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症候群の女たち

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 フレーム問題というのは、ロボットが人工知能を持ちながら、人間の命令に従っている時、人間であればできるはずの、融通が利かないのだ。
「どうすれば、危険である」
 などということは、ある程度分かっているのだろうが、複雑な状況判断が必要な場合には、機能しない。なぜなら、
「それだけ無限に、可能性をはらんでいるからだ」
 ということだ。
 それを解決しようとしてパターン化させても、結果として、
「無限というものは、何で割っても、結局は無限でしかない」
 という数式が物語っているということになるのだった。
 それを強引に解釈しようとすると、必ず、矛盾が出てきて、無限ループに嵌りこむ。それが、フレーム問題なのだ、
 三原則というのは、いわゆる、
「フランケンシュタイン症候群」
 のようなもので。せっかく開発したロボットが、人間に反旗を翻すと、強力な力があるだけに、人間で抑えることはできないので、最初から、
「人間には絶対服従」
 というプログラムをセットしておく必要があるということなのだ。
 そんなゆいかが最近考えるようになったのは、
生まれ変わり」
 という発想だった。
「世の中は、同じ日にたくさんの人が死に、そして生まれている」
 という発想から、
「だったら、同じ日に生まれた人間の魂に、生まれ変わりという人間がいてもいいのではないか?」
 という発想である。
 小説に書いてみたりもしたが、結構難しい発想だということは、重々承知のうえでのことだった。

                 生まれ変わりの定義

 まりえ、さくら、ゆいか、彼女たちは、年齢的にも近くであり、意外と近所に住んでいた。
 こういうおかしな発想を持っているということを、それぞれのまわりにいる人は、知っている人もいるだろうが、
「世の中には、もっと変な発想をするという人は少なくない」
 ということを考えていると、
「思春期という微妙な年齢なのだから、妄想だったり、精神的に不安定な状態で、モノを見たり考えたりすることで、情緒が不安定だったりするだけだ」
 と見ている人もいるだろう。
 だが、これが親ともなると、難しい。
 かと言って、思春期を女の子を、いきなり、神経内科に通わせるというのも、それこそ精神的に考えて難しいことだろう。
「とりあえず、段階を踏んで前に進ませないといけない」
 という発想から、
「まずは、カウンセリングが一番なんじゃないかしら?」
 と、それぞれの親は考えていたようだった。
 カウンセリングというのは、今の時代においては、精神疾患と呼ばれる現象や小工具は、どんどん生まれていて、
「それこそ、無数に出てくるのではないか?」
 と考えられた。
 それに比例して、その場の状況も複雑になっていることから、多岐にわたる精神疾患が見られるようになっていったのだった。
 そのために、カウンセリングというのも増えてきているようで、先生の数も、施設も比例して増えてきているようだった。
 もちろん、この3人の存在は、これまで、まったく接点がなく、逆に考えると、それだけ精神疾患がありそうな人が近くにいたとしても、まったく接点がないほど、世の中が、複雑怪奇となっているということが言えるのだろう。
 カウンセラーというのは、なかなか日本では、まだその教育は充実していないのか、ほとんどのカウンセラーは、海外で研修したり、海外の大学出身者だったりしているようだった。
 ただ、それはウワサとして流れているだけで、どこまで信憑性のあることなのか分からないが、覚悟を決めて、娘をカウンセリングを受けさせる勇気を持つことができた母親には、少なからずの賞賛のようなものがあってもいいのではないだろうか?
 特に思春期の女の子、精神疾患だと自覚しているかも知れないが、まわりも自覚しているということを知ると、相当なショックだからであろう。
 カウンセラーという人は、日本の場合などでは、
「心理療法を使って、精神疾患などが考えられる患者(依頼者やその家族)の精神的で心理的な病苦を治す」
 というところであろうか?
 中には、精神疾患になるかも知れないという精神的なコンプレックスを克服するという意味で、活動している人もいたりする。
 克服するというのは、それ自身をコンプレックスとして感じさせないという方法もあるが、逆に、その近いところに存在する長所を伸ばすことで、補うというやり方もあったりする。
「長所と短所は紙一重」
 と言われているが、まさにその通りではないだろうか?
 カウンセラーも、相手に合わせるタイプの人もいるだろう。それは、症状に合わせるという意味であり、逆に、自分のやり方を間違いないという強い意志で処置をしている人もいるだろう。
 だが、カウンセラーに相談するくらいの人は、下手をすると、自殺予備軍と言われるほど危険な人物である可能性もある。一歩間違えると、自殺されてしまって。社会的信用がなくなることもあり得るのだ。だから、あまり自分に対しての過信は危険だともいえるだろう。
 カウンセリングとは別に、
「催眠療法」
 というものを用いている人もいる。
 こちらは、眠っている相手の本性を引き出したり、催眠術で、心の奥にある、闇の部分を浮き彫りにするということになるので、基本的に何かを施すというわけではないカウンセリングよりも、一歩進んでいるだろう。
 カウンセリングを受けたうえで、催眠療法を行うという人もいるだろう、
 カウンセリングの結果、治療法の最善の方法として、催眠療法を選択するカウンセラーもいるだろう。
 自殺をする人の心理というのは、よく分からない。
「ウェルテル効果」
 という言葉があるが、これは、
「誰か、社会的に影響力のある人が自殺をしたりした場合、新聞やテレビなどのマスコミが騒ぐことで、自殺した人の崇拝者たる人物が、こぞって自殺をするというような社会現象のことを刺す」
 というものである。
 その発想はまるで宗教団体による、集団自殺に似たところがある。
 このような状況が増えるということは、それだけ社会が不安定だということもあり、宗教団体がのさばってくる可能性が大きくなるのではいだろうか?
 確かに後追い自殺が多いのは、宗教団体などがいい例であろう。ただ、それが、どこまで本当のことだったのか分かったものではない。うがった見方をすれば、団体の権威が教祖の死んだことによって揺るぐのを恐れた幹部が、
「教祖が死んでも、その影響力は大きいということで、後追い自殺が出るほどのカリスマ性だった」
 ということを、信者に思い知らせるために、幹部が、
「本当は自殺したわけでもないのに、自殺を装って、虐殺したのだ」
 と思わせるかのような状況を、作り出したのかも知れない。
 だから、本当は後追い自殺などではなく、生贄として、まるで人柱でもあるかのように、集団殺害を企んだのかも知れない。
 そんな恐ろしいことが行われているのだとすれば、
「何が人を救う」
 などと言えるのだろうか。
 宗教団体は、ある意味、金儲けのための、見せかけである場合も過去にはなかったわけではない。
「宗教が、人を救う」
作品名:症候群の女たち 作家名:森本晃次