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症候群の女たち

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 それでも、抹殺してから、灰にするための、焼却炉はすべて埋まっているのだ。
 だから、穴を掘って、そこに埋めるということをしたのだ。
 一週間ほどで、すべての証拠を破棄せよというのは、あまりにも、陸軍本部の無理強いはひどいものだったといえるだろう。
 それでも、ちゃんと証拠は一切残っていなかったという。
 そのあたりを掘り返せば、死体が山ほど出てくるはずなのに、なぜかそれをしなかった。それは、戦後に、彼らと闇取引をするための最初からの計画ではなかったか?
 と感じるのは、作者の勝手な妄想だといえるのだろうか。
「731部隊」に関してはいろいろ言われている。今の製薬会社の基礎を作ったのは、731部隊の生き残りだと言われているし、戦後発生した、
「帝銀事件」
 と言われる、宝石強盗団が、店の人間を伝染病予防のためと称して、保健所の人間に化けて毒を盛ったと言われる事件であるが、その犯人に、731部隊が関わっているという話もあったりした。
 それが、連合国との間の密約によるものだったのかは定かではないが、実しやかに囁かれていたことは確かなようだ。
 とにかく、歴史を作るのは、間違いなく勝者であるが、最近になると、敗者も、汚名挽回のチャンスが訪れているのが、今という時代なのだろう。
 だから、ある意味、歴史に起こるような出来事が今の時代に進行しているとすれば、
「情報を一方向からだけ見てしまうと、真実を見失ってしまう」
 ということが言えるのではないだろうか?
 それは今、令和4年の4月時点で起こっている、R国による、U国への侵攻(と言われている本当は戦争)においても言えることで、あまりにも日本も一方だけを贔屓していると、思わぬ飛び火がかかってしまうことになるというのを、きっと平和ボケしている、お花畑にいるような連中には分からないのだろう。物資が不足してきたり、R国が北海道に攻め込んできた時、初めて、
「しまった」
 と思っても、時すでに遅いのである。
 ゆいかは、さくらを見ていて、
「私と同じような考え方を持っている人なのかも知れない」
 と感じるようになった。
 ゆいかは、別に自分が天邪鬼だとは思っていない。思ってはいないが、それはただ、
「自分の考えに皆がついてこれないからだ」
 と思うからだった。
 自分がまわりに逆らっているわけではなく、まわりが自分についてこれないという考え方は、
「どれだけ上から目線なんだ?」
 と言われるものなのだろうが、上から目線の何が悪いというのか
 ただ、ここからは、天邪鬼とあまり考え方は変わらないかも知れない。
 世の中には、ただ逆らいたいというだけで、人に逆らうということだけが、天邪鬼なのだと思っている人が多いだろう。ゆいかが感じる、
「私は天邪鬼ではない」
 と思ったのは、そんな何も考えていない連中のことだった。
 他の人と意見を分かつのであれば、それだけの理由を示してこその天邪鬼だと思っている。
 そういう意味で言えば、
「世間一般に言われる天邪鬼ではなく、自分が考えているような天邪鬼だということであれば、私は天邪鬼なんだ」
 と、ゆいかは考えるようになった。
 そもそも、ついてこれないまわりを舐めているところのあるゆいかにとって、世の中こそ、自分にとっての天邪鬼だ。いや、それらを天邪鬼だというのは、天邪鬼に悪い気がする。それくらいなら、自分が天邪鬼になった方がいいと考えるようになり、いつしか、自分から、
「私は天邪鬼」
 というようになった。
 世間一般で言われている悪いことというのは、自ら自分がそうだとはいいがたいものである。
 それを敢えていうのは、まわりからすれば、
「それこそ、天邪鬼というものだ」
 と言われるだろう。
 だが、実際にはそういうことではない。
 天邪鬼というものがどういうものであるかということを考えてみると、分からなくもない。
 天照大神から、ある土地平定を言われた者が、その使命を忘れ、呑気に暮らしていたところを、別のものを遣わしたところ、自分が遣えていた人から、その別のものを殺すように言われ、矢で射殺してしまったところ、天から矢が降ってきて、自分に刺さって殺されてしまった。
 そこで、元々、殺すように命じた人も悪い者ではなかったが、告げ口をしたことが、
「天の邪魔をする鬼」
 という意味を持ち、
「天邪鬼」
 という伝説となって起こったと言われる。
 だから、天邪鬼というのは、鬼であり、妖怪でありと、いろいろな説が残っているようだ。
 だから、あくまでも、天邪鬼というのは、
「人の心を見計らって悪戯を仕掛ける小鬼」
 というのが、本来の意味であるが、それが転じて、
「他人の思想や、言動に逆らうような言動をするというひねくれもの、あるいは、つむじ曲がり」
 のことをいうようになったと言われている。
「本来の意味でも、実際に言われている意味としても、さほど悪い意味に感じられないのは、自分だけだろうか?」
 ゆいかは、伝承を知っても、天邪鬼に対して悪い気はしていない。むしろ、
「自分の意思を貫徹して持っている人間」
 という意味で、尊敬されるべき人間ではないか?
 と思うようになっていたのだ。
 だから、天邪鬼というのは、人から言われる天邪鬼というのが、ほとんどで、自分からいう本当の意味でのツワモノと言える、天邪鬼とは、そうもいないだろうと感じていたのだ。
 だが、残念なことに、最近仲良くなった、さくらは、天邪鬼とは正反対、どちらかというと、自分が、誰かに寄生しないと生きていけないと思って、奴隷を甘んじて受け入れているかのようなさくらには、本来の意味の天邪鬼は、考えられないのではないだろうか。
 だが、ゆりかは、さくらと離れる気はなかった。
 これがいいか悪いかは分からないが、さくらは、自分にとっての反面教師であった。
 さくらを見ていると、
「自分は、本来の意味での天邪鬼なんだ」
 ということを感じさせられると思うのだった。
 そして、さくらを、反面教師だと思うようになると、天邪鬼をますます好きになってくる自分が好きになってきた。そして、本来なら苛立ちを覚えるはずのさくらに対して、
「ありがとう」
 という気持ちさえ抱くようになった。
 反面教師というのは、本来はいい意味ではないのだろうが、ゆいかにとっては、自分の存在価値を再確認するためには絶対に必要な、一種の、
「必要悪」
 のようなものではないかと思うようになったのだ。
「必要悪といえば、天邪鬼だって、必要悪のようなものだと、どうして、皆感じないのだろうか?」
 どこから、悪という印象がついたのか分からないが、天邪鬼がいなければ、皆考えが一つになってしまって、反対意見のない世界になってしまう。
 民主主義にとっての、天邪鬼の存在を否定することは、民主主義を否定するようなものではないか?
 民主主義というのは、多数決の世界であり、多数派が少数派に勝つというのが、図式になっている。
 少数派すらいなければ、選挙や国会などもありえない。そうなると、誰が国を引っ張っていくというのか? 一人に決まってしまうことになる。そうなると、独裁政治である。
作品名:症候群の女たち 作家名:森本晃次