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遺書の実効力

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「お父さんの好きにさせてあげなさい」
 と言ったその言葉が、すべてを物語っているように思えたのだ。
「お母さんが望むなら、俺は反対しない」
 というと、とにかく、今は我慢するしかないと思うよりほかに何もなかったのだ。
 そんな父親が急変し、もう話をすることもできない状態で、いよいよ、集中治療室に入れられた。
 他の家族とは、状況が違っているが、まわりから見て、
「どこの親も変わりない」
 という発想になっているのは当たり前のことのようだった。
 ただ、さすがに命に限りがあるとはいえ、暴言を吐くのは許されることではない。あまりにも母親がかわいそうだと思ったが、当の本人である母親が、
「いい」
 というのだ。
 それを無理強いすることもできないし、
「どうせ、老い先短い命なんだ」
 と思えばいいのだが、よく考えれば、それは、父親が死ぬのを待っているということであり、
「本当にそれでいいのか?」
 としか、言いようがないではないか。
 それでも、数日我慢していると、いよいよ父親も罵声を飛ばすどころか、何も喋ればくなってきた。
 食事も摂ることもできない、昏睡状態に入った。人工呼吸器で、とりあえず生きながらえているだけであった。
 そんな様子を見ていると、
「死ぬのがかわいそうだ」
 という感覚よりも、
「こんな状態になったのなら、いっそのこと、一思いに楽になった方がいいのではないか?」
 と思うようになった。
 実際にこんな様子を見た人間でないと思わないだろう。しかも、
「もって、三か月」
 といわれたそのちょうどタイムリミットなのだ。
 だから、父親が死んでいくことは、今さら覚悟の上なのだ。
 覚悟の上ということは、延命も考えていないということで、医者にはその話はしてある。そんな父親が人工呼吸器で、生かされているという状況を見ていて、母親はボソッとつぶやいた。
「お父さん、本当は自分の運命を知っていたのかも知れないわね」
 と言い出した。
 覚悟は決めていただけに、崇城もそれを聞いて別に驚くこともなく、
「そうかも知れないね」
 と答えた。
 お父さんが、覚悟を決めていたからこそ、罵声を浴びせたのかも知れないとも思った。自分も父親の立場になって、
「あと少ししか生きられない」
 ということが分かると、やり残したこともわかっていなかったら、気が触れたような状態になるかも知れない。
 まったく動かずに人工呼吸器で生かされている状態を見ていると、病気になる寸前に、家の前でみた父親の後ろ姿を思い出した。
 そう、あの影が見えなかった時の光景である。
 あれこそ、虫の知らせだったのかも知れない。そう思うくせに、父が入院してからそのことを感じるのは今が初めてだった。入院してからというもの、目まぐるしく変わった毎日だったことが、そのことを思い出す隙を与えなかったのかも知れない。
 父親が倒れたということを、学校で聞かされ、びっくりして病院に駆け込んだ。母親の顔は明らかに顔色は悪く、
「とんでもないことが起こったんだ」
 ということは想像がついた。
「お父さんが、お父さんが」
 という言葉を繰り返すだけで、何があったのか、要領を得なかったが、なるほど、かなりひどいということはすぐに想像ができたのは、無意識に、少し前に見た、影のない父親を思い出したからなのかも知れない。
 ただ、ショックが激しかったからか、思い出したことをすぐに忘れてしまったのだろう。だから、今までにも思い出しているかも知れないが、その都度、忘れてしまっているというのも、まんざら間違っていないのではないだろうか?
 だが、はっきり頭の中の映像として思い出したのは、父親の意識が、
「もう戻らないかも知れない」
 というところまで行って、やっと鮮明に思い出せたのだった。
 先生がいうには、
「できるだけの努力はいたしますが、覚悟だけはしておいてください。もし、他に最期を看取らせてあげたい方がおられましたら、呼んでおいてください」
 ということであった。
 完全に、最後通牒を突き付けられたのである。
 父親が、亡くなったのは、それから3日後のことであった。それ以上、集中治療室での対応が長引いていれば、見守る家族の方も、精神的にも肉体的にもきつかったというのはわかっていることだった。
 そういう意味では、
「助かった」
 といってもいいのだろうが、それからも大変だった。
 通夜、葬儀などと、目まぐるしい日々がやってきて、気づけば、日にちが過ぎていたという感覚だったが、結果としては、母親と息子が残された形になったのだ。
 今後のことは、父親の生命保険などで、何とかやりくりができるだろうということだった。
 母親も仕事に復帰できるということだったので、当座の困窮はない。大学の学費も、
「お父さんの生命保険を足しにさせてもらうわね」
 と、お母さんが墓前に報告したのだった。
 母親は、少しの間、家にいた。会社からは、
「落ち着いて、仕事を頑張れるようになったら、来てください」
 といわれていた。
 母親は、その通りにすることにした。どうせ、会社に行っても、まともに仕事なんかできるはずもない。
 それよりも、済ませることを済ませてからの方がいいということを、母親は分かっていたのだ。
 そこが母親のいいところだった。
 というのは、どちらかというと、あまり器用ではない母親は、物事を順序立てて行わないと何事もうまく行かないタイプだった。
 だが、実際にそういう、
「石橋を叩いて渡る」
 というような仕事のこなし方をしていると、まわりからは、信頼を受けるようで、母親は、その仕事ぶりを買われてか、課長職をしていた。
 父親も、そんな母親を誇りに思っていたようで、自分の仕事を家庭には持ち込まないのに、母親の相談には結構乗ってあげていたのだ。
 だが、そんな父親だったが、最期の最期で、その気持ちが本当だったのかどうか、考えさせられてしまった。
 母親への罵倒の中に、
「女のくせに課長職なんかになりやがって」
 というような言い方もしていた。
 さすがに聞いていて、イラっときた崇城であったが、母親は、それでも耐えていた。きっと自分の仕事に誇りを持っていたからだろうが、本当であれば、一触即発になったとしても、無理もないことだ。
 母親としては、
「そんなに文句があったのなら、元気な時に言えばいいのに?」
 というくらいの思いはあったことだろう。
 それでも、もう文句を言いたくても、当の本人はいなくなってしまったのだ。父親が罵声を浴びせていたのを思い出すと、
「ひょっとすると、あの時は、もうすでに、自分で自分が分からないくらいになっていたのかも知れない」
 と感じたのだ。
「そんな父親も、もういない」
 崇城は、そう思うと、寂しさも悲しさも、通り越してしまったような気がした。
 母親が、父親の遺品を整理している。普段は絶対に入ることのなかった父親の書斎だった。
 家族3人で、3LDKは、少し贅沢ではあったが、そのうちの一部屋を、父親は書斎として使っていた。
 これは、父親のたっての願いであり、その分、
「俺の小遣い減らしてもいい」
 というほどだった。
作品名:遺書の実効力 作家名:森本晃次