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症候群の女たち

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 芸術が、
「個性だ」
 と言われるゆえんと同じものが根底に広がっているのではないかと思うのだった。
 だが、ゆいかが目指す絵画というのも、次第に変わっていった。
 それまでの、
「忠実に描く」
 という発想ではなく、それよりも、自分の感性を織り交ぜるという考えである。
 そういう考えが主流なのだということを、ゆいかは感じていない。だから、その時感じた感覚は、
「自分のオリジナルなんだ」
 と考えた。
 だが、すぐに、現実として存在しているものだと理解するようになると、
「少し無駄な時間を過ごしたかも知れないな」
 と感じるようになったが、それはそれで自分が答えに行き着くための、必要な時間だったと思うことで、自分なりに納得できていたのだ。
 だが、現実主義的な考えが変わったわけではない。
「現実主義的な考えを持っていても、十分に芸術に親しむことだってできるんだ」
 と、むしろ、そう考えたくらいだった。
 個性というものと、現実主義的な考え方、どちらも持ち合わせているからこそ、できるものがあると考えるようになった。
 その頃までは、他に芸術に親しんでいる人と知り合いたいとまでは思っていなかったが、想像力を自分も膨らませているということに気づいてくると、
「誰かに聞いてもらいたいな」
 という気持ちになってきた。
 その時初めて、それまでまわりと交わりを持たなかった本当の理由が分かった気がした。漠然と分かっていた気がしたが、その理由として、
「孤独というものが、悪いことではない」
 と考えていたからだと感じるようになった。
 それは今でも変わりはないが、孤独という言葉を拡大解釈すると、どうしても、悪いことに固まってしまう。それは、全体から見て、表面上に悪いことだと思っているようなことが、見えるからなのかも知れない。
 そのうちに、ゆいかにも、話のできる人が出てきたのだが、その口調が、言いたい放題の人だったのだ。
 そんな人であっても、言い方が重々しければ、こちらも考えるのだが、まくしたてるようにいう方なので、こっちが悪くなくとも、悪いかのように考えてしまうようになった。
 本当であれば、重々しい口調の人から言われれば、自分でも考える余裕もあるのだが、まくしたてられると、何も言えなくなってしまう。
 そのうちに、自分が被害妄想になってくるのを感じた。
 人のいうことが信じられなかったり、信じようとしている自分に対して、嫌悪感を感じたりするのだ。
 そんなゆいかだったが、ふとしたことで知り合ったのが、さくらだった。
 さくらも、神経内科に通っていたのだが、その理由は、彼女にあるトラウマがあったからだ。
 普通の人であれば、そこまで感じないのかも知れないが、さくらのトラウマは、
「殺人事件現場を目撃したこと」
 だったのだ。
 別に殺害現場を見たわけではなかったが、殺害された後の、惨状を見てしまったのである。
 それがトラウマになり、絵の具のようなドロドロしたものや、少し濃い紅の色を見ると、身体に震えが起こり、意識が朦朧としてきて、指先の間隔がなくなって、そのまま意識を失うこともあったようだ。
 そのうちに、そのハードルがどんどん低くなり、ドロドロしたものを見ただけで、身体が震えてくることがあった。
「これは、拒否反応の一種なんだろうね?」
 と先生は言っていたが、どうしても、トラウマというと、PTSDを思い浮かべてしまう。
 何かショックになったことが、心的外傷として残ってしまうのが、トラウマと言われるもので、それが影響する、
「心的外傷後ストレス障害」
 というものが、残ることが多い。
 つまり、トラウマとして心の奥に残ってしまった場合、ストレスを感じることで、せっかく封じ込めていたトラウマが出てきてしまって、それが新たな障害を引き起こすというものである。
 特に、天災の場合などに起こると言われている。
 地震であったり、戦争などの経験というのは、意識では覚えていなくても、トラウマとして残っている場合など、極度なストレスによって、その思い出が戻されるというのだ。
 それは、被害妄想というものとも、密接に関係している場合があるのではないかと先生は言っていた。
 ただ、さくらの場合は、
「PTSDの可能性は大いにある」
 と言われていたが、被害妄想という感覚はないということだった。
 被害妄想は、ストレスからくるものではなく、例えば自分に自信がないくせに、友達からは慕われていると思っていたが、やはり、慕われていたわけではないと思うと、自分に自信がないことが災いして、被害妄想になるのだった。
 ストレスの場合は、自分に対して自信のあるなしは、あまり関係はない。
 というのは、自分に直接関係があるかないかということが、ストレスを生むわけではない。
 あくまでも、外からの圧力が大いに関係している。そういう意味では、PTSDの元祖になる、
「トラウマ」
 という現象が、被害妄想を引き起こす可能性はあるだろう。
 そういう意味では。トラウマがすべての元凶であり、PTSDも、被害妄想も、トラウマからの派生型だと思うと、あながち、PTSDと被害妄想が、まったく違うものだとも言えないのではないだろうか。
 ただ、ゆいかとさくらは、結構意気投合した。
 何がよかったのかははっきりと分からない気がするが、最初に近づいたのは、ゆいかの方だった。
 さくらは、自分から女性に近づくということはしない。なぜなら、自分が、
「なぜか女性に嫌われるタイプだ」
 ということが分かったからである。

                 まりえと、ゆりか

 さくらは、おとなしい女の子で、あまりさくらのことを知らない人は、
「どうして、女性から嫌われるんだろう?」
 というのだが、その人が女性であれば、そんな感情を抱いてから、少ししかたっていないのに、
「さくらと付き合う女の子の気が知れない」
 というところまで感じてしまうのだから、かなりの嫌われようなのだ。
 その間に何があったというのだろう?
 さくらと仲良くなった、ゆいかだったが、ゆいかは、いつまで経っても、さくらのことを嫌いにならなかった。
 さくらという女性に対して、ある瞬間に、女性として、
「どうしても許せない」
 という瞬間が訪れるのだという。
 そのことに気づく人もいるが、ほとんどは気が付かない間に、さくらと一緒にいるのが、嫌になってきているのだ。
 さくらが言われているのは、
「別にきれいでもないし、男性に特別好かれているわけでもないのに、何か腹が立つんだよな? どうして。さくらと仲良くなりたいと思ったのか? そんなことを思った自分を、ぶん殴ってやりたいと思ったほどだった」
 ということであった。
 かといって、平均的な面白みのないという女の子でもない。
 だから、最初は、女の子の方が近づいて行くことが多いくせに、まるで途中から、
「裏切られたような気がする」
 と感じるのだった。
 裏切られるということがどういうことなのか、まだ中学生や高校生では、実際に味わってみなければ分からないことだった。
 そんなさくらに対して、ゆいかは、ちょっとした尊敬の念を持っていた。
作品名:症候群の女たち 作家名:森本晃次