夜が訪れるとき 探偵奇談24
影が落ちる
七時を迎え、文化展の一日目が幕を閉じた。紫暮は片付けをすませ、係員とともにホールの照明を落とした。
「先生、お疲れさんだったねえ。鍵かけるから出てね」
促されてホールから出るとき、何かをグッと踏んだ感触がした。ガムだろうか、と瞬時に思いめぐらせて足をあげて靴底を見る。何もない。気のせいだろうか。靴底がヘタっているのかもしれない。
ぎい、と重たい扉が閉まる。暗がりの中、紫暮はほぼ無意識にあの絵のある方向を見つめていた。絵の中の女のうつろな視線がこちらを向いているのを想像する。
係員と別れて帰途につく。空はまだほんのりと明るさを残していた。これから夏に向け、どんどん日は長くなる。そして梅雨の半ばには、紫暮の実習も終わる。弟と祖父との同居生活を終え、京都へ戻ることになる。
反抗期の瑞との関わり方にもずいぶん慣れてきたように思う。自分が思う以上に、瑞は自身の道をしっかりと踏みしめて歩いているようだ。その成長が嬉しくもあり、寂しくもある。これまでずっと、うまく関わってやれなかった後悔が、きっとこの先に消えることがないことを紫暮は知っている。一緒に悲しんだり苦しんだりしてやれなかったことを。乗客のまばらなバスの車内で、紫暮は一人そんなことを思うのだった。
「ただいま」
玄関の網戸を開くと、近所の猫がべろんと寝そべっていた。冷たい床が心地よいのだろう。時折こうして祖父宅でくつろぐ近所の猫たちは、自由でのんびりしていた。紫暮はその喉をゴロゴロしてやる。奥の居間から瑞が顔を出した。
「…ご飯食べて来た?」
「まだ」
「じいちゃんが作ってくれた肉じゃがあるから食べてだって。じいちゃんは会館まで農家組合の話し合いに行ってる」
それだけ言うと弟の顔は引っ込んだ。ありがとう、と返して弟の変化を改めて思う。あいつも、何だかんだと自分から話をするようになったなと。それが業務連絡であっても、高校生になってから殆ど紫暮と話そうともしなかったことを考えると大きな変化だった。それでもそっけなく愛想もない。もともとそういう兄弟だから気にはしないが。
(あいつの反抗期っていつ終わるんだ?)
中学の頃に比べれば落ち着いたし、両親に対してはだいぶ丸くなったというのに。兄に対しての反抗期が終わる気配はない。
作品名:夜が訪れるとき 探偵奇談24 作家名:ひなた眞白