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思いやりの交錯

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 中立ということは、どちらの国に対しても、援助してはいけないというのが国際法である。
 宣戦布告にしても、最後通牒にしても、それで戦争状態を明らかにさせることで、第三国に対して、自国の立場をハッキリさせるためのものである必要があるからだ。
 つまりは、国交断絶している相手に攻め込んだ時点で、宣戦布告も同じこと。その状態で、中立の立場、特に日本には、非戦闘の憲法が存在するため、選択肢は、
「中立」
 という一つしかないのだ。
 それなのに、どちらかの国に対して援助したり、武器を供与するということは、加担しているのと同じこと、中立国がそんなことをするのは、それこそ国際法違反のはずである。
 だとすれば、攻撃している国が、日本を敵国としてみなすのも、当然のことで、攻め込まれても文句はいえないだろう。
 いくら日米協定があるとはいえ、核戦争の恐怖から、日本が攻め込まれてもアメリカは助けてはくれない。それは、今攻め込まれている国に対して介入できないのだから、当然のことであろう。
 さて、そうなると、日本という国がしなければいけないのは、
「介入しないこと」
 である。
 下手に介入すると、攻め込んでいる国から、相当のエネルギーを買っているので、そのうちに、物資が不足してきて、それまでは、
「平和のため」
 などと言って、援助が当たり前のことのように言っていた国民が、生活が少しでも苦しくなると、政府に対して不満を持つようになるだろう。
 自分たちが賛成していたにも関わらずである。
 しょせん、日本というのは、ここ80年近く、戦争を知らない国家なのだ。
 憲法9条に守られて、さらには、アメリカの核の傘に守られる形で、日本は、
「平和ボケ」
 をしてきたのだ。
 先ほどの、演説が、ナチス・ドイツの悪いところを継承しているのであれば、今度は大日本帝国の悪いところの継承として。
 今回の侵攻において、攻められている国の地名を、今までは、基本として、
「攻めている国の発音」
 で呼んでいたが、それを、
「敵性語」
 ということで、
「攻められている国の発音ではないといけない」
 という理屈を実行しているのであるが、これこそ、まるで、大東亜戦争の時に、
「英語は敵性語であるから、使ってはいけない」
 と国民を誘導したのと同じではないか。
 それこそ、大日本帝国が、破滅の道を歩み始めた時の発想であり、どれだけ今の日本の政府が腐っているのかということを表しているのだと思うのだった。
 ケイタイ小説や、ライトノベルから、迷惑ユーチューバーの話、さらに、禁煙の話から、政府への不満の話と、何か、負のスパイラルが働いているのか、頭の中が、負の要素の方にどんどん近づいていった。
 絶えず、何かを考えていることが多いマサトは、急にこんな話を考えてしまって、自分が、その場から離れてしまっているのを感じたほどだった。
 それこそ、奇妙な話に出てきそうなことで、以前、見たドラマの中で、気になるストーリーがあったのを思い出した。
 あの話は、
「自分の知らないところで、もう一人の自分がいる」
 というような話で、
「もう一人の自分」
 という発想であれば、
「ドッペルゲンガーのようなものではないか?」
 と感じるのだった。
 ドッペルゲンガーというのは、あくまでも、
「似ている人間」
 というわけではなく、
「本当に、もう一人の自分」
 のことである。
 つまり、世の中に三人はいると言われているものではなく、
「もう一人の自分が存在する」
 という発想ありきでのことなのだ。
 その小説においては、
「5分前の自分」
 という発想であった。
 女が、男のところに行って、身体を重ねるのだが、男は無表情である。女が、
「また、あの女と比較しているの?」
 と聞くと、
「どっちが本当の君なんだい?」
 と聞かれる。
 その時、男は、5分前の女を抱いた後だったのだ。
 好きで好きでたまらないその男のことなのだが、その男がいうには、
「同じ女を、2度も抱くというのは、こんなにアッサリした気持ちになるものなんだな」
 という。
 男はちゃんとは愛してくれるのだが、表情に変化はまったくない。
「ねえ、愛してくれていないの?」
 と聞いても、無反応である。
「5分前の女が好きなの?」
 と聞くと、ニヤッとする。
 それを見ると、奈落の底に突き落とされた気がするのだ。
 男とすれば、どちらも同じ女だという意識がある。もし、一人だったら、女が感じているのと同じように、好きで好きでたまらなかったかも知れない。だから、快感が分からないにも関わらず、離れることができない。男の方としても辛いのだ。
 だが、主人公の女は、絶対に5分前の女と出会うことはできないのだ。同じ次元で、違う時間を、まったく同じ時間差で生きているのだ。そう、パラレルワールドのようなものなのかも知れない。
 ただ、描いているのは平行線である。決して交わることはない。つまり、会うことはできないのだ。
 まるで、他のパラレルワールドの自分が5分前に存在している。
 それなのに、もう一人の自分の存在に気づいているのは、彼だけだった。彼を信じたいという気持ちがあるのは当然なのだが、それは、あくまでも、他の人は誰一人として、もう一人の自分の存在に気づいていなかった。
「ドッペルゲンガーだとすると、それを認めるということは、死を意味することではないか?」
 ということから、認めたくないという人もいるのではないかと思うが、いたとしても、少数派であろう。
 マサトは小説を読みながら、そんなことを感じていた。

                 5分前の女

 その小説では、彼女は、もう一人の自分に対して嫉妬しているのか、それとも憎んでいるのか分からない。何と言っても相手を見ることも遭うこともできないからだ。
 彼女のことを知っているのは、付き合っている男だけで、
「5分前の私って、どんな私なの?」
 と聞いても、最初は何も答えてくれなかったが、次第に苛立ちを感じるようになってから再度聞くと、
「お前そのものさ」
 というではないか。
「私そのものって……」
 とそこまで言ってから言葉が続かなくなってしまった。
「その言葉の通りさ。今のお前のように、俺に聞いてきたさ。5分後の女って、どんな女なのかってな」
 というではないか。
「えっ? その女も今日初めて聞いてきたというの?」
「ああ、そういうことさ、だから、俺はお前からも聞かれることを分かっていたので、ちゃんと答えてやったのさ」
 という。
「じゃあ、5分前の女には、何て答えたの?」
 というので、
「何も答えないさ。いつもの通りさ。今は後悔しているけどね」
 というのを聞いて、一気に嫉妬心がこみあげてきた。
「いいわ、今日はあなたに抱かれたいとは思わない。今日はこのまま帰るわ」
 というと、
「5分前の女もそういって、帰っていったさ」
 というのを聞いて、
「あなたはそれでどんな気分になったの?」
「ホッとしたって感じかな?」
作品名:思いやりの交錯 作家名:森本晃次