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思いやりの交錯

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 というのを聞いて、その女への意地から、何が何でも、今日はこの男に抱かれたいと頭の中では思うのだが、身体が受け付ける気がしなかった。
 それどころか、
「今日、この男に抱かれてしまうと、もう二度と、この男に抱かれることはないだろう」
 と感じるのだ。
 それは、抱かれたいと思うことがないと感じるからなのか、男が抱こうという気が失せるからなのかのどちらなのかと考えたが、頭の中では、
「抱かれたいとは思わない」
 という方が強いと思った。
 しかも、同じように、相手も抱きたいとは思わないだろうなとも思ったのだ。完全に終わりではないかと感じた。
「それもこれも、もう一人のあの女が悪いんだ」
 これまでいなかったはずのあの女が現れてから、自分の人生はメチャクチャになったと思っていた。
 それを救ってくれたのが、彼だったはずなのに、その彼からも愛想を尽かされ、こっちも、それまでの愛情が一気に冷めてしまい、自分が何のために生きているのか分からないと思うくらいになったのだ。
 その女が考えたのは、
「5分前の女を殺すしかない」
 と考えるようになった。
「5分後の自分が生きているのだから、殺人犯として捕まることはないだろう」
 という、リアルなところでの発想があったのも事実だが、少なくとも、
「5分前の女が生きている限り、自分に幸せは絶対に訪れない」
 という思いであった。
 その時に頭の中にあった危惧としては、
「5分前の女を殺してしまうと、今の自分も、この世から消えてなくなるのではないか?」
 という思いであった。
 この思いの根拠には2つある。
 一つは。
「ドッペルゲンガーを見ると、自分が死んでしまう」
 という発想と、
「生きている時間が違うといっても、同じ次元に存在しているもう一人の自分を抹殺するということは、まるで鏡の中の自分を抹殺するのと同じで、それは、元の自分を抹殺するということに変わりない」
 ということであった。
 どちらが、本当の自分であっても、影が消えれば、元々も消えてしまうという発想であり、同じ次元であるかぎり、片方が消えれば、もう片方も消えるという発想なのだ。
 ただ、問題としては、
「絶対に遭うことのない相手を、どうやって殺すか?」
 ということである。
 二人を同時に知っているのは、彼しかいない。彼を使わない限り、
「5分前の自分」
 を抹殺することはできないのだ。
 彼がそんなことをしてくれるはずもない。
「彼を騙して、毒を飲ませるように仕込もうか?」
 とも思ったが、頭のいい彼を騙すなど、そんなことができるはずもない。
 いくら、彼に対して冷めてしまったとはいえ、一度でも、愛してやまない人だったはずだ。そんな人に、人殺しの片棒を担がせるわけにはいかないだろう。
 そんなことを考えると、とてもではないか、できることではなかった。
 すると、そんな気持ちを見透かしたかのように、男がいうのだ。
「今君が何を考えているか、手に取るようにわかるよ。たぶん、5分前の女も同じことを考えていたんだからね」
 というではないか。
 それを聞いて、彼女はゾッとした。
「あの女は、同じように、私の抹殺を考えていたということ?」
 と思うと、顔が真っ青になるのを感じた。
 それを見て、彼も、自分が感じていたことに確信が持てたのだろう。だが、言葉を続けた。
「あの女は、すぐに気を取り戻したっけね。冷静に考えたら、君も同じことを考えるということが分かったんだろうね」
 というではないか。
「それであなたはなんと言ったの?」
 と聞かれた男は、
「何も言わないさ。この問題は君たち二人の問題なのさ。俺には関係ない」
 というのだ。
 それを聞いて愕然とした。
「その程度にしか私のことを思ってくれていなかったの?」
 と聞くと、
「ああ、君たちは2人で1人なんだ。俺は、一人の女を二度抱いていたわけではなく、半分の女を2度抱いていたということさ。これがどういうことか分かるかい?」
 と男は言った。そしてさらに続ける。
「一粒で2度おいしい代わりに、飽きはすぐには来ないのさ。だが、一度飽きてしまうと、もうどうしようもないんだ。それは他の女を抱くよりもひどいことなのさ」
 とぬけぬけと言ってきた。
「そんな……、そこまで感じていたなんて」
 というと、
「そんなものだよ。俺は君のことが絶対的に好きではないのさ。逆に君たち2人が、俺にそのことを気づかせてくれた。きっと、俺はこれからもずっと、一人の女を愛し続けることはできなくなってしまったんだと覚悟しているよ」
 というではないか。
「この男も、私たち以上に苦しんでいたのかも知れない」
 と主人公は思った。
 しかし、自分では、もうどうすることもできない。かといって、あの女が存在している以上、自分が自分でいられる気がしてこないのだ。
 相手もきっと同じことを思っているかも知れない。何を考えているのか、実際に聞いてみたいものだとも思ったのだ。
 そんなことを考えていると、
「肉体は2つなのかも知れないが、頭の中は一つなのかも知れない」
 とも感じた。
 一つの頭を二つの身体が支配しているのか、一つの脳が、二つの身体を支配しているのか、同じことのように感じるが、
「脳の中でもまったく同じ部分を共有しているのか、お互いに交わることのない部分を共有しているのか?」
 ということを考えると、実は同じ人間であっても、別々の存在なのかも知れないと、思うのだった。
 本を読みながら、何を考えていたのかということを思い出していたマサトだったが、まったく違ったことを考えていたのを思い出した気がした。
 それは、小説を読みながら、不可思議な状態の中で、普段から疑問に感じていたことの一つを、ふと思い出したという感覚だった。
 それが何かというと、
「鏡の中に映し出された光景」
 だったのだ。
 その光景というのは、何も自分のことである必要はない。人間である必要もなく、正直何であってもよかったのだ。
 鏡というものの性質を考えてみて、
「なぜ、そうなっているんだろう?」
 と誰もが感じるはずのものなのに、あまり意識する人は少ない。
「一度は、誰でも感じたことがある」
 と感じるかどうか、実に微妙は発想であった。
 というのも、
「鏡を見た時、左右は対称になっているのに、なぜ、上下は対称になっていないのだろう? 上下が逆さになっているという見え方はしていないではないか?」
 というものだ。
 実際に、中央が奥に突出したような鏡であれば、上下が逆さに見える鏡もあるだろうが、普通の鏡は上下が逆さまに見えることはない。
 このことに関しては、科学的にハッキリとした回答があるわけではない。心理学的に考察することで、
「納得できることはあるかも知れない」
 と思えるような理屈もないわけではないが、諸説あるので、それぞれに説得力もあることなので、一概に、
「これが正しい」
 とは言えないのではないだろうか。
 ただ、一つ言えることは、
「左右対称になって見えるというのは、誰もが知っていることなので、こちらに関しては、その証明がなされている」
 という考えそのものが間違っているのだ。
作品名:思いやりの交錯 作家名:森本晃次