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症候群の女たち

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 の写真を、上下逆さまに見た時に感じたことから、そういわれるようになったという。
 そもそも、上下逆さまという感覚は、人の顔というよりも、風景ではよくあることではないだろうか?
 その最たる例というのが、日本三景の一つ、
「天橋立」
 ではないだろうか?
 あそこには、股の間から覗くという絶景スポットがあるという。
 そこで、股の間から覗いた天橋立が、
「龍が天に昇っていく姿に見える」
 ということらしい。
 これも一種のサッチャー錯視の感覚に影響を与えているのではないだろうか?
 風景に関しては確かにその傾向はある。一番の感覚としては、
「空と海(陸)の感覚がまったくその比率に違いがある」
 ということだった。
 股の間から覗いたり、逆さに見えるような体勢になった時、
「空がやたらに広い」
 という感覚だった。
 きっと、普通に見ている時は、空を意識することなく、地上の風景だけを見ているからだ。
 空を見ようとすると、見ている光景は、空だけになるだろう。普段から、空と、空以外というのは、意識しているということだ。
 いつもは無意識なので、そこまで気にすることはないので、余計に違った方向から見ると、空が意識される。だから、逆さから見ると、空が広く感じるのだろうと、自分なりに解釈していた。
 それが、サッチャー効果のすべてではないのだろうが、サッチャー効果に影響を及ぼしているといってもいいのではないだろうか?
 あくまでも、上下逆さまに見る光景というのは、錯覚でしかない。そういう意味で、相手の瞳に映った自分が逆さに見えた時、まったく同じ自分だと感じる方が、却って違和感があるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると、その時先生が、
「明らかに、犯人を私だと思って疑う余地なんかなかったんだ」
 と感じた。
 まさにその通りで、それと同時に、
「相手の瞳に自分が逆さまに映っているのを見ると、相手は自分を意識しているのか、それとも、こちらを欺こうとしているのか?」
 と考えるようになった。
 そのことを感じると、さくらの瞳に映った自分が、上下逆さまだったことに気づき、その時に、
「彼女の意識は、自分を意識しているということなのか、自分を欺こうとしているのだろうか?」
 という意識と、さらに、彼女の瞳に映った自分が、
「本当の自分なのか?」
 と感じると、どう考えていいのか、疑問が生じてくるのだった。
 その時、突如浮かんだ疑問が、
「私が、さくらの生まれ変わりではないか」
 ということであった。
 だが、考えてみると、生まれ変わりって、現在生きている人の生まれ変わりというのも、おかしなものだ。そこでいろいろ考えてみると、
「さくらには、実はもう一つ生まれ落ちようとしていた命があり、身体の中で、そっちの栄養をさくらが取ってしまったことで、もう一人が死産だった」
 ということである。
 つまり、さくらは双子として生まれてこようとしていたが、
「もう一人が死産だったため、その魂が生まれようとしていた、ゆいかの中に入り込んでしまったのではないか?」
 という発想である。
 この考えが一番しっくりくる気がした。
「では、さくらは、そのことを知っているのだろうか?」
 ということであるが、さくらの様子を見ていると、
「知らないのではないか?」
 という方が、考えやすいような気がした。
 もし、知っているとすれば、違った形で接してくる気がするし、もう少し、ゆいかが、さくらの気持ちを分かってしかるべきだと考えたのだった。
 ということは、ゆいかは、厳密にいえば、
「さくらの生まれ変わり」
 というわけではないが、そう感じたのは、
「さくらが、このことを知らないということ」
 からだったのだ。
 では、さくらは、ゆいかのことをどう思っているのだろう?
 時々、妙に慕ってくることがある。それは助けを求めているようにも見えるが、まるで姉を慕う感覚だ。
「さくらが、まわりに絶えず気を遣って、自分を表に出そうとしないのは、生まれてくるはずだった、もう一人の双子の姉妹に対して、その命を奪うようなことになってしまったことを申し訳ないと思っているからなのかも知れない」
 と感じていたのだ。
 さくらは、意識もないままに、ただ、潜在意識として、双子の姉妹を感じているのかも知れない。
 いや、むしろ、双子の姉妹という感覚ではなくて、
「もう一人の自分」
 を感じているのかも知れないと感じた時、さらなる発想が生まれた。
 それが、
「フレゴリ症候群」
 というもので、それが、さくらの感覚と心理に微妙に影響しているのかも知れないと感じたのだ。
 さくらには、夢などで幻想を見てしまうことが結構あった。その原因の一つとして、
「昔、殺人事件現場を見てしまった」
 ということがあるからだ。
「誰を見ても、それを特定の人物としてみなしてしまう。つまり、まったくの見知らぬ人物をよく見知った人物と取り違えてしまう現象」
 のことである。
 その時、転がっていた死体は、もちろん、さくらとはまったく関係のない人で、さくらも、最初から死体が誰であるか? などということを意識したわけではなかった。
 しかし、それからしばらくして、
「自分が見た人間を、絶えず誰か知っている人だという錯覚に陥るようになった」
 ということで、カウンセラーからは、
「それを、フレゴリの錯覚というんですよ」
 と言って、自分だけではないということを教えてくれた。
 ただ、これは、錯覚という呼び方をされるが、あくまでも、妄想の一種だということのようだった。
「妄想というと、錯覚よりもたちが悪いですよね?」
 とカウンセラーに聞くと、
「ええ、そうですね。錯覚が一歩心理の方に踏み込んだとでもいうんでしょうか? 錯覚というと、その時だけである程度は完結しますよね? だけど、妄想になると、次第に膨れ上がっていくこともあるくらいで、それだけ、大変なことだといえるのではないでしょうか?」
 というのだった。
「ドッペルゲンガーとはどう違うんでしょうか?」
 と、さくらが聞くと、
「ドッペルゲンガーは、ハッキリとは分かっていませんが、あれを、現象と捉えるか、妄想と捉えるか、錯覚と考えるかだと思うんですが、錯覚というのは、ほぼほぼ違うような気がしますね。そうなると、妄想か、現象かということですが、妄想だと、さっきのフレゴリ症候群と同じ効果だと思うんですよね? でも、都市伝説的なこととして、ドッペルゲンガーを見ると、近い将来に死ぬという都市伝説のようなものがあるでしょう? そうなると、妄想の世界で片付けられないものを感じますよね。何か外的な力が働いているかのようなですね」
 と先生は言った。
「フレゴリ症候群というのは、どういうものなんですか」
 と、さくらが聞くと、
作品名:症候群の女たち 作家名:森本晃次