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能と狂言のカオス

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「この場合も、まるで、指紋に気をつけろと言わんばかりに感じるんだけど、気のせいだろうか? この間の自殺の件でも、他は何もついていないのに、明らかに、拭き取られたかのような疑惑を持たせるような指紋の残し方だったじゃないか?」
 と刑事がいうと、
「そうなんですよね。今回も、相手が作業員だったことでペンキに指紋の痕がついていても不思議はない。その指紋をあたかも、見ることを勧めるかのような状態は、偶然なんでしょうか?」
 と鑑識は言った。
「それを言い出すと、そもそも、このいかにも鑑識に調べてくれと言わんばかりの指紋も、何か仕組まれているかのようにも思える。これだって、板金工場であれば、そこの作業員にそんな指紋の人間がいてもおかしくはない。しかそ、それって、すべてが偶然にも見えるんですよね。となると、逆にわざとであるという方が信憑性があるじゃないか? だったら、何かあの作為があると思うのは当然であって、そこから事件の糸口が掴めるのはないかと思うんだよ」
 と、言いながら、どこか、まだ自分で信じられない様子だった。
 鑑識はそんな刑事を見ながら、
「この人は、偶然というものを信じるよりも、そこに秘められた作為を疑う方なんだろうな。だから刑事なんだと思うが、それがいつも成功するとは限らない気がする」
 と思ったが、さすがに本人の前で、そんなことは言えなかった。
「私は、今までに刑事としていろいろな事件を経験してきたが、あまり計画立てて犯罪を行うと、どこかに結界のようなものがあって、やりすぎると墓穴を掘るという犯人を結構見てきたんだ。だから、それは捜査員にも言えることであって、油断をしてはいけないが、あまり入り込みすぎて、犯人の術中に嵌ってはいけないと思うようにもなってきたんだよな」
 と刑事は言った。
「なるほど、ここまであからさまに指紋を見せつけられると、犯人の意図が感じられるような気もする。こんな奇妙な指紋だって、犯人が何かの目的をもって作ったのだとすれば、指紋自身にばかり気をとらえてしまうと、真実が見えなくなってしまうと思うんですよ。だけど、我々は事実を究明し、確定させることが仕事なので、逆に事実を突き詰めすぎて、真実をあたかも、事実すべてであるかのように演出しないようにしないといけないとは思いましたね」
 と鑑識はいう。
「まずは、私たちも推理をしようにも、分かっている事実があまりにも遠いところにあることで、見えているはずのものが、実は全然違う方向を見てしまっているようで、拡張して考えていることが、ミスリードされてしまったかのように感じるのが、一番怖いのかも知れないな」
 と刑事は言った。
「ちなみに、この死体の死亡推定時刻はいつ頃なんですか?」
 と聞かれて、
「たぶん、7時から9時の間くらいではないかと思ったのですが、8時に死体が発見されて、警察に通報したのが、8時過ぎなので、7時から8時の間ということでしょうね?」
「我々が現場に入ったのが、10時頃、ということは、殺されてから、少ししか経っていないということですね? それなのに、そんなに死亡推定時刻に差があるんですか?」
 と言われ、
「ええ、犯行時間があまりにも近すぎると、死後硬直くらいしか当てになるものもないので、そのあたりが曖昧になるんです。そういう意味で行くと、実際に、解剖してみないと分からないことが多いということですね」
 と、鑑識は言った。
 実際の解剖所見も、変わりはなかった。やはり、7時から9時の間と判断されたが、事実としては8時までの間ということになる。
 ただ、気になるのは、浮気相手との問題があるとはいえ、8時にわざわざここにこんなに早く来ると言うのは解せない。
「ファミレスにでも寄って、朝食でも食べてくればよかったのに」
 と考えるのは、皆なのかも知れないが、誰も、なぜか口に出す人はいなかった。
 余計なことをいうと思われるからなのかも知れない。
 そんな総務の人間の行動に不信を抱いたことで、
「今回の殺人は、意外と計画性は考えにくいのではないか?」
 と刑事は考えていた。
 それをもう一人の刑事や鑑識に話すと、
「じゃあ、計画としてはずさんだということですか?」
 と聞かれて、
「だからこそ、捜査がしにくいと思うんだよね? 相手が計画性を持ってやってくれれば、こちらも、何かその計画性のどこか一つを掴むことができれば、時系列から、相手の考えていることを考えていくと、推理というのは、ある程度しやすいと思うんだよね? だけど、計画性が乏しい計画となると、可能性というのが、無数のものになってしまって、それこそ、フレーム問題のようなネズミ算式に考えないといけなくなる。そうあると、世界が広がりすぎて、事件を解決するためには、それを一つ一つ潰していかなくてはならない。そうなった時、一歩目を間違えると、その先はまったくの迷路になってしまう。まるで樹海の中ですよ」
 というのだった。
「いろいろ難しいワードが飛び出してきたんだけど、まずは、フレーム問題というのは、どういうものなんですか?」
 と聞かれて、
「フレーム問題というのは、いわゆる、ロボット工学などで言われていることなんだけど、ロボットの中に人工知能を入れて、ロボットに命令し、ロボットが人間と同じ意識を持って動こうとした場合に、まずは、その命令を聞くために、その行動をするために何をしなければいけないかと考えるとしよう。そうすると、ロボットというのは、まず、無限にある可能性のすべてを考えてしまうんだよ。その場にあるすべての考えられることをね?  だけど、それらすべてを考える必要など何もないんだよ。関係のあることだけ、つまり、命令を守ったことによって起こるべきことだけを考えればいいんだけど、ロボットにはその判断がつかないんだ。だとすれば、人工知能に、それらをパターン化すれば、可能なのではないか? というのが、フレーム問題なんだ。つまりパターンがまるで絵を描いた時に飾る額のように囲ってしまうというのが、フレームということになるんだが、ロボットにそのフレームでくくったとしても、フレームにも無限の可能性があり、フレームでくくらない部分が無限であるなら、そこから何を割ったとしても、答えは無限でしかないんだ。そう考えると、フレーム問題によって、無限を解決するのは不可能だということになる。だけど、それでも、まったく不可能なことではないような気もするんだよ」
「どうしてですか?」
 と一拍置いているうちに、もう一人の刑事が聞いてきた。
「だって、考えてごらん。人間は、そんな無限の可能性などという意識も持たずに、自由に発想し、そして、実際にパターンに応じて考えることができ、絶えず危険のない行動が行えてるだろう?」
 と、答えると、
「うーむ」
 と、黙り込んでしまった。
作品名:能と狂言のカオス 作家名:森本晃次