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遺書の実効力

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「賢者モード」
 というものが、思春期のその時代に襲ってくることで、分かることである。
 男性が射精をした後に訪れる、自己嫌悪。別に悪いことではなく、抑えきれない欲望を、自分で発散させるというだけのことなのに、なぜ自己嫌悪に陥らなければならないのか?
 それだけ羞恥心が人間には必要だということなのか?
 そんなものがあるために、人間は得てして、よこしまな考えを持つことによって、欲望が抑えられなくなり、性犯罪に足を踏み入れてしまうのだ。そうなると、今までは一般的な被害は女性ということになるが、男女平等が叫ばれる今では、一概にそうは言えないのではないだろうか?
 思春期に、受験戦争を味わうというのは、精神的に不安定になり、肉体とのバランスが崩れてきて、性的にもバランスがとりづらくなってしまうのではないだろうか?
 特に2年生くらいの頃に、
「自分でも少しおかしいのではないか?」
 と感じたことがあった。
 その一つとして、女性を見ていて、
「自分の中で、女性の服を着てみたい」
 と思うような感情が働いたことがあった。
 母親の服を持ち出して、勝手に着てみたこともあったが、その肌触りと、スカートを穿いた時に、すーすーする感覚が、肌触りとの快感になったのを感じた。
 さすがにスカートを穿いたのはその一度キリで、女性ものの衣装を着ることもその時だけだったのだが、どうしてそんなことをしようと考えたのかというと、性に関する本を読んだ時、
「女性は、男性の数倍の快感を得ることができ、何度でも絶頂を迎えることができる」
 と書いてあったのだ。
 確かに男性は、一度絶頂を迎えると、その後はスーッと快感が冷めてきて、冷静になると、嫌悪の状態に陥るものだった。それを、
「賢者モード」
 というらしいのだが、そんな快感がたったの一度キリだと考えると、
「女性の方がいいんだ」
 と勝手に思い込んでしまう。
 もちろん、男性にだって、個人差があるのだから、身体の作りがまったく違う女性の場合は、違って当たり前だと思う。
 特に女性は子供を生むという機能を有している。しかも、妊娠してから、子供を生むまでが、とても大変だ。つわりが合ったり、身体を大切にする必要があったり、何よりも、見ているだけで目を覆いたくなるような、
「あんなに苦しい状態は、俺には耐えられない」
 と思う、そんな状態で、必死になって、子供を生む。
 もちろん、自分が経験したわけでも、実際に身近にいたわけではないので、まったくの想像でしかないのだが、子供が生まれてからも大変だ。
 想像の中で、いろいろ自分なりに調べたことでもあったのだが、生まれたての赤ん坊というのは、ミルクを2時間置きに飲ませることになるという。
 ということは、2時間おきに、のどが渇いたといって泣き出すわけで、それは夜中であっても関係ない。
「うるさいなぁ。俺は朝から仕事なんだぞ」
 と、旦那に言われ、
「すみません」
 と言って、子供にミルクを上げるための用意をしながら、旦那の眠りを妨げないようにしないといけない。
 今の世の中、
「イクメン」
 などと言って、子供を育てるのは、旦那も一緒だというような考え方もあるが、どこまでその考えがしみついているのか、実に疑問である。
 確かに会社に
「育休」
 を貰う旦那もいるだろうが、それも仕事に差支えのない程度にである。
 もっとも、そんな父親がどれくらいいるのかというのも疑問であり、離婚して、親権を父親が持っている場合というような、特殊な場合でもない限り、なかなか、男性の育休などというものが取れる風潮でもないだろう。
 奥さんの給料が旦那の給料の数倍などというほどのキャリアウーマンであれば、
「家庭の事情」
 ということもあるだろうが、だからと言って、実際に旦那が仕事を休んだり、下手すると辞めてしまうようなこともないだろう。
 一歩間違って、離婚などということになると、仕事を辞めることのリスクがどれだけのものかということを考えると、そうもいかないだろうと考える。
 しょせん、男性である以上、女性のことなど分かるわけはないし、女性も男性のことが分かるはずなどないのだ。
 だから、市民権を得ようかという、
「性同一性障害」
 と呼ばれるような人たちに対して、偏見の目が注がれるというのも、分からなくもない。実際に、崇城もそう思っていたのだし、高校2年生の時、ムラムラきて、母親の服を着てしまったことがあったような精神状態に陥ったことのある彼にでも、まだ、気持ち悪いという感情は十分に残っているのだった。
 そんな崇城青年であったが、思春期の時代は、あまりいい時代だったとは思えなかった。それは自分にだけ感じるわけではなく、同じような時期を過ごしてきた同級生にも感じられた。
 特に中学時代から、同性に対して、気持ち悪さがあったのだ。もちろん、それは、自分にも表れていることなので、自分に対しても同じなのだろうが、まず一番気持ち悪いと感じたのは、顔にできたニキビや吹き出物だった。
 顔中に、斑点ができていて、大人にはできていないものだ。だから、ある程度の年齢になれば、自然と消えていくのだろうが、そんな時代に、異性や、性的な欲求に必要以上に興奮を覚えることが、自分でも気色悪かった。
 性的な雑誌や、本を読んで興奮する。それは、女の子を意識しているにも関わらず、彼女ができるわけではない。目の前にいて、手に入れたいと思っているのに、手に入れることができないということに対しての憤りが、ニキビや吹き出物として表れているんだと思うと、これほど気持ちの悪いものはなかった。
 ニキビが欲求不満の象徴のように思えてくると、思春期自体が、黒歴史だと思えてくるのだ。だから、そんな自分をなるべくまわりに悟られたくないと思うのは当然のことだろう。
 本当は、女の子のことが気になって仕方がないのに、そういう思いを感じてしまうと、自分がどんないやらしい顔になっているかというのは、まわりが自分にする顔を見ていると分かるのだった。
 まだ、自分が、性的な雑誌や本を見たこともなかった時期、授業中に、悪友が、頼んでもいないのに、教えようとしてくる。
 中学になると、科目によって、先生が違うので、授業中に厳しい先生もいれば、何をやっていても、黙々と自分の授業をするだけの先生もいて、まるで自習さながらの授業の時もある。そんな時に、崇城の横に机をつけて、机の上には、昔でいうところの、
「ビニ本」
 と呼ばれるものを開いて、
「講義」
 をするのだった。
 もちろん、頼んだわけでもない。悪友が勝手にしていることであって、
「ほら、こんなことを、大人はしているんだぞ」
 と言いながら説明する。
「お前だって、一人でいじったりするだろう? 一人でするより、何倍も気持ちいいんだぞ」
 というではないか。
 もちろん、一人でしたことはあった。正直、気持ちいいとも思った。だが、悪友がいう、
「それよりも数倍気持ちがいい」
 という言葉は、崇城少年の心に深く突き刺さったのだ。
 というのも、女性にモテることなどないと思っている自分が、
「こんなことを、女性とできるはずなどない」
 と思い、そして次に感じたのは、
作品名:遺書の実効力 作家名:森本晃次