真実の中の事実
といえば、その通りなのだろうが、本当にそれだけだったのだろうか?
彼女から、
「あなたとは、もう付き合えない」
という、自分にとって定番の言葉をまさか、和代から言われるとは思ってもいなかったのに、言われてしまうと、
「こいつも一緒か?」
と、普段なら思ったことだろう。
しかし、彼女は、他の女性と違うと感じたのは、前の彼との確執があったからだ。
そもそも、二人とも母子家庭だったということが引っかかった。それは、自分よりも先に知り合ったということよりも大きなことだった。自分よりも先に知り合うことは、どうしようもないことである、
「だったら、母子家庭というのも、どうしようもないことではないか」
と言われるに違いないが、それとこれとは別だった。
母子家庭になったのは確かに仕方のないことで、まさか自分もそうであったらといって、親を殺すわけにはいかない。
それなのに、どうしても追いつけない気がしたのだ。先に知り合ったということであれば、納得がいくことなのに、母子家庭だということで諦めるということはないと同時に、逆に闘争心を掻き立てられるという感情はどこから来るのであろうか?
「これこそ運命だというのだろうか?」
それも、運命というのは、二人が同じようにそう感じるからだということであって、きっと、元カレと和代はお互いに同じタイミングで相手に対して癒しと、頼りがいのようなものを同時に感じたのだと思った。
その時、
「これが嫉妬なのだろうか?」
確かに、自分よりも先に知り合ったことが、納得できはするのだが、それはどうしようもないということであって、我慢が必要なことだった。
何のために我慢するのかというと、それは嫉妬のためであった。
どうしようもないことに対して諦めるか諦めないか。あるいは、諦められても、そこに我慢が必要なのであれば、その原因が嫉妬だということなのである。
この時、元カレとの、父親がいないということへの耐えがたい気持ちこそ、大いなる嫉妬だと思った。
この思いがあるからこそ、和代がいくら、自分を遠ざけようとしても、決して引き下がらないという気持ちにさせた。
逆に言えば元カレの存在と、元カレのさらに、母子家庭による繋がりを聞いていなければ、このまま諦めていたかも知れない。
ただ、諦めていたとすればどうだっただろう?
社内にいるので、毎日顔を合わせるわけだ。別れる相手と顔を合わせていて耐えられるのだろうか?
いや、まだ付き合っていたわけではないか。まだ始まってもいないもの、それを終わった関係だといえるのだろうか?
ただ、一目ぼれをしてしまったということで、どこまで我慢できるかということだが、
「我慢できないのであれば、行き着くところまで行くというのも、無理なことなのだろうか?」
と感じた。
本来であれば、このあたりの我慢であれば、時間が解決してくれたことなのかも知れない。
しかし、自分にとって我慢できる限界を超えていたと思うのは、それだけ自分に自信がなかったからだろうか?
いや、そんなはずはない。どちらかというと、その時の佐伯は、自分で思っているよりも、さらに、有頂天で自惚れていた時期だったのかも知れない。だからこそ、
「和代と知り合えたんだ」
と思ったことだろう。
我慢というのが、どこまでのものなのかというのを考えると、結局、諦めることが一番辛いことだったということなのだろう。
「必死になって止めるしか、他に手はない」
と思うようになった。
諦めるにしても、できるだけのことをしないと、後で後悔してしまうだろう。
後悔するくらいだったら、最初から恋なんかしなければいいんだ。恋をするから後悔するのであって、そう思っても、恋をするということを、どうやって制御すればいいのか、諦めが付きまとうということを覚悟のうえで人を好きになるのは、本末転倒なのではないか? そんな風に感じるのだった。
和代の戸惑い
和代がなぜ、佐伯と別れたいと言い出したのか、その真意は分からない。だが、彼女の言葉としては、
「あなたとお付き合いしていく自信がありません」
ということであった。
考えてみれば、今まで別れを告げられた時もハッキリとした理由を告げられたことはなかった。
相手はハッキリと言っているつもりだったのだろうが、佐伯にはその理由がピンとこない。
そう言って、話をしているうちに相手が次第に業を煮やしていって、結局フラれるということになってしまう。
後から冷静に考えれば分かることであった。
「俺自身が気づかなければいけない理由を分かっていないから、相手が業を煮やすんだ」
ということである。
しかも、パターンはいつも同じで、きっと、理由も同じところにあるのだろう。
佐伯はいつも付き合い始めるとすぐに、その人に自分のことを分かってもらおうとして、かつてフラれてきたことを話したものだ。佐伯本人は分かっていないつもりだったのかも知れないが、彼女の方は、女性の勘からなのか、その理由を看破していたのかも知れない。そしてその理由にまったく気づこうとしない佐伯に業を煮やし、結果別れることになるのだから、こうなってしまうと、佐伯の自業自得の感をぬぐえないのではないだろうか?
「別に最初から自分を分かってほしいということで、自分の悪い部分を曝け出そうとしたのが悪いのだろうか?」
と感じたが、それを相手にいうと、
「そうね。それは明らかに相手にマイナスよね。いくつかの意味でね。だって、あなた自分の悪い部分を自分から曝け出すというのは、それだけ自分に自信がないということであり、その気持ちをまるで言い訳のようにして相手に話しているということは、自分がもしフラれたとしても、最期にはそれを理由にして、自分を納得させたいんでしょう? そんな自分中心的な考え方のために、振り回される方はたまったものではないでしょう? 少なくともデートまでしてくれた相手に対して失礼というものよね」
と言われて、いい返せないことも相手をイライラさせるのだろう。
「あなたは、自分が開放的で、相手を受け入れたいという人間だということを示したいんでしょうけど、それはまったくの逆効果。要するに自分を曝け出すことだけでしか、相手を納得させることができないということでしょう? 相手が何をしてほしいのかということを分かっていない証拠よ」
と、言われると、完全にどうしようもない。
早くその場から、逃げ去りたいというくらいの気持ちになってしまう。
「そうか、これが、大学時代に、僕に助言を求めたと思った女の子に何も言えなかった時の自分を、彼女たちは見透かしていたんだ」
と思うようにあった。
この時の女性が、学生時代の最期に付き合った女性で、あまりにもズバリを言われてしまったので、いい返すどころか、委縮して、初めて女性が怖いと感じた時だったのかも知れない。
その時の感情を、すっかり忘れていた。まだ、2年も経っていないことだったはずなのに、それだけ経った2年という月日が結構長かったということであろうか?