症候群の女たち
それだけ簡単なものであるだけに、架空の考えだと思い込んでしまうのだった。
一人で、ゆっくりと、自分の世界に入るという、普通にありえる発想が、妄想であり、それだけに、他の人と乖離した世界を築き上げているのかも知れない。
「妄想と瞑想」
似ているようで、実はまったく違っている。
「歴史小説と、時代小説の違いのようなものではないだろうか?」
と感じるのだった。
ゆいかは、歴史も好きであったが、それ以外に、理論物理学というものも、好きだった。さすがに実際にまだ中学生くらいなので、そんなに数式などのような詳しいものが分かるわけではないので、あくまでも、理屈として考えているだけだった。
奇妙な話の小説を読んだり、自分でも発想をしてみようと思った時、物理学的な発想がどうしても不可欠で、逆に本を読む際も、物理学の発想が頭の中にあれば、漠然と読んでいる時と違って、自分が書く時に大いに役立つということになるのであった。
いろいろな小説を読んでいる中で、最近よく見かけるものに、大きく分けて、2つほどあるだろうか?
一つは、タイムスリップもので、その中でも面白いと思った小説が、
「未来から来た人間が過去の人間と入れ替わっている」
という話であった。
「そんなことをすれば、未来が変わってしまうのではないか?」
と思われるかも知れないが、
「あくまでも、入れ替わった人間というのは、サイボーグであり、改造人間である。まったく同じ人間を作り出すという技術を有した未来人が過去にやってきて、自分たちの研究の成果を実験しようとしている」
というものだった。
ちょっとした実験というくらいなので、最初は一人だけでやっていた。
その時代になると、パラレルワールドについても計算されていて、まったく未来が変わらないというわけではないことも証明されているのだが、どこまでその変わった歴史の影響が表れるかということが問題なのだった。
この実験は、実は、重大な意味を秘めていた。未来人にとっての、存亡という危機が迫っていて、一つは、
「若い人たちの労働人口が減ってしまっている」
ということだ。
未来では、人間の職をロボットが奪ってしまっていることで、一時期、人間が堕落してしまい、労働など人間にはない時代となっていた。
そのため、一気に人間が想像以上の速さで退化してしまい、本来、人間が担わなければいけない部分ですら、未来人では、どうすることもできなくなっていた。
そのため、過去の人間を誘拐してくる必要があったのだが、そのまま誘拐してくれば、歴史が変わってしまうので、過去の人間に分からないように、そして、過去の歴史を変えないように、未来に過去の人間を移送することを行った。その身代わりは、ロボットではだめで、元々人間だった、サイボーグを対象者ソックリに作り替えた形のものでなければいけなかったのだ。
その際に、記憶を消したり、いろいろあるのだが、では、
「なぜ、そんな技術があるのであれば、サイボーグを未来の世界だけで、完結させることができないのか?」
ということになるのだろうが、それが不可能だったのだ。
というのは、未来には、人間が作ったロボットが存在していて。ロボットも、人工知能が入っているので、サイボーグに対して、拒否反応があった。
しかも、サイボーグにとっては、ロボットというのは、
「下等な存在だ」
という意識があることで、お互いにまったく機能しないのだ。
これでは、完全に本末転倒な状態だといってもいいだろう。
未来人は、自分たちの利益だけを考えてやっていることであった。
「過去があって未来がある」
という発想を、今の人間は持っているが、未来の人は、そこまで考えていないようだった。
そんなこともあり、未来人は、過去の人間のことを、完全にバカにしているような考えを持っていた。
現代人とすれば、
「過去の人間の生きた歴史があるから、今の自分たちがいるのだ」
ということで、いい悪いは別にして、それなりに、過去の人たちに対して、尊敬の念を抱いている。
ただし、逆に未来の人間に対しては、まったく考えていない。なぜなら、タイムマシンも存在しなければ、
「現在を生きるだけで必死」
だからである。
今でこそ、
「持続可能な」
などと言って、環境問題などを中心に、未来に対して、いろいろ考えるようになったが、それまでは、まったく考えもせずに、
「今さえよければ」
という形で、文明を発達させてきた。
未来人はそうもいかない。
そんな過去の連中の、未来を考えない暴挙によって、このような時代ができあがってしまったのだから、過去の人間のことなど、
「歴史さえ変わらなければ、どうでもいいんだ」
くらいにしか思っていない。
それだけ、未来と今とでは、時空認識が正反対に近かったのだ。
「よく、こんな発想が生まれてくるわよね」
と思うほど、小説がすごい発想になっている。
だが、タイムパラドックスも、今考えられているものが、
「絶対に正しい」
というものではない。
何と言っても、未来人は、現代では、
「まず、開発は不可能ではないだろうか?」
と言われている、ロボット開発と、タイムマシンの製造に成功していて、実用化しているということが、今の人間からは、信じられないことなのだ。
タイムマシンというのは、何と言っても、タイムパラドックスの問題があることから、特に、
「過去に行くことは、タブーだ」
とされてきた。
今回のこの発想も、一番の懸念は、
「過去が変わると、歴史が変わってしまう」
という、問題があるからだった。
当然、タイムマシンを実用化するにあたった、それらのことは、
「科学的に証明できる」
というところまで、考えが及んでいなければいけなかったことに違いない。
だからこそ、満を持して、未来人は、
「自分たちと、その未来を守るため」
という理由で、
「過去の労働力をもらおう」
と考えたのだ。
この発想は、実は、昭和の時代から考えられていたことだった。
特撮やアニメなので、宇宙からの侵略されるその理由として、
「地球人の若い労働力がほしい」
という理由で、人間を誘拐したり、蒸発させたりする宇宙人という発想であった。
しかも、面白いことに、1960年代の特撮に、今回の小説と似たような発想があったのだった。
作者が、その特撮を知っているのかどうなのかは分からないが、下手をすると、盗作と言われかねないほどであった。
だが、もう、60年近くも経っていることから、盗作というところはどうなのだろう?
幸いに、問題になっているわけではなかったので、過去の特撮を知っている人が、今のこの小説を読んでいるという、
「どちらも」
という人は、なかなかいないのではないだろうか?
また、もう一つのロボットの問題もそうである。ロボット開発の問題には、2つほど懸念があった。
一つは、
「フレーム問題」
というもの、そして、もう一つは、
「ロボット工学三原則」
と呼ばれる問題だった。