、焦っているとしても、タブーは存在する。ではどうすえばいいか?
それは、できるだけ、相手が何をしてほしいのかということを考えることであった。
実はこれが一番難しいことであるが、そのためには、相手がしてほしいことを、自分の身になって考えられるかということが問題だった。
確かに、自分がしてほしいということを、相手が望んでいるというのは、実に強引な考え方であるが、本当にそうだろうか?
本当は相手も、誰かに助けてほしいと思っているはずで、目の前に現れた人を救世主と思いたい。だから一度は受け入れる気持ちになったのだが、一人になると、その寂しさから、自分が一人であるということを、再認識してしまったのだろう。
強引に押したからといってもうまく行くとは限らないが、結局自分にはそれしかないと思うのだ。何を言えばいいのか分からないが、結局は、
「気持ちがどれだけ伝わるか」
ということだった。
「僕は学生時代、付き合ってはいなかったんだけど、友達の女の子がいて、何か悩みを持っていたと思うんだけど、その子が僕とどこかに行きたいって言ってきたんですよね。僕は嬉しくて、その時初めて彼女のことを意識したんです。それまでは妹のように思っていただけだったんですけどね」
と、学生時代の話を始めた。
和代は黙ってきいているので、佐伯は、そこまでいうと、ひと呼吸おいて、また話始めた。
「どうやら、彼女もその時ちょうど、失恋したらしかったんだけど、今から思えば、彼女は何か僕に助言のようなものをしてほしかったんだって思ったんですよ。その時はそこまでは分かっていたんだけど、それだけに、緊張して余計に何も言えなくなった。僕も助言が本当に役に立つのか? という思いと、下手なことを言って嫌われるのも嫌だと思った。それで、自分が都合のいいように考えていることに気づいたんです。彼女にできるものならしたいという気持ちと、妹のような相手でもいてほしいという両方が自分にあって、しかも、このままだと、火事場泥棒のような感じまでしたんですよ。火事場泥棒というのは、完全に感じてはいけないことだったのだと、後になって感じたんだけどね。だけど、結局うまくいかずに、結局、友達でもいられなくなった。これは、後から思うと、いろいろなことを考えてしまったことが一番の間違いだったと思うようになったんです。だから、和代さんには、余計なことを考えることなく、自分の気持ちを一直線に表したいと今は思っているんだよ」
というと、和代は、涙を流していた。
彼女の中の葛藤に対して、佐伯の言葉が、心を打つところがあったのだろうと、自分で考えたが、半分は間違っていないと思っている。
「佐伯さんのお気持ちはよく分かるわ。私も、あなたともう一度やり直したいと思っているのも事実なんです。あなたがどこまで私のことを知っているのかは分からないけど、パートさんの態度から考えると、大体のことは分かってくれていると思っているの。だから、そんなあなたなら私の気持ちも分かってくれるかと思ったんだけど、逆にあなたの気持ちに火をつけたということなのかしらね? 本当は言葉で片付けられることではないと思うんだけど、今のあなたの気持ちを聞いて、私も、忘れていた何かを思い出した気がするの。自信がないというのは、今も変わりないけど、もう少しあなたのことを知りたいと思うようになったのも事実なんです」
と和代は言ってくれた。
この会話がすべてではない。むしろ、言葉にならないところで、感じあうところがあったのだと感じているのだった。
そんな気持ちが通じ合ったのかその日、二人は、再度お互い理解し合うということを確認し、交際をスタートさせることにしたのだった。
和代を巡る葛藤
それから、しばらくは、普通に交際期間が続いた。和代も会社では今まで通りで、佐伯も、張り切って仕事をしていた。