思いやりの交錯
目の前に見えている事実が、誰もが納得のいく事実だからと言って、科学的に証明されているものだと、誰が言えるのだろう? そういう意味で、
「ハッキリと納得しながら見えていることに対してすら、証明されているわけでもないのに、その理屈のさらに先を求めようとしても、できるはずもない」
というのが、
「証明できないことの証明」
だと言えるのではないだろうか?
そう、誰もが納得していることすべてが、科学で証明されているということ自体が迷信のようなものであり、そう考えると、世の中の摩訶不思議なことは増えてくることに違いはないが、
「まったく解明できないと思っていたことも、順を追って考えれば、証明されることになる」
と言えなくもないだろう。
他のことを考えてしまったからなのか、その本のラストがどんな内容だったのかというのがおぼろげであった。
もう一度読み直してみようかと思ったのだが、作者は誰だったのかというのは憶えているが、タイトルを忘れてしまった。
しかも、この作家は短編から中編が多く、どの本だったたかも正直覚えていない。さらに、この作家のタイトルのつけ方は独特で、タイトルから、内容を思い出すのも難しい。
となると、一冊一冊、その本に収録されている話を、ある程度途中くらいまで見ないと内容が分からないのだった。
「余計なこと、考えなければよかった」
と思ったが、考えたものは仕方がないし、さっきの鏡の話も、新たな小説のネタになるかも知れないと思って、いつも持ち歩いているメモ帳に書いた。
いずれは、小説を書くようなことがあったら、ネタ帳にでもしようと思い、書き残しているものが、数冊あった。
ストーリーっぽいのも、中にはあるが、ほとんどは思いついたことをただ書き残しただけの、単語だけのことが多い。
逆に後で見た時、まったく関係の内容に見える単語でも、強引につなぎ合わせようとすると、それなりに、何かが出来上がってくるのではないかと思うのだった。
そんなことを思い出していると、さっきの話も、
「覚えていないのであれば、ラストがどんな内容だったのか?」
ということを意識するのではなく、
「自分なら、どう書く?」
ということを考えるのも、面白いのではないかと感じた。
できるできないは別にして、いろいろな発想が思い浮かんできた。
「この男に催眠術を掛けて、殺させる」
あるいは、
「毒を入れた飲み物を冷蔵庫に忍ばせておいて、毒殺する」
というのが、すぐ浮かんできたが、
「催眠術を掛けるとしても、誰にかけてもらうのか? 殺す催眠を誰に頼むというのか?」
ということだけで、催眠術はありえない。
また、後者の方であるが、
「毒殺と言っても、毒はどこから手に入れるというのか? 冷蔵庫に忍ばせておくというが、間違って、男が飲むかも知れないし、下手をすれば、自分に当たるかも知れない」
などと、
「一つのことを考えてから、そのことに何か問題はないか?」
と考えただけで、一つの可能性に対して、いくつもの問題がたくさん出てくるではないか?
そんな状態で、スカスカの殺人計画がうまくいくわけがない。
もっとも、人をそんなに簡単に殺せるのであれば、もっとたくさんの計画犯罪が起きていることだろう。捜査する警察が優秀だからとまでは言わないが、計画がザルであれば、日本の警察でも、事件の解決くらいはできるということであろう。
だが、よく考えてみれば、このお話は、
「奇妙なお話」
と言ってもいい。
そもそも、同じ次元に、
「もう一人の自分」
が存在しているということが、考えられないことではないか?
それを、探偵小説のような物語のように、警察の捜査や、探偵の捜査などが絡んでくるというのは、ジャンルを超越したもので、プロが書くとしても、難しいものとなるに違いない。
「奇妙な物語を強調すれば、ミステリー要素が陳腐になるし、リアルなミステリー要素を強調するのであれば、奇妙な物語の部分が陳腐になってしまう」
ということだ。
だから、ジャンルが重複するような小説は、基本的にはタブーな要素が大きいといえるだろう。
ということは、この話の結末としては、
「あまりリアルであってはいけない」
ということになるであろう。
それを思うと、
「今の俺に、こんな小説が書けるのだろうか?」
としか思えなかった。
この話を、皆にすると、つかさが口を開いた。
「そのお話は、私は読んだことはないんですけど、自分が書くなら? ということで考えれば、何となく想像がつきますね」
というのだった。
「というと?」
「まず、小説を書く時に考えることは、いろいろなパターンを考えて、そのパターンを網羅できる考えを用意しておく。それをつなぎ合わせて、一つの小説にするんだけど、そう考えて、組み立ててみましょうか?」
という。
「最初に考えるのは、二人が次元が違っていて、どちらかが、たぶん、5分前の女でしょうが、彼女が、こちらに飛び込んだのだとすると、相手を殺すことは危険です。なぜかというと、タイムパラドックスのようなものが働いて、彼女の世界の未来が変わってしまう可能性があるということですね。そしてそこまで考えると、彼女の方は、こっちの次元も、向こうの次元も自由に行き来することができ、自分の次元に歪みが生じようとしているのを防ごうとして、あえて飛び込んできたという考え。まずは、そのあたりから考えられるのではないでしょうか?」
と言った。
ちょっと聞いただけで、ここまでの発想ができるというのはすごいものだ。
「いや、逆に、今聞いたことだから、客観的に見ることができるということで、発想が柔軟なのだろうか?」
と思うのだった。
つかさは、さらに続けた。
「この話は次元というのが一つのキーワードのようになっているでしょう? 1人の女性が2つの次元、考え方によっては時空という考えになるのかも知れないけど、それぞれに存在しているのであればいいが、同じ次元に存在してると考えると、二人が会うということは、ありえないということですよね? そうなると、未来が変わってしまう。つまり、5分後の主人公が、追いついてしまうと、今起こっていることがもう一人の未来になるわけで、逆にいえば、5分前も5分後もまったく同じ世界になってしまう。それは未来を変えることであり、歴史が変わってしまうという発想になる。そう考えると、逆に、5分前と5分後にそれぞれ、二人だけの次元が別に存在していると考えれば、そっちにワープしたという内容にすることもできる。こうなると、ジャンルは、異世界ファンタジーの世界観になるんじゃないかしら? それも一つの小説としての発想よね? そして、この小説が本当に奇妙な話として終わらせようとするなら、本当の主人公は向こうで、自分が、架空だったのではないか? という発想をするかも知れないわ。結論としては、浅いかも知れないけど、何度か読み直すうちに頭の中で辻褄が合ってきたり、あるいは、この小説の醍醐味は、最期の数行の大どんでん返しにあるというような、いかにも奇妙な小説を感じさせる話に仕上げようと考えるでしょうね」
というのであった。
「ほう」