遺書の実効力
探偵小説の醍醐味は、やはり、その時代を知らないと分からないのだろうが、これだけ時代が違っていると、想像が妄想に変わり、違ったイメージで読まれているようで、それはそれで、小説の醍醐味は現れるというものだ。
「ブームというのは、周期的に訪れる」
と言われるが、その通りであった。
ブームもある程度のピークを越えると、飽和状態になってしまって、何が楽しいのか、分からなくなることがあるようだ。
だから、一時下火になったとしても、ファンが一人もいなくなるわけではない。底辺でファンが蠢いていたとしても、一度は爆発的なブームになったものであれば、時代が巡ってくるということで、再燃するブームを受け入れることができる。
特にカルトなものであったり、カオスなものである場合などに、よく言われることである。
時代が流れて、戻ってくるブームの周期は、ほぼ毎回同じだというのは、ブームの流れが、時代背景には関係がないということを示しているのではないだろうか?
ただ、時代がどんな時代であっても、色褪せることもないものもある。
変質的なものは、特にそういう恒久的なものであるような気がするのは、気のせいであろうか?
しかし、SMであったり、近親相姦などのような、タブーとされていることというのは、時代がいつであっても、衰えることはない。
それは、太古の昔からずっと続いてきているものであり、その分、人間というものが、変質的なことに、あくなき探求心を持っているということの裏返しではないかと思える。
「決して見てはいけない」
あるいは、
「決して開けてはいけない」
と言われる、いわゆる、
「見るなのタブー」
と言われるものは、言い方は悪いが、
「不滅の考えだ」
といえるのではないだろうか?
ある意味、世の中にはなくてはならないものであり、
「必要悪」
のようなものなのかも知れない。
「タブー」
という言葉には、そういう意味合いも含まれているのではないだろうか?
大学時代、崇城は、ミステリー研究会に所属していた。
ミステリーを読んだりするだけではなく、ミステリーの歴史を研究したり、新たなミステリーを発掘したり、あるいは、自分でミステリーを書いて、同人誌を作ったりと、ミステリーに関してのことであれば、多岐にわたって、何でもありの部活であった。
中には、ミステリーツアーと称して、ミステリー小説に登場する場所を巡る、
「取材旅行」
という名目の、温泉巡りなどを目的に入ってくる人もいた。
取材旅行には、小説の場面を巡るという目的とは別に、
「文豪たちの愛した温泉や秘境の宿」
などを巡る旅も含まれていて、さながら、旅行研究会と揶揄されたりもしたが、
「別にいいさ。ウソではないからな」
ということで、入部してくる連中の動機は何であれ、
「来る者は拒まず」
という姿勢が、結構人気を誇っているのか、中には旅行以外の時は幽霊部員という人もかなりいるが、実際に名簿を作ってみると、100名近くも部員が存在した。
そのうちの真面目に定期的に活動しているのは、30名くらいではないだろうか。その中から、活動ごとに別れると考え、中には重複して参加している人もいるのを考えると、1活動には、7、8人くらいというところであろうか。
それでも、意外と、
「自分で小説を書いてみたい」
という人が10名くらいいて、結構人気のようだった。
そもそも、サークル活動をしたいと思う人なら、小説を書くくらいの気概を持っている人が多いであろう。読書だったら、一人でもできるからである。
そういう意味で、定期的にでも読書の方に参加している人は、他と重複している人が多く、執筆の人も数名いるし、旅行目的で入部してきた人も結構いる。旅行目的で入ってきた人が、読書に目覚めるのは、嬉しいことで、部の執行部としては、本当は、
「そういう部員こそ、逃がさないようにしっかり、捕まえていたいものだ」
と考えていた。
彼らなら、ちゃんと部費も払ってくれるからだ。
旅行目的の連中の中の幽霊部員は、部費を払わない。だから、旅行は、自費に近いのだが、それでも、団体で温泉旅行ができるのが嬉しいということで入ってきた連中には、貴重な存在なのだろう。
部の執行部は、そんな連中も暖かく受け入れてくれる。それだけ大学のサークルというのは、オープンなものであった。
崇城は、その中で、最初は読書目的で入ったのだが、今では自分でも小説を書くようになった。最初、ミステリーサークルというから、
「ミステリーを研究するだけのサークルなんだ」
と思っていたのだが、実際に活動していくうちに、小説を書いて、定期的に同人誌を発行しているのを知ると、
「これはいい」
ということで、自分もさっそく書いてみて、執筆グループの人に見せてみた。
「ほう、なかなかセンスがあるじゃないか? 今度の号から、参加してみないか?」
と誘われた。
その時の、
「センスがある」
という言われ方が、崇城にはツボだったのだ。
「そう言ってくれると嬉しいです。じゃあ、もっとたくさん書いてみようかな?」
と言って、その頃から、
「小説を書く」
ということに頭がシフトしたことで、いつもメモを持ち歩いたり、頭の中で絶えずトリックを考えてみたりと、完全に、執筆家の頭の回転をするようになっていたのだ。
小説を書く前に、ミステリーの中でも、探偵小説と言われた、黎明期のものを結構読んだのが、高校時代だった。そして、ミステリーサークルに入ってからは、
「ミステリーの歴史」
についても、障りの部分だけではあったが、勉強した。
特に日本のミステリーの歴史であったり、トリックの種類などというもの、作家の中には、自分の作品で提唱している人もいるので、それらを読んだりもしたのだ。昔の探偵小説作家というのは、結構評論家であっても、いけるというくらいに勉強していて、
「勉強することが、執筆に繋がるんだ」
ということを証明しているかのようだった。
勉強していると、いろいろなミステリーだけではなく、他のジャンルの小説との繋がりであったり、今の時代の小説に関してまで、いろいろ分かってくる。
実際に、今の小説をそんなに読んだという意識はないが、どうしても、トリックに限りがあるというよりも、実際に昔使えたトリックが、今は通用しなくなっていることが結構多い、それは、科学技術の発展であったり、社会の構造や、犯罪自体の多様化などもあり、防犯という意識も芽生えているのも事実だろう。
防犯というので、よくあるのが、事故なども多いのだろうが、犯罪の多様性ということであれば、
「ストーカー事件」
であったり、特に最近などであれば、
「あおり運転」
などという、昔もあったのかも知れないが、今ほど、社会問題になることはなかったことなどがある。
そういう意味で、防犯カメラが至るところに据え付けられたり、車の中でのドライブレコーダーなど、後で問題になった時に証拠として残しておく道具も、今は、備え付けられている。
そうなると、犯人のアリバイ工作も実にやりにくいものだ。