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能と狂言のカオス

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 いろいろな自殺の名所というところがあるが、ここで登場する場所は、
「自殺の名所」
 としては、広く知られたものではない。
 自殺の名所として広く知られるには、ただ自殺者が多いだけではダメで、
「観光地である必要」
 があるのだ。
 名所というのは、
「自殺者が比較的多い、観光地」
 という意味で、どちらかというと、自殺というよりも、名所という方が、ニュアンス的には強いのかも知れない。
 だから、前述の東尋坊のように、
「自殺者が減ると、来訪客が減るので困る」
 などという表現になるのかも知れない。
 そもそも、最初から、
「自殺するなら、どうぞうちでしてください」
 などと勧誘しているわけではない。
 自殺志願者が、勝手にやってくるだけで、本来は、観光地なのだ。
 逆に、
「自殺の名所」
 などと言われることで、変な誹謗中傷もないとは限らない。
 幽霊が出るなどというウワサが立ったとしても、やってくるのは、幽霊研究サークルの人間だったり、ホラースポットを面白がる人間であって、普通の観光客は、却って寄り付かないことになる。
 普通の観光客の方が家族連れなどになるので、お金をたくさん落としてくれるだろう。
 それを思うと、本当であれば、自殺の名所などという謂れは実に困ったものではないのだろうか?
 しかも、自殺の名所と呼ばれるところが、近くに他の観光地や名所、レジャーランドなどがあれば、人も増えるというものだ。
 当然、レジャーランド化された場所になっていて、ツアーだって組まれるだろうし、観光協会としては、
「自殺の名所であろうがなかろうが、結果的に集客できればいいだけのこと」
 なのであろう。
 だが、日本には自殺の名所と言われるところ以外でも、自殺者が多いところは結構あるに違いない。
 自殺志願者の数からいけば、実際の自殺の名所で死ぬ人よりも、見えていないところで、それ以外の自殺場所を選ぶ人の方が結構多いのかも知れない。
 ただ、問題になるのは、自殺する人が、
「自分はここで自殺した」
 ということを残すため、遺書や靴を、その場に置いて、飛び込むなどということをするかということである。
 それならば、自殺の名所にいけば、確実に、飛び降りたということが分かるというものだ。
 人知れずに死ぬのであれば、自分が自殺したかどうか、知らせる必要もないだろう。
 ただ、本当に自殺したことを知られたくなくて、行方不明になったと思わせるだけなら、死体がすぐに上がってしまうようなところでは困るだろう。
 名所とは言えないような自殺の場所。ここはすぐ近くに、砂浜があり、海水浴場もある。そういう意味で、
「自殺するには向かない場所」
 と言われてきたが、それも、近年のことであり、戦前の頃には、結構自殺者が集まったと言われていた場所である。
 今でこそ、誰も知らないだろうが、昭和初期くらいまでは、このあたりも、
「自殺の名所」
 と言われていた。
 ただ、訪れる人のほとんどが自殺者で、名所というべき大自然の景観があるのだが、なぜか、一般の訪問者はほとんどいなかった。
 近くに他に見るところがないというのが最大の理由であろうが、ただ、ずっと言われていたことには、
「この海では、飛び込んでしまうと、潮の流れや、藻の生え具合から、死体は上がらないだろう」
 と言われていたのだ。
 この場所というのは、三重県の志摩半島にある。
 志摩半島というと、松阪、伊勢、さらには真珠の養殖で有名な賢島などがあるが、その先に浮かぶ島があって、その島は、年に何度か干潮時、半島と陸続くになるという。
 その島の、半島側とは反対側に位置している、いわゆる外海側に、断崖絶壁があるのだ。
 半島から見えるところにあれば、半島側から見ることができる観光スポットになったのだろうが、まったく反対側なので、観光スポットにはならなかった。
 確かに、島と言っても、半島のすぐそばなので、観光客のほとんどは、誰も意識することはないようだ。
 意識する人がいても、そこが、まさか陸続きになっていないとは思っていないだろう。最初から島だという意識があって、島に興味を持つ人が増えれば、この断崖絶壁を名所として、観光PRもできるかも知れないが、まったくそんな気配がないことから、このあたり全体が、観光産業から切り離されていたのだ。
 漁業が中心の村で、人が住めるところは入り江になっているところだけなので、海岸っ近くまで、山がせり出してきているので、人の住める範囲は極端に少ないのだった。
 それでも、入り江のあたりというのは、海が湾曲して入り込んでいるので、山も深くまで入り込んでいる。
 それだけに、限られた範囲に、集落があり、漁村だけではなく、少しだけでも、農地もあり、ほとんどが、自給自足に近い、
「文明から隔絶されたかのような村」
 が存在していたのだ。
 その入り江の左側の奥に、自殺者が多いと言われる島があり、島に面した入り江の奥には、祠が作られていて、海の神を祀っていた。
 ただ言い伝えとしては、祀られているのは、海の神だけではないという。
 昔から、自殺者が多いことで、自殺者の霊を慰めるための、祠だったのだろうか?
 そんなことを考えていると、そもそも、この村自体も、ずっと昔から、他の土地と隔絶されていた歴史があるという。そんな歴史と、自殺の名所である島とは、どのような関係があったのか、ウワサとしては、いろいろと残っているようだった。
 その島の名前は、
「白桃島」
 という名前だった。
 名前は果実を冠した、きれいな名前だが、島には、ほとんど果実が成るような木は存在しない。まるで、溶岩で作られたような道が存在するだけで、草もほとんど生えているわけではない。
「美観」
 などという言葉とは程遠い風景で、まるで、火山島から、分離したかのようなところだった。
 それを彷彿させるようなエピソードとして、
「島からは時々、湯気のようなものが湧いてくるようで、まるで、別府や雲仙のような温泉地を思わせるような風景が見られることがある」
 と言われてきた。
 昔の人は、時々見ていたようだが、今では、白桃島にわざわざ渡ろうという殊勝な人もおらず、たまに、大学の研究チームが、何かの研究のために、時々訪れる程度だという。
 そんな研究チームの連中でも、ほとんど湯気を見たことはないというので、本当に偶然が重ならなければ、見ることのできるものではないのだろう。
 やはりウワサの一部としては、
「このあたりには、昔海底火山があり、もう少しで新山として、海面に浮かんでくるはずだったものが、海底プレートの影響からか、出てくることができず、その横にあった火山になれなかった島が隆起して、
「白桃島になった」
 という話であった。
 以前は、島には今のように、木も草も生えなかったが、唯一、白桃だけが成っていたのを見たことがあったということで、この名前が付けられたというのが、一つの説としてあったのだ。
 この説が一番有力であったが、普通に考えると、ありえないといえるのではないか? 他にもいろいろウワサがあったというが、それをなかなか聞くことができないのは、時代時代で、
作品名:能と狂言のカオス 作家名:森本晃次