能と狂言のカオス
「ところで、今回の事件はどういうことなんでしょうね? 遺書はあるけど、誰から誰に書いたものだか分からない。だけど、文面だけを見ると、明らかに誰かに充てているものに見える。そう考えると、自殺した人は警察に、自分を誰だか探してほしいということなんでしょうかね? 今のままだと、遺書があったとしても、普通であったら、警察は捜査もしないですよね? だけど、指紋がこれ見よがしに残っていて、しかも、その指紋が、前にあった狂言(?)誘拐の犯人が残した指紋と一致した。それも、不可解な指紋として記憶にあったということが不思議ですよね?」
と鑑識がいうと、
「まるで、今回の自殺に注目してもらうために、前に狂言にもならない誘拐事件を、ある意味、でっち上げたかのようにも思えるわけだよね。それこそ、半分に半分を足すと、一になるというような理屈だよね。だけど、私には、この足し算で一になったという気はしないんだけどね」
と刑事が言った。
「どういうことですか?」
「もし、これで一になったのだとすれば、ある程度の事件の概要が見えてくるはずだと思うんだよ。しかし、まだ我々は何も掴んではいない。何か繋がりがあって、それが何か不気味な感じがするように思えるので、まだ、一にはなっていない。その何かの繋がりというものがハッキリすることで、初めて一になるのではないかと思うんですよ」
と刑事は言った。
「なるほど、そうかも知れませんね。鑑識である我々は、事実から、証拠であったり、刑事が推理するための材料を見つけることに集中しているので、ほとんど、推理に関しては他人ごとでしたが、こうやって伺ってみると、我々の仕事も、推理できる情報を最初に解明できるわけなので、推理をしてみるのも悪くないような気がしてきましたよ」
と言って、鑑識官は笑った。
「それは言えるかも知れないですね。刑事だって、正直に言って、鑑識さんの証明してくれたことを、完全に信じているわけではない。事実には違いないとは思うんですが、真実かどうかは分からない。真実を見つけるには、事実にプラスアルファの何かがなければ成立しないんですよ。それが推理であったり、その時に事件を演じている人たちの心境であったりするんですよね。そういう意味で、血の通わない事件というのは、ないんだというのが私の持論です」
と、刑事は言った。
そういう話をしている時だった。新たな事件が発生し、とりあえず自殺事件どころではなくなってしまった。
「廃業した工場で、その作業員だった一人の男性が他殺死体で発見された」
という事件であった。
その工場というのは、車の板金などを行っている工場で、街はずれにあるという。
早速、刑事数名と鑑識が呼ばれて、行くことになった。第一発見者は、主人のいなくなった工場を買い取った会社の総務の人だという。建物を改修して、食料印の倉庫にするということだった。
その建物を買い取ったのは、地元のスーパーで、そこに在庫を置いて、チェーン店に卸すことを計画していたようだ。
総務の人は、そこで回収業者の人と、いろいろ詰めるということで、現地集合にしていた。
買い取った方の人間が先に入っているのは当然のことで、それは別に問題があったわけではなかった。
ただ、待ち合わせの時間が10時ということだったのだが、総務の人間はその場所に。8時にはついていたという。そこが警察に不審がられるところであった。
「どうして、そんなに早くその場所にいたんだい? 10時の待ち合わせに、8時というのはあまりにも早すぎはしないかい? 何か前もって見ておく必要でもあったのかい?」
と警察に言われて、しどろもどろだった総務部の人間は、
「朝早く起きたから、眠れないんで、とりあえず来てみた」
と言ってみたり、
「一度会社に寄ってくる予定があったので、車が混む前に会社に行きたかった」
などと、言い訳を二転三転させたことで、余計に疑惑を持たれたが、後で分かったことだが実際には、不倫相手の家から直接来たのだという。
不倫相手も、会社に行くので、その場で別れなければいけなくて、時間を持て余したというのが、正直なところだった。
そのくだらない言い訳は別として、総務部の人間が、8時に現場に来て、死体を発見したというのは、よかったのかも知れない。
少なくとも、その時間には死んでいたということがハッキリと分かったわけで、その証言があったからこそ、事件の重要容疑者となるべき、
「一番、被害者が死ぬことによって利益を得る人間のアリバイが成立する」
ということになったのだから、ある意味、捜査の手間が省けたということになるが、逆に、犯人らしき人間がいなくなったという問題も秘めていたのだった。
この事件において、一つ問題だったのは、被害者の着ていた服についていた指紋だった。
「ちょっと、この指紋、見てください」
と、鑑識官が先ほど、自殺者の指紋の話をした刑事に向かって言った。
「これは……」
と、刑事にも、鑑識官が何を言いたいのか、どうやら分かったようだ。
「そうなんですよ、例の自殺したと思われる人の書いた遺書についていた指紋と同じようではないですか? 完全に照合したわけではないですが、これはどういうことなんでしょうか?」
と。さすがの鑑識官も、キツネにつままれたような気がしていた。
きっと、彼は、その時に、
「自分がいつも証明してきたことが事実というものであり、それとは別に、真実というものが存在するのだとすれば、今回自分が見つけたものは、事実ではなく、真実の方を刺しているのではないだろうか?」
と感じていたのではないかと、思ったのだった。
「事実と真実って、別物なんでしょうかね?」
と、思わず口から出てしまった。
それは、ちょうど刑事が考えていたことと同じだったようで、
「事実というのは、毅然として存在するものなんだと思いますよ。そして、真実も存在する。あくまでも、事実の上にね。だから、事実の上には必ず真実があるけど、真実の下に、必ず事実があるとは限らない。つまり、真実は事実を覆い隠すことはできるが、逆はそうではないということだと思いますよ」
と、刑事は言った。
「何となくですが、その気持ち分かる気がします。私も鑑識としてずっとやってきましたが、いつも追いかけていたのは事実だけなんですよね。刑事さんたちが、その上の真実を解明し、裁判で、明らかになっていく。それが、今の社会の成り立ちのような気がしてきました」
と鑑識はいうのだった。
ただ、一つ気になったのは、
「よく、服についていた指紋というのが分かりましたね?」
と聞かれた鑑識は、
「ああ、彼の服は作業着で、その作業着には、ペンキのような塗料の色がべったりとついていたんです。その中で、やけにハッキリと見える跡があったので、それを見ると、そこに指紋が見えたので、指紋をさらに気を付けてみてみたんですよ」
ということであった。