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遺書の実効力

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 トリックの内容。登場人物、そして、時代背景。誰をターゲットにして書くか?
 などといろいろある中で、著者としての、立ち位置を、
「一人称で書くか、三人称で書くか?」
 ということも、重要である。
「叙述トリック」
 というものは、一人称で書かないと書けるものではない。
 ちなみにであるが、昔の探偵小説に出てくる、探偵には、ほとんどの場合、助手というものが存在する。
 ほとんどの場合は、事件の補佐役という立ち位置で見られているが、
 黎明期の探偵小説での立ち位置というのは、別の意味があった。
 助手というと、
「シャーロックホームズに、ワトソン」、
「由利凛太朗に、三ツ木俊助」
「神津恭介に、松下研三」
 などがそうであろう、
 ただ、
「明智小五郎には、少年探偵団としての小林芳夫などがいるが、小林少年の場合は、今回の括りには入らない」
 のである。
 助手の役目というのは、探偵が事件を解決していく際における。事件の、
「筆記要因」
 という要素があるのだ。
 だから、助手が、新聞記者であったり、雑誌記者だというのは、そういうところがあるからだ。事件を解決する探偵が、自分の目線で事件を見つめるというのは、小説を書いていくうえで、なかなか難しいところがある。だから、助手に筆記させるという形で、事件を流していくというやり方が取られたのだった。
「なるほど」
 と感じる部分もあり、
 だからこそ、叙述系のトリックには、
「あくまでも、実際の小説では実現しにくいが、探偵小説のジャンルとしては、十分にありうる」
 というものである。
 そういう意味でのトリックや、探偵小説のジャンル的なものは、大きく分けて、2つに分けられるだろう。
「最初から分かっているものと、分かってしまえば、そこで犯人の負けになってしまうという小説が存在する」
 ということである。
 崇城が大学時代にミステリー研究会に所属していたのには、訳がある。
 その理由としては、
「父親が死んだ時、父親が残した遺書のようなものを見たからである」
 といえるのではないだろうか?

                 遺書から四年後の……

 父親の遺書を見せられてから、四年という歳月が経ち、予定通りに、大学を卒業し、就職もできた。
 入った会社は、父親が死ぬまで勤めていた会社だったのだが、その会社への入社には、実はちょっとしたコネが働いていたのだ。
 そのコネの存在を知っている人は、会社には誰もいない。というのは、父が生前に仲良くしていた部下が、今は総務などを取り仕切る、管理部の専務になっていたからだ。
 元、会社の上司の息子が大人になって入ってくるのだから、専務くらいになれば、一人くらいはコネで入れることは、さほど難しくはないだろう。
 だが、専務からは、
「コネであることは、内緒でお願いする」
 と言われ、
 崇城自身も、そんなことを他言するつもりはないというと、専務も安心したのだ。
 基本的に、この会社はコネ入社はさせていない。もっとも、陰ではやっているのだろうが、それをして、バレてしまうと、きついのは、コネ入社の社員だということが分かるからだ。
「コネ入社をさせないのは、社員に対しての優しさ」
 からなのだ。
 つまり、崇城の入社も、普通に試験を受けて、面接も受けての合格だった。
 もっとも、本当はコネなどなくとも、普通に入社できているのだが、それを専務は、崇城に話すつもりはなかった。
「恩を売っておいて、何かあれば利用すればいい」
 というくらいに思っていたからだった。
 それがまさか命取りになるなど思ってもいなかったはずだ。
 新入社員で入ってくると、、
「なるほど、新入社員に対しての教育はなかなか厳しいものがあるな」
 と感じた。
 昭和の時代だったら、これくらいは当たり前のことなのだろうが、今の時代はコンプライアンスや、ハラスメントの問題があるので、新入社員であっても、その教育は、数段難しくになっている。
 しかし、伝統というのがあるのだろう。悪しき伝統もないわけではないが、しっかりとした伝統の元に、研修が行われるのは、新入社員としても、望むところではないだろうか?
 そのことを考えていると、
「父親の会社に入社するというのも、いいものなのかも知れないな」
 と研修中に、いまさらながらに感じた。
 自分が入社した時の新入社員は、高卒の女性も含めると、10人ちょっとくらいだっただろうか。
 大卒は8人いたのだが、これは会社の規模と時代背景から考えると、若干多いような気がした。
 それでも、研修が終わるまでに一人が脱落し、3カ月後に新しい赴任先に勤務が始まると、一年目の間に、すでに半分は辞めてしまっていた。
 それだけ、考えていた会社と違ったのか、それとも、耐えられる限度を超えたのか、それを思うと、会社の募集に対しての入社の多さは、
「最初から辞めていく人間を見越して、多めに取っていたんだ」
 ということを理解させるに十分な一年だった。
 幸いにも崇城は管理部門の仕事だったのが、よかったのかも知れないが、辞めていった連中は皆営業職で、ほとんどが、営業所勤務だった。
 現場の仕事は、
「はたから見ているようなわけにはいかない」
 というものであった。
 うまく行っていないのは、それだけ、上下関係が厳しいのか、それとも、外部での営業に耐えられないのか、そのあたりなのだろうと、崇城は考えた。
 どちらにしても、営業というものが、どの時代であっても、一番厳しく、下手をすれば、
「一番人間扱いされない部署」
 なのかも知れないと感じるのだった。
 ただ、崇城は、
「会社を辞めるわけにはいかない」
 と思っていた。
 そういう意味で、会社の中でもそれほどきつい部署に配属にならなくて、よかったと思っている。
 専務の意識がどこにあるのか分からないが、少なくとも、専務から贔屓されているのは間違いないようだ。
 まわりの人にそれほど意識されないように贔屓されているのは、よかったのではないだろうか?
 専務の話は、父親から聞いていた。
「いや、聞いていたというよりも、詳しいことは残してくれていた」
 と言った方がいいかも知れない。
 実は、父親が母親に、
「遺書めいたものを残していた」
 ということであったが、それ以上に、
「父親は、この俺にも遺書を残してくれている。しかも、それは、母親に残したものとは趣旨の違うもので、母親に残した方は、自分が読んでもいいが、自分に残した遺書は、決して母親には見せてはいけない。いや、誰にも知られてはいけない」
 というものであった。
 だから、この遺書の存在は母親も知らない。
 もっとも、内容を見ただけで、
「こんなもの、母親に見せられるわけはないじゃないか? それにしても、書いてある内容は本当のことなんだろうか?」
 と思ってしまうほどに、結構ショッキングなことが書かれていた。
 そして、この手紙は母親に残したものとは違い、本当に遺書というおもむきが違う。
「母親に残した遺書との違いで一番大きいものは何か?」
 と聞かれると、
「こっちの方が、完全に遺書というべきだろう」
 ということだったのだ。
作品名:遺書の実効力 作家名:森本晃次