遺書の実効力
まさか、母親を病院に診せていないなどということはないと思うが、その診断について書かなかったのは、
「書くまでもないことだ」
というほどの些細なことだったからなのか。それとも、
「書き切れないほどの膨大な量で、しかも、それを理解させるには、文字では難しいほどの厄介な内容だった」
ということなのか、それとも、
「書いたとしても、とても信用されないと分かり切っているか」
のような、怪奇で奇妙な診断だったのかということではないだろうか?
そういえば、そんな母親に変な時期があったような気がしたが、母親からおかしなことをされたという意識よりも、なぜか、
「父親が俺を見る目が怖かった」
というものであった。
その時期と、父親が書き残した、
「母親が情緒不安定な時期」
というのが、同じ時期だったという奇妙な一致が、崇城にとって、どう判断すれば分からないことだった。
ここまでくると、
「本当に遺書を読むには覚悟がいる」
ということを改めて感じさせられた。
だからと言って、ここまでくれば、読むのをやめるわけにはいかない。絶対に最後まで読み切ってしまわないと、自分でも精神的におかしなことになってしまうことが分かったからだった。
そんなお父さんがお母さんをどのように見ていたのかということを考えるうちに、自分の頭の中は、次第に、覚悟が、
「誰かを憎んでいるからなのではないか?」
と感じた。
それは、父親が誰かを憎んでいるということであり、その憎しみが志半ばで病に倒れてしまったことで、その後を、息子に託そうというのか?
いくら覚悟を持って読むとはいえ、人の恨みの伝承までは、いくら父親とはいえ、できるはずがない。
そうは思っていても、胸騒ぎがするのはなぜなのだろう?
ゆっくりと、前を見ればいいということなのだろうか?
大団円
父の息子に対しての遺言書を読み終わった後、汗が滴り落ちてきた。
「こんな恐ろしいことを考えていたからこそ、死を覚悟した時、父親は何かにつかれたかのように、情緒が不安定だったんだな。これは、自分のほとんど記憶にない時の母親が感じた情緒不安定とは違っていたのだが、お父さんの死の間際の、あの情緒不安定になる火種が、この時に撒かれていたということだったのだろう」
と、感じたのだ。
「まさか、この俺が」
と呟いて、頭に浮かんできたのは、母親の顔だった。
何が原因で、このようなことになったのか、想像でしかないのだが、母親が情緒不安定だったということが、いかに、今の自分を苦しめているかということを考えた。
母親が情緒不安定だったというのは事実として遺書では見たが、その理由については書かれていない。それを感じた時、
「ああ、この遺書はやっぱりお父さんが書いたんだ。あくまでも、自分の都合のいいように解釈をして」
と思った。
お父さんが遺書をどうして、お母さんと二人分けて残そうとしたのか分からない。
もし一つでいいとするならば、息子だけでいいはずだった。
何も母親に残す必要はなかったのに、残したというのは、これも、復讐の一環だったのか。逆に、自分にも分からないことを、遺書を見て、母親が思い出してくれるのではないかと思ったのかも知れない。
しかし、その時は、
「もうすでにお父さんはいない」
ということになるのだった。
「お父さんは、その検証まで、この自分に託したということなのだろうか?」
と感じた。
「どうして、お父さんはこの俺に?」
というのが、何と言っても最大の疑問だった。
あくまでも、復讐の完遂を願ってのことなのか、もしそうであるとすれば、待っているのは、地獄の結末しかないということだろう。
しかし、崇城は自分の気持ちのいかんにあらず、父親の望んだ道を進んでいるしかなかった。
これは、父親の呪縛によるものなのか、それとも、子供として、
「絶対に確かめなければいけない」
ということだったのか?
きっと、そのどちらもであるに違いないと思うのだった。
「お父さんが、そこまで恨みを持っていたというのは、母親の情緒不安定な理由が自分にあると思ったからなのかも知れない。だから、今まで復讐を考えようと思ってもできなかったのではないか?」
と考えた。
「いや、待てよ?」
父親がこの遺書を残した時期がいつだったのか?
ということが気になった。
もし、父親が情緒不安定な時に残したのだとすれば、それは、本心ではない可能性もある。
「いや、逆に普段は抑えているのに、情緒不安定になるほど、自分の気持ちを表に出そうと思ったのではないか?」
とも、考えられるのだった。
そう考えると、お父さんの遺言から、未練を晴らしてあげたいとも思った。
しかも、それは、自分の復讐でもあるのだ。ただ、自分が復讐を果たさなければいけないという理屈にはならない。
あくまでも、父親個人の恨みであり、父親の恨みを自分が晴らしてもらうというのは、少し虫が良すぎることだろう。
だが、その時の彼は、乗除不安定になっていたかも知れない。
それは、死の間際の父親のものではなく、あくまでも、母親の情緒不安定のものだったに違いない。
それを感じた自分に対して、
「いまさらなんでそんなことを感じるんだ?」
と、自己嫌悪に陥ってしまうほどだったのだ。
そんな状態を崇城は、精神的に整理することができなかった。
その時の情緒不安定は、寸でのところで抑えることができたが、
「今度は抑える自信はない」
と思った。
「これがお母さんの精神状態?」
と思った時、何か身体がムズムズしてくるのを思い出した。
まるで、思春期の頃がよみがえってきたような感覚だった。
「そう、まるであの時に感じた性的快感を、まさか、今思い出して、新鮮な気分になるなんて」
と、新鮮な気分が、癒しを求める気分となり、誰かに委ねたいという気分になっていた。
その思いは、
「女性が男性に感じるものではないか?」
というものだった。
この思いが、
「父親がいう、お母さんが情緒不安定だったというあの時のことだったのではないだろうか?」
と感じたのだった。
「俺の中に、母親が入り込んでいるのか?」
と、しばらくの間、そう感じていた。
その時に、目の前に母親は確かにいる。いるのだが、まるで自分の目の前でだけは、まるで抜け殻にあったかのようで、下手をすれば、
「身体を通り抜けるかも知れない」
と感じるほどだったのだ。
その時、父親の遺書を最後まで読み終わった時の感情がよみがえってきた。
「そうだ、俺は復讐をしなければいけないんだ」
と思ったのだが、それが何に対しての復讐なのか?」
ということを考えた。
物理的というのは、曲げることのできない事実を突きつけられ、それが、自分の中で消化されることで、理解できるのが、その理由だったのだ。
父親に書いてある。
「物理的な動機」
というのは、