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思いやりの交錯

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「同じ精神的なものということであれば、それは次元が違うということになるのかな? 彼女には精神面を求めて、風俗嬢には、肉体的なものを求めるという割り切り方をすると、結局どっちつかずになってしまいそうな気がするんだ。彼女に肉体的なものをまったく求めなかったり、風俗で精神的なものを求めないとか、ありえないだろう? だけど、割り切るという考え方になると、どうしても、肉体と精神で、どっちかに分けないといけないような感覚になるんだよ。それを割り切りと言ってしまうと、本当に風俗嬢とはお金だけの関係になってしまい、お金をそんな気分で割り切るために使うのだと思うと、それこそ、本末転倒なんじゃないかって思うんだ」
 と先輩はいう。
「じゃあ、先輩は、それぞれを割り切っていないんですか?」
 と聞くと、
「割り切るという意味が俺には分からない。自分がその時の心境で、どっちに遭いたいと思うというのは、ダメなのかな? 確かに割り切るという意味では、彼女がいるのに、他の女性を求めてしまうということは、決して褒められることではないと思うのだが、だけど、自分の気持ちに正直になるというのが、どちらに遭いたいかということの気持ちに対しての答えだと思うのが、やっぱり、言い訳にしかならないのかな?」
 と先輩は言った。
「僕には、まだ分かりません」
 というと、
「ハハハ、そりゃそうだろう。俺が今まで考えて結論が曖昧なのに、今日、童貞を卒業したやつに、簡単に分かってたまるものか」
 というのだった。
「確かにそうなんですが、彼女の前に風俗嬢の癒しを知ってしまうというのは、どうなんだろう? って思うんですよ。このままだと、彼女なんて一生できないんじゃないかって思うくらいで」
 というと、
「そんなことは気にしなくてもいいんじゃないか? 彼女がいないといけないというわけでもないし、彼女と結婚しても、幸せになれるかどうか分からない。むしろ、離婚する可能性の方が高いんだから、それを思うと、俺は、今は別に感情に身を任せてもいいんじゃないか? 気持ちと感情って違うものなんだからな」
 と先輩は言った。
「気持ちと、感情が違う?」
「ああ、違うんじゃないかな? 一緒だと思っていると、自分を見失いかねないから気を付けた方がいい」
 と、先輩は、時々真面目にとんでもないことを言い出す。
 しかし、それがいつも的を得ているのだから、すごいものだ。
「やっぱり、先輩ってすごいんだ」
 と感じたのだった。

                 オカルト少女

「気持ちと感情の違いって、たぶん考えれば分かることだと思うんだよ。気持ちは、感じたことであって、感情は、今まさに感じていることだろう? だから、現在進行形の感情というのは、抑えが利かない場合がある気持ちのように、考えたということが前提であるのであれば、そこから、一拍置くこともできるからな。だけど、問題なのは、そこではない。今自分が、感情で動いているのか、それとも、気持ちで動いているかということなんだ。だから、感情的というと、考えもなしにということになるのだが、それも当たり前、考える前に行動しようとするんだから、いわゆる感情的になったとしても、それは無理もないことさ」
 と先輩は言った。
「ああ、なるほど、考えるということは、感情の後にあるということですね。言われてみると、感情的になるということも一緒に考えれば分かるような気がしてきました」
 というと、
「だけどな、感情的になっている時でも、意外と人間というのは考えているものなんだよ。行動しながら考えているだけで、だから、考えながら、自分の行動を客観的に見ているさ。だからね、場合によっては、行動している自分を抑えることができないと思うと、その行動をいかに正当化しようと考えるから、言い訳を考えてしまう。だから、感情的になっても、結構、人間はすぐに我に返れたりするだろう? それは、言い訳を考えているからなんだ。だけど、たいていの場合、言い訳が思いつかないから、我に返るしかないんだ。けど、我に返る方が言い訳を考えるよりも、よほどいいように見えるだろう? それも、我に返る人の方が圧倒的に多いからではないかと俺は思うんだ。だから、我に返る多数派を皆正しいということにして、正当化しようとする。そうやって考えれば、人間というのは、正当化を考える動物なんだと思わないかい?」
 と先輩はいうのだった。
 何とも先輩の言葉には重みがある。平然と当たり前のことを言っているように聞こえるが、言っていることは、理路整然としている。そうでなければ、この話は唐突すぎて、簡単に理解できることではないだろう。
 それを理解できるのだから、それだけ話の辻褄が合っていて、しかも、説得力があることの証明だといえるだろう。
「なるほど、心理というものを、科学的に、そして時系列で捉えているという感覚でいいんでしょうか?」
 と聞くと、
「そうだな、難しいことは分からないけど、俺の場合は、何かを出てきた結論から、さかのぼるような考え方をすることが多いかな? だから、こういう理屈になるのであって、一度さかのぼった考え方で出てきた自分なりの結論を、今度は人に話す時は、時系列という形で話すので、自分が考えた過程とは違った形のものを披露する形になるので、聞いている方は混乱しないだろうかって思うんだ」
 と先輩がいうので、
「そんなことはないですよ。僕は先輩の言っている話、よく分かります。しかも、先輩の考え方を聞いてみると、今度は新鮮に感じるんですよ。考え方を知らずに聞いていたとすれば、その考えを勝手に理解した自分の思いと、先輩が出した結論の矛盾を、きっと探そうとすると思うんですよね。そして矛盾がなければ、それが真実だって考えるんだって思うんです」
 と、マサトはいうのだった。
「ただ、俺は、本能と理性というものも、一緒に考えたりするんだ。お前は本能と理性についてどう考える?」
 と聞かれて、
「本能というと、自分の感じたことを考えることをする前に動いてしまうことで、理性とは、本能で感じたことを、動く前に考えるその抑えのようなものではないかと思うんですよ」
 というと、
「なるほど、だけど、さっきの俺の話でいけば、本能は、感情に近いものだけど、理性は気持ちだと言えるんだろうか? 理性というのは、あくまでも、考えることで生まれた気持ちの中で、抑えなければいけないものがあったとすれば、それを抑えることができるのが、人間が生まれ持っている理性というものではないのだろうか? 理性と気持ちを一緒に考えると、本末転倒な気がしてきて、おかしな気持ちになってくるような気がするんだよな」
 と先輩は言った。
「どういうことですか?」
作品名:思いやりの交錯 作家名:森本晃次