能と狂言のカオス
と感じたのは、まるで、犯人が何かのヒントを与えてくれているのではないか?
と感じたくらいである。
何かに翻弄されながら、相手はヒントを与えてくれているというのは、
「相手は翻弄しているつもりだが、それが却って、ヒントを与えることになった」
ということなのか、それとも、
「ヒントを与えることで、翻弄していることになるのか?」
どちらにしても、目に映る効果とはまったく逆の効果を生んでいるとすれば、それは、犯人のやり方いかんが、松島刑事の中にあるアンテナに反応して、ヒントをつかみかけているのかも知れないということであった。
それだけ、もろ刃の剣を持っているのだということになり、自分でも、それが、今までにおける、
「次点の男」
という宿命から逃れられない運命だと思っていた。
だが、次点であるということは、優勝はできないが、準優勝、つまり、メダルは確実にもらえるということであり、
「1度でもいいからトップになるのがいいか、それとも、長く、銀メダルでいられるのがいいか」
ということであった。
「けがをせずに、いつまでも、選手でいられる」
という細く長い競技人生を続けられることが、若いうちでは分からなかったが、長く続けられることを、評価してくれるようになる。
表彰はしてくれなくとも、通算成績、つまり積み上げてきた成績は通算で、いつの間にか1位になっているというのも、当たり前のことである。
人はそれを、
「いぶし銀」
と呼び、努力家に対しての、これ以上ないというほどの賞賛というべきであろう。
同じ読み方に、
「勝算」
というものがあるが、そんなもの、最初からなくとも、長く続けられる人間は、最初から、いや、生まれ持っていたものだったといってもいいだろう。
相撲取りなども、そうではないか。
番付によって、その場所が終わってからの成績によって、その立場がまったく変わってくる。
三役と言われる、関脇、小結の枠は、ある程度決まっていて、負け越せば、陥落、開いたところに、前頭からの勝ち越し力士の成績によって、這い上がってくる。ただ、これも枠が開く、開かないで決まってくる。
大関や横綱に昇進するには、3場所の合計勝ち星などによって、審議委員会によって、推挙するしないが決まり、それを力士に訊ね、
「謹んでお受けします」
ということになれば、昇進となる。
負け越した時が、これまた違ってくる。
大関が負け越すことになると、次の場所は、
「カド番」
と呼ばれ、ここで負け越せば、大関が陥落することになる。
ただ、横綱の場合は、どんなに負け越しても陥落することはない、残っている道は、
「引退」
しかないのだ。
そのままの成績で生き残ろうとするか、それとも、潔く引退するかということで、それだけ横綱というのは、まるで神のような存在でなければいけないのだ。
これが、相撲の番付に対する決まりであり、神聖な国技と言われるゆえんなのであった。
国技と言われるそんな特殊な競技である相撲と、今の自分を頭に描いていくことで、自分が、
「次点の男だ」
と言われても、悪い方には考えないようになってきた。
そのおかげか、捜査をする時も、いつも人と違った考えを出して、最初の頃は、
「松島さん、その考え方は、いくら何でも無理があるんじゃないですか?」
と言われていたが、事件捜査が進むうちに、松島の考えている通りに捜査が進んだり、事件の背景の裏に見え隠れしていたものを、ズバリ見抜くようなところがあったりしてくると、さすがにまわりも、一目置くようにはなってきた。
しかし、
「それはあくまでも、松島さんだからできることであって、自分たちには、そんな真似は決してできないですね」
とは言われてきた。
松島としても、
「そりゃあ、そうさ。俺のやり方を真似しようなんて、10年早いというもんだ」
と言って、笑っていたものだった。
そんな話をしていると、後輩の中には、
「こういう事件こそ、松島さんにはうってつけですね」
というやつがいたが、それは褒められているのだろうか?
痛烈な皮肉にしか聞こえないので、それなりにショックなのだが、今ではそれをショックだという顔はしなくなった。
ニンマリとした表情を浮かべるようになり、四面楚歌になっても、ひるまないような表情は、無敵な顔をさぞ、していることであろう。
「人と同じでは嫌だ」
と、ずっと昔から言い続けてきた。
だから、まわりの人も、
「だから、松島さんは、いつも次点なんだよ」
と言われ、
「皆分かっているじゃないか」
と思っていたのだが、それも、個性だと思うと、
「自分こそが、影の一番なんだ」
と思うようになっていた。
「人と同じでは嫌だ」
ということは、逆にいえば、
「人が考えそうなことが分かる」
ということである。
それを分かったうえで、敢えて人と違う結果や考え方から入ることで、目指す場所は同じでもプロセスが違うと見えていなかった部分が見えるということでもある。
ただし、それでも1番に絶対になれないということは、皆が考えていることが一番だということの裏返しでもあるが、それも1番になるには、完璧さが必要だと考えれば、普通なら2番になりそうな人よりも、人の見えない部分を見ている人間の方が上だといえるだろう。
ということは、次点でありがなら、
「自分の方向から見ている自分はあくまでも一番であって、本当は、比較対象にしてはいけないことなのかも知れない」
と思うようになってきた。
次点というものを、続けていける間は、自分で誇りを持ってもいいという考えは、誰もが認めるものであろうと感じるのだ。
世の中にいるたくさんの天邪鬼の人を見ていると、
「きっと彼らには、他の人には見えないものが見えている」
と感じると、意外と犯人というのは、
「俺と似たような考えを持っている人なのかも知れない」
と感じるようになったのだ。
そんな中で、今度は、もう一人が殺されることになった。
工場で作業員が殺されてから、1カ月ほどが経ってのことだった。
今度殺されたその人は、実は、最初の工場作業員殺人事件の重要参考人の一人だったのだ。
その人には動機はあったのだが、その人にはアリバイがあったのだ。
そしていろいろ調べているうちに、実はその男の指紋が奇妙な指紋であるということが分かった。
例のそれぞれの現場に残っていた指紋のように、指がこすれらような指紋だったのだ。
「やっぱり、メッキ工場だけのことはあるな。こういう指紋の人は結構いあるんだろうな」
ということであった。
これで、少し事件が複雑になってきた。
殺された男は確かに重要容疑者であったが、第1の事件の被害者は、捜査をすればするほど、どんどん彼を恨んでいる人がたくさん出てきた。
あの男は、結構な悪党で、人のウワサばかりを気にしていて、何かあれば、いつもそれをチェックしていて、脅迫のネタにしていたようだ。
だから、
「殺されるほどの恨みを受けるわけではないが、とにかく、被害者を恨んでいる人というのは、相当数いたと思っていいだろう」
ということであった。