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能と狂言のカオス

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「ええ、その通りですね。しかも、一番利用頻度が高いのはあなたで、その率はかなりのものだとご自分でおっしゃいましたからね。でも、それを自分でいうというのは、犯人の可能性としては低いということにもなるし、難しいところではありますね」
 と、松島刑事は言った。
 この挑戦的な八島氏に対して、いかに話をこちらのペースに持っていくかということが、松島としては、難しいところであった。
 だが、犯人の中には、驕りがある人は、
「余計なことを言ってしまう」
 というくせがあるようで、松島も、
「もし、彼が犯人であるなら、口車に乗せられないようにしないといけない」
 と、思っていたのだった。
「一の谷さんというのは、どういう人なんですか?」
 と聞かれて、
「あの人は、私の大学時代の知り合いなんですが、我々の仲間が10人くらいいるんですが、その中でも、どちらかというと不器用なタイプの人ですね。正直者といえばいいのか、気が小さい部分もあって、そういう意味では、バカ正直ということになるんでしょうね」
 と八島は言った。
「というと、そういうエピソードでもあるんですか?」
 と聞かれて、
「そうですね。彼は優しいと言えば優しいんでしょうね。結構女の子から慕われていた感じだったんですが、女性と付き合ったことがなかったんです。だから、女性の気持ちが分からないというのか、男相手を考えてしまうのか、つい、きついことを言ってしまうそうなんです。だから、それを言われた女の子は、ショックを受ける人が多くて、それも、彼は自分が悪くないと思っているから、余計にたちが悪いんですよね。我々としても、友達なので、傷つけてはいけないと思いながらも、まわりは傷つけている。どう接していいのか分からなくなって、皆彼の前から去っていくんです。結局残ったのは、我々だけで、自分たちの間では、彼はそんなにきついことは言わないんですよ。どうやら、相手によって、態度を変えるところがあるようで、そのあたりを何とかしてやりたいと、思ってみんな付き合っているんですけどね。でも、中には違うやつもいるようで……」
「というと?」
「彼を利用しようと思っている人がいるようなんです。というのは、彼が女の子にきつい言葉を言ったとしましょうか? すると、そこで、ショックを受けた女の子を慰めるんですよ。そうすると、女の子は慰めてくれた相手にホロっとなるでしょう? これがそいつらの狙い目で、そういう連中というのは、その女の子を助けたいからなどとは思っていないんですよ。女なら誰でもいいと思っていて、女が手に入るというだけで、彼に近づく輩もいるんですよ。完全に火事場泥棒なんでしょうが、そんな状態を見ていると、次第に、利用されている一の谷が可哀そうになってくるんですよね。だけど、それも、彼がもう少しまわりを考えてくれなければ、こちらとしても、助けてやるわけにはいかない。仲間には入っているけど、仲間の中では浮いていて、異色なタイプだということになるんでしょうね」
 と、八島は言った。
 八島という男も、どこか、
「海千山千」
 なところがあるので、気を付けなければならないと、再度思わせるような言い方だったのだ。

                 能と狂言

 日本芸能の舞台に、
「能と狂言」
 というものがある。
 能というと、
「舞台が組まれていて、そこで、一つのストーリーが展開される中で、能面と呼ばれるものをかぶった役者が踊りでストーリーが展開される」
 面をかぶっていることから、喜怒哀楽などの表情は、ストリー展開からは分からない。
 能面というと、その言葉を聞いて今の人は、
「ポーカーフェイス」
 などと呼ばれるであろう。
 そんな無表情ではあるが、能面にも種類があり、まるで、
「鬼の形相」
 のようなものもあれば、女性のような、本当に感情がないかのような表情を表している面もあるのだった。
 能に近いものとして歌舞伎があるが、歌舞伎というものは、
「能が、室町時代に普及したものに対し、歌舞伎は、その能を元に作られた大衆演劇だ」
 と言われている。
 そして、能は面をつけるのが基本だが、歌舞伎では面をつけることなく、顔に隈取などの化粧を行い、演じるものだというところが大きく違っているだろう。
 そして、能はゆっくりとした動きで静を感じさせるが、歌舞伎はダイナミックな動きで、動を感じさせるものなのである。
 この事件に限らずであるが、何かの犯罪の裏に蠢いているものを考えた時、まるで能面のような気味悪さを感じることが、往々にしてあったりする。
 テレビドラマのサスペンスなどでは、殺人を犯す場面で、犯人が、誰かに見られても顔が分からないように、能面をかぶって殺人を行うことがあったりする。
 これは顔が分からないのは、当然であるが、表情も分からない。殺される方は相手が能面をつけてきていると、
「このまま、殺されるのではないか?」
 と、目の前の人との間に、怨恨関係が存在したとすれば、そこに生まれる恐怖は計り知れないものはある。
 殺害する方としても、それが狙いだったりすると、能面というものを着用することは、復讐を彩るには、大きな力が働くことになるであろう。
 さらに、これは松島刑事の個人的な考えであるが、
「能面をつけていると、犯人に勇気と冷静さがよみがえってくるのではないか?」
 と考えていた。
 いくら恨みがあるとはいえ、人を殺すというのは、本当の本当に最後の手段なのだろう。何をどうやっても、自分の保身や、誰かの復讐のために人殺しを行わなければならないということになったとしても、その勇気を持つまでには、
「自分が殺人から逃れられない」
 と思った時以上に、さらに次の段階である勇気を持つまでには、時間が掛かるということである。
 さらに、殺人の勇気を持つことができたとしても、それは、自分の気持ちを最高潮にまで高めることで達成できたものであることから、どうしても、精神的に高揚していて、冷静になれていないことが多いだろう。
 ただ相手を殺すだけであっても、冷静さを欠くということは、致命的だったりする。
 相手だって、殺されるとなれば、必死になるはずだ。こちらと同じように精神的に高ぶってしまっていれば、成功するものも成功しない可能性がある。特に目の前でナイフでの刺殺などであれば、格闘が想像できるからだ。
 しかし、冷静ささえ取り戻せば、動きながらでも、どうすれば、確実に相手を殺せるかだけを考えることができるから、殺害の可能性は高くなる。
 相手は、殺されるとなると、
「なんとしてでも助かりたい」
 ということだけを考えるであろう。
 そんな時に、邪念などが入っていれば、成功の確率は冷静にみれば低いに違いない。
 だが、実際には、冷静さを欠いていたとしても、目的は分かっている。そして、
「なぜ相手を殺そうと思ったのか?」
 という、保身にしても、復讐にしてもそのことが分かっていれば、成功する可能性は高いだろう。
 では、相手を殺そうとして、結局相手を殺すことができなかった確率はどれくらいあるのだろう?
 もちろん、いくつかのパターンがあるだろう。
作品名:能と狂言のカオス 作家名:森本晃次