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遺書の実効力

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 次第に、説教にも飽きがくる。
 これこそ、オオカミ少年における、
「来る来る詐欺」
 のようなものではないだろうか?
 一度ありえないと思えるようなウソをついて、それが本当にウソだと思うと、今度は、その人自身を信用しなくなる。信用されないことで損をすることもあるが、逆に、信用されない性格に持っていくには、これほど完璧なことはない。
 どうやら、父親は、息子に、
「そういう男になれ」
 とでも言っているようだ。
 人から信用されないということほど、生きていくうえで不利なことはないはずなのに、なぜにそれを奨励しようというのか?
 それを考えると、
「リスクは高いが、そこまでやらなければ目的は達成できない」
 ということを書いている。
 その目的の重さと、運命の重さに翻弄されているのか、それとも、
「持って生まれた運命なのではないか?」
 と考えてしまったが、まさか、その考えが、本当の父親の目的を暗示しているということになるなど、想像もしていなかったのだった。
 リスクというものが、どれほどのものなのか? ということがまったく分からなかった。
 ただ、遺書を読み進むうちに、
「リスクを負ってでも、運命からは逃れられない」
 ということだと感じるようになるとは、言葉では言い尽くせないものが、文字には含まれていて、確認しようにも、すでにこの世にはいないということを思うと、一人で背負わされた重荷を、ずっと父が一人で囲っていたのだと思うと、
「聖人君子でいられたわけも、分からなくもない」
 と感じたほどだった。
 そのせいで、父親の聖人君子は、完全に、まわりを欺くものであり。本当の父親は、死の間際の父親だったのだということが分かると、
「俺って、本当に、親父の血を引いているのだろうか?」
 と、父親の本性を感じるたびに、怖くなるのだった。
「聖人君子なんて、本当の聖人でもない限り、架空の存在でしかないんだ」
 と感じせられたのだ。
 しかし、聖人君子だった父親のそばにいるのは、実に心地よいものだった。
 最初の頃、まだ息子が小さかった頃は、よく会社の人を週末には連れて帰ってきて、泊めていたものだった。
 会社の人を連れてくることで、
「お父さんは、会社では、部下から慕われる上司なんだ」
 と、子供心にも感じ、父親が連れてくる部下が持ってくるお土産は楽しみだった。
 よく、リビングで会話をしているところに、潜り込んだりしたが、父親は何も言わなかった。
 しかし、母親の方が、
「お父さんの会社の人相手なんだから、子供の出る幕はないわよ」
 と言って、しゃしゃり出る息子を戒めたものだった。
 しかし、母親は、面倒臭そうな言い方をしていなかったところは、まだよかった。
 面倒くさそうに言われてしまうと、まったく近寄る気にはならなかったが、そこまできつくないのは、母親も本心から、自分が口にしたことを真剣に考えているわけではなさそうだった。
 母親の言っていることは、本当にただの社交辞令に過ぎなかったのだ。
 子供心にもそれくらいのことは分かっているつもりでいた。
「お父さんは、家族をオープンにしたいんだ」
 と言っていた。
 だから、会社の人に息子が甘えるのは、父親としては、見て見ぬふりをしていたのだった。
 ただ、そのうちに、父親が今度は家に会社の人を一人として連れてこなくなった。
「どうしてなの?」
 と聞いても教えてくれなかった。
 その頃から、少し両親の間がギクシャクしてきたのが分かってきた気がした。
 会話が圧倒的に少なくなった。しかし、その時に息子としては。
「会話がないのは、無事な知らせ」
 と思っていた。
 もし、本当に危なくなると、抑えきれなくなり、人に聞いてもらうことが多くなるだろう。
 毎日のように定時に終わってすぐに帰る父親、母親の方としても、昼間はほとんど家から買い物以外は出ようとしないことから、
「誰かに相談している」
 というようなことは内容だった。
 会話がまったくなくなったのは、夫婦喧嘩になって、罵声が飛び合う家庭よりも、いいかも知れない。
「これ以上疲れるということはない」
 ということなのだろうが、それ以上に、この会話がないという鬱積が溜まった空気と比べるには、比較対象が違っているかのように思えた。
 そう思うと、
「却って、誰かが家に来てくれている時の方が喧嘩にならずによかったのに?」
 と思うと逆のことが頭に浮かんできた。
「ぎこちなくなるのが嫌で、父親は誰かをいつも連れてきていたのであり、母親も父親の作戦に、便乗しただけではないか?」
 とも感じたのだ。
 そんな家族のぎこちなさを、いまさらのように、父親は遺書に書いていた。
「あの時、うちに遊びに来てくれる人を探すのが、これまた大変だった」
 と書かれていたのだ。
 しかも、
「家に連れてくる人間は限られている。絶対に連れてきてはいけない人間がいて、もちろん、その人も我が家には来たくはないだろうし、母親も、顔も見たくもなかったはずだ」
 と、そんなことを思うと、
「一体、会社の同僚というのは、仕事だけではないんだ」
 ということを思い知らされた気がした。
 利用するだけ利用できる人がいたというのは、その時の父親にとってはよかったのかも知れない。
 それに対して、母親には、
「そんな人は絶対にいない」
 ということで、交流の浅さを身に染みて感じていたことだろう。
「若い頃はよかったな」
 と、母親も感じていたかも知れない。
 父親が家に誰もつれてこなくなったのは、母親の精神状態が元に戻ってからのことだった。
 そんな母の情緒不安定な頃のことを、
「お母さんが、あんな風になるなど、私は想像もしていなかった。いつも優しいお母さんが急に何かに取りつかれたのか、その状態は、妖怪か幽霊の類の存在を、認めないわけにはいかないかののような気持になっていた」
 というようなところから、
「情緒不安定になるのは、いろいろ調べてみて、自分なりに考えたところでは、男性ホルモンと女性ホルモンのバランスが悪くなった時に起こるのではないか? と感じたのだった」
 と書いている。
 それは、確かに言えるかも知れないが、その後に書いている父親の見解は、
「どうなんだろう?」
 と、考えさせられるところがあった。
 その一つとして、
「お母さんが浮気をしているのではないか?」
 という疑いを持ったのだという。
「お母さんは、それまで浮気というものを疑うようなところはまったくなく、そして、情緒が戻ってからも、そんな雰囲気はなかった。やはり、何かに取りつかれていたのかも知れないと感じたのは、お父さんが話しかけた時、完全に意識が飛んでいて、それまでの少しの間の記憶がまったくないかのようだったからだ。きっとその時の記憶は絶対に戻ることはなかっただろう。私もその時のことに二度と触れることはない。何といっても、怖いからである。何が怖いって? それは真実を知ることの恐ろしさを、きっと私は母親が情緒不安定だったあの時に知ったからだった」
 と書いていたのだ。
 母親の情緒不安定のことは書いているが、その理由も、病院の診断については何も触れていない。
作品名:遺書の実効力 作家名:森本晃次