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遺書の実効力

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年3月時点のものです。

                 思春期の性的快感

 あれは、高校3年生で、ちょうど受験が終わり、大学入学を決めてから、1カ月ほどしてからのことだっただろうか? 梅の時期は通り越し、そろそろ桜の開花予想をテレビの天気予報で、始まった頃のことだった。人生の中でも、一番有頂天でいられる時期ではないかと思い、一日一日があっという間に過ぎてしまうのを、
「もったいない」
 と感じていた時期のことだった。
 高校生になった時に感じた思いとはまったく違う春を迎えたのは、まだ高校生になった頃は、思春期ということで、精神的に不安定だったからなのかも知れない。
 特に同級生の女の子のことが気になっているのに、中学時代は、
「恋愛などにうつつを抜かしている暇はない」
 と思っていた。
 しかも、中学から高校生になるというと、普通に考えて、
「どこかの高校には入れるだろう?」
 という先入観があり、しかも、成績も悪いわけではなかったので、誰もが彼のことを、
「高校生になれない」
 などという想像をすることができないということを分かっているだけに、そのプレッシャーはかなりのものだった。
 考えてみれば、
「俺が考えていることくらい、皆だって考えているんだから、プレッシャーという意味では、みんな一緒だ」
 といえるのではないだろうか?
 しかし、実際には、彼の頭の中で、
「俺はまわりとは違って、賢いんだ。だから、こんなプレッシャーになるようなことを感じてしまうんだ」
 という思いがあることで、
「どうせ、皆、俺のプレッシャーにはついてこれないんだ」
 という感情があったのだ。
 そのおかげというか、そのせいで、プレッシャーが強くなり、
「ライバルはまわりではなく、自分自身のプレッシャーになってしまった」
 ということが、中学3年生時代を、泥沼に陥れたに違いない。
 本来なら、彼女がほしいと思っても不思議のない時期だった。
 だが、余計なことを考えていると、まわりから足元をすくわれてしまい、彼女どころではなくなってしまう。
「欲しがりません。勝つまでは」
 と、どこかの国のどこかの時代の標語が頭を渦巻いていたのだ。
 とにかく、合格することが最優先であり、彼女を作るための、最短距離であるということを肝に銘じながら、勉強したものだった。
「高校生になれないなどということになってはいけない」
 というプレッシャーと、
「今、彼女を作っておかなければ、高校生になってからでは、もう誰も残っていない」
 というこれも無言のプレッシャーから、ジレンマが生まれ、本当に、
「暗黒の中学3年生」
 となってしまったのだった・
 そんな彼は、名前を崇城仁志という。中学時代というと、今から十数年前になるのであって、記憶の中から、だいぶ消えている部分のあることであったが、それは、成長期というのが、
「一日一日はあっという間だった気がするのに、一週間、一か月という単位になると、結構前だったような気がする」
 というそんな時期だったのだ。
 そんな中学3年生の頃とチア−がったプレッシャーが、今度は高校3年生に襲いかかってきた。
 何とか高校に入学できて安堵したのも、束の間、高校に入ると、高校生活の謳歌というと、1年生の時だけであった。2年生になると、さっそく大学受験の準備段階に入ることになる。それは自分だけでなく、まわりの大学を目指している皆が同じことだったので、高校時代を謳歌するなどという幻想は、すでに1年生の終わりことからなくなってきていた。
 彼女を作ろう仁も、1年の間だけでは、どれだけ難しいことであったのか、想像もつかなかった。
 夏休みに入るくらいまで、クラスの面々がどういう人たちがいるのかというのが、やっと分かってきて、2学期になると、友達の間での性格がやっと分かってくるようになり、自分がどういう子が好きなのかということも、その頃になるまで、よく分からないでいた。
 そして、自分の好きな子がやっとわかった時にはもう3学期である。
 3学期というと、あっという間に過ぎてしまう。
「行く、逃げる、去る」
 とはよく言ったもので、正月が明けるとあっという間に、3学期のテストの時期になり、それが終わると春休み、彼女になりそうな相手を見つけることができるかどうかもよく分からない状況で、彼女を作るなど、できるはずもないのだった。
 あっという間に過ぎてしまった高校1年生、2年生、3年生となると、もっとあっという間だった。
 何しろやっていることは、受験をターゲットにした毎日のルーティンだけである。
「1に勉強、2に勉強、3,4がなくて、5に勉強」
 まさにその通りである。
 そんな毎日を思い出していると、中学3年生の時のように、
「毎日があっという間だったにも関わらず、1週間や、1カ月単位ともなると、かなり時間が掛かったような気がする」
 という感覚ではなかった。
 それは、中学時代が、
「成長期と呼ばれる時期」
 であり、
「高校生からは、成長が安定期に入った」
 ということで、感覚が違ってきたのではないか?
 と思うのだが、その感覚は、
「半分当たっていて、半分は違っている」
 というような感覚だったというように感じたのだった。
 高校時代は確かに、成長、つまり、子供から大人になるという意味では、中学時代の、
「身体が大きくなる。大人の身体に変化していく」
 などと言った肉体的なものよりも、
「身体の変化が終わったことで、そこから精神的な変化に変わってくる」
 という、
「肉体だけが大人」
 という中途半端な状態になったことによる。
 中学時代の発育だけが先に進んだことによる、精神的な不安定さが追いついてきているくせに、その時々で輪切りにした状態を見つめてみると、まるで中が空洞になってしまっているかのようで、そこに受験というイベントが立ちはだかる状態に、追いついてきている部分と追いつかない部分とが交錯し、精神的に不安定になりたくないという一心で、
「頑張るしかないんだ」
 と、自分で自分を追い詰めるというネガティブにしか考えられない時期を迎えるのだ。
 それが、自己嫌悪に向かっているのかも知れない。だからこそ、
「ほしがってはいけない」
 という思いが強く、本来なら備わっているはずの性欲を抑えなければいけないという思いを抑えられないように感じた時に、自己嫌悪に陥ってしまう。
 それは、性行為や自慰行為を行った後に感じる、
作品名:遺書の実効力 作家名:森本晃次