小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

思いやりの交錯

INDEX|5ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

 と言ってくれた。
 初めて見るはずの女性の裸なのに、まったく違和感はなかった。AVなどでは見ていたので、そのせいかも知れないが、ここまで冷静でいられるのは、先ほどの、
「何度も来ている」
 というような気がしたからであろう。
 店のイメージは、受付や待合室では、完全に初めてだと思っていたのに、プレイルームに入ると懐かしさのようなものを感じたのはなぜであろうか?
 女の子と一緒にお風呂に入る感覚もまったく初めてではない気がした。浮いている方に彼女が優しく手でお湯を掬って掛けてくれるのが、嬉しかったのだ。
「気持ちいいでしょう?」
 と言われて、
「うん、なんだか、懐かしい気がするんだよな」
 というと、
「癒されるでしょう?」
「うん」
 というと、
「これは私の感覚なんだけどね。お風呂に女の子と一緒に入っている時ね。まるでお母さんのお腹の中にいた時の感覚になるんじゃないかって思っているの。実際に、そんなことを口にしたお兄さんもいたからね。遠い記憶の中のお母さんの身体の中と、そして、子供の頃に一緒にお母さんとお風呂に入った記憶が残っているから、お風呂の中の感覚は、懐かしいものになるんじゃないかって思うのよ」
 というではないか。
「ああ、なるほど、だから、女性の身体に必要以上の興奮や違和感がなかったのかも知れないな」
 と感じた。
「お母さんというのは、何だかんだ言っても、右も左も分からない赤ん坊を導いてくれる人だから、とにかく偉いものだって私は思うの。だから、女の人は母親になりたいと思うんだろうし、あれだけ痛い思いをして子供が生まれて、生まれてからも育児で身も心もすり減らしていながらでも、またすぐに子供ができたりするでしょう? ここはきっと男の人には分からない母性本能のようなものがあるのかも知れないって思うのよね」
 とえりなは言った。
「そうだね。そう思っていると、僕もなんだかそうなんだって、思えてくるから不思議だね。えりなさんのいうように、確かに女の人の身体に触ったこともない僕でも、触っていて、ドキドキは確かにするけど、なんだか、どこを触れば気持ちよくなってくれるのかを分かっているような錯覚になるから不思議なんだよ」
 というと、
「錯覚なんかじゃないと思うわよ。他のお兄さんも、似たようなこと言っていたもの。それを聞くたびに私は思うの。男の人ってかわいいってね」
 と言ってニコニコ笑っていた。
「かわいい」
 と言われて、少しテレもあったが、嫌な気はしなかった。
 えりなは、話をしながら、絶えず微笑んでいる。宣材写真も微笑んでいる顔が印象的だったが、実際に会ってみると、写真に感じたイメージとは少し違っていた。
 もう少しキリっとした雰囲気かと思っていたが、そうでもないようだ。
 だからと言って、子供っぽいというわけでもなく、癒しはしっかりともらえる気がしたのだ。
 最初の女の子がダメだと聞かされて、最初に迷った時に、
「次に来るならこの子」
 と思ったのが、えりなだったのだが、その時に感じた感覚と、まったく違っていることに気が付いた。
 どこが違うのかということは、最初に部屋に入って顔を見た時に、一瞬にして忘れてしまった気がした。
 カーテンを開けてから、入浴剤を選び、部屋に入るまでは、まるでシルエットに魅せられたかのように見える影は、完全にパネルの宣材写真のイメージしかなかった。
 そこで初めて見た感覚が、
「あれ?」
 というものであったが、次の瞬間、
「かわいいじゃないか?」
 と思ったのだが、それを思った瞬間に、最初に感じていたイメージを忘れてしまったようだった。
 あの時の宣材写真は頭の中にあったはずなのに、顔を見て納得した時点で、そのイメージは完全に消えてしまっていたのだ。
「もし、またあの写真をどこかで見たりすると、中で感じた彼女のイメージを、忘れてしまうのではないかと思うだろうな」
 と感じた。
 えりなという女の子をいかに自分に取り込むかということが、この時間を最大限に楽しみ秘訣だと思った。もう部屋に入ってしまえば、
「童貞卒業」
 などということは、どうでもいいことのように思えるくらいだったのだ。
「お兄さんは、大学生なの?」
 と聞かれたので、
「うん、そうだよ。1年生だね」
 というと、
「そっか、まだまだ初々しいわね。私の方がちょっぴりお姉さんね」
 と言って微笑んでくれたその顔が、今までの顔と違うが、なぜか急に懐かしさを感じた。
「ああ、あの宣材写真の顔だ」
 と感じた。
 懐かしいというほど前のことでもないのに、懐かしいと感じるのは面白かった。
「ということは、この部屋を懐かしいと思ったのは、昔のことではないのかも知れない」
 と思うと、デジャブという言葉が思い出された。
 初めて見たり行ったりしたはずのところなのに、昔知っていたかのように思うような現象のことをデジャブというらしいが、なぜそう感じるのかということは、いろいろな説があり、完璧に解明されているわけではないと聞いたことがあった。
 マサトは、デジャブというものに対して、
「何かの辻褄が合う時の感覚が、錯覚のように押し寄せるのではないか?」
 という、言葉にすると、よく分からない結論になる考えを持っていた。
 つまり、実際に見たことはないが、絵や写真で、強烈な印象を得たことがあれば、それをまるで見たことのように感じるのだということだ。
 ということは、強烈な印象を得る時というのは、自分の中で忘れることが多いのだろう。
 考えてみると、そんなに何度も絵を見て感動を覚えたという思いを感じたことはなかった。
 むしろ、
「一度もなかったかも知れない」
 と感じるくらいなのだが、意識としては、
「一度もないということはないように思える」
 と思うことであった。
 ここで、えりなと一緒にいると、お風呂の心地よさと、彼女の肌のぬくもりとが、最終目的である、
「癒し」
 というものを、早くも手に入れた気がした。
「大体、最終網的って何だっけ?」
 と思うくらいに、癒しは自分の意識をマヒさせるに十分だった。
 店に入る前は、もっといかがわしい雰囲気があり、店だって、もっと隠微でいやらしい雰囲気を醸し出しているに違いないと思っていたはずなのだ。
 それなのに、店の雰囲気に隠微さはまったく感じられる、待合室も普通の部屋と変わりはない。
 しいて言えば、プレイルームに入る前のカーテンから、薄暗い通路を巡って部屋に入るまでが、まるで
「タイムトンネルではないか?」
 と思わせるくらいであった。
 タイムトンネルというのは大げさかと思ったが、懐かしさを感じるのであれば、そこにタイムトンネルがあったとしてもおかしくはない。
 そう、それこそ、
「ワームホール」
 と言ってもいいかも知れない。
 彼女にそれを話すと、
「面白い考えね。私はそこまで感じたことはなかったわ。でも、確かに、待合室から部屋までの間薄暗いのは、ここで、お客さんが、今までの世界から、新感覚な世界に入り込むための、トンネルだということで、わざとここを暗くしてあると聞いたことがあるわ。ただね。もう一つ理由があるんだけどね」
 というのだった。
作品名:思いやりの交錯 作家名:森本晃次