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遺書の実効力

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 と思って、少し考えながら話をまた一度区切ってみた。
「一体、どういう小説なんだろう?」
 と言って考えると、それを見た母親は、しめしめとでも思ったのか、ニコっと笑って、
「それはね、社会派小説というものなのよ」
 というではないか。
「社会派小説?」
「ええ、それまでは、探偵が出てきて、事件の謎を解く。その謎が怪奇であればあるほど、変格的であったり、逆にトリックが画期的であることで、本格的だと言われるようになっていたんだけど、その頃からは、トリックや、謎解きというようなものではなく、会社で起こった殺人以外の事件であったり、会社内の犯罪であったりして、警察と、犯人の間の頭脳戦のようなものが出てくるんだ。それが社会派ミステリーと呼ばれるものになるのよね。その頃になると、ミステリーも、いろいろなジャンルと複合するようになって、怪奇的なものはホラー、摩訶不思議なものはオカルト、マンガでいえば劇画や、映画のカーチェイスのような、サスペンス小説、さらには、刑事集団が、犯罪に立ち向かう感じの、ハードボイルドなどといういろいろなジャンルに別れてくるの、その中には、社会派と呼ばれるものもあるわよね。特に、戦後復興の時代から抜けて、日本が豊かになってくると、汚職だったり、会社間の競争によって、社員が犠牲になったりするような、そんな感じの話が、社会派ミステリーという感じだと言えばいいと思うのよ」
「なるほど、ジャンルとは別の切り口になるのかも知れないな。いや、これこそがジャンルなのかも知れない」
 と、崇城は言った。
 ミステリーというのは、元々が探偵小説から始まった。
 海外での、シャーロックホームズもの、ルパンもの、さらに、アガサクリスティーの小説のようなもの。それぞれに、系譜のようなものがあって、それぞれにそれぞれのファンがついていると言った感じだろうか。
「推理小説というもの一つをとっても、これだけいろいろあるのだから、他のジャンルも、結構いろいろあるんだろうな?」
 と考える崇城だった。
 父親は詳しそうであるが、母親もさすが、夫婦、よく知っているということになるのであろう。
 父親のこの遺書なるものが、崇城とその母親の運命を決めることになるのだが、それは次章以降の物語になっていくのだった……。

                 ミステリー研究会

 父が死んでからというもの、しばらくは、案の定母親との会話もなく、ぎこちない生活が続いていたが、それも、父親のいわゆる、
「遺書」
 なる手紙が出てきたことで、若干、ぎこちなさが和らいだ気がした。
「まさかとは思うが、お父さんは、俺たち母子が、ぎこちなくなるのを見越して、こんな手紙を残したのではあるまいか?」
 とも思えるほどだった。
 だが、母と子というのは、二人きりになると、どこかぎこちないものだった。
 もっとも、父親と娘ほど、ぎこちないものはないだろう。父親が娘に気を遣うというよりも、父親が娘を、
「女として見てはいけないんだ」
 という感情になるからではないかと思えたのだった。
 高校生の頃まで思春期であったので、その頃であれば、
「父と娘だけの家庭」
 というのを想像すると、よこしまな思いが、妄想されるのではないかと思えた。
 特に、高校生の頃に買った、
「エッチな本」
 の中には、そういうものもあったりした。
「実の父親が、性的目的で、娘を覗いたり、娘の下着でエッチな妄想を」
 などという話が普通に書かれていた。
 中には、
「無理やり父親が、娘を……」
 などという話に興奮したこともあった。
 これほど、鬼畜のようなことはないと思うのだが、そんな話を読んで一人で妄想し、果てた痕でも、なぜか、自己嫌悪に陥ったり、賢者モードに入ったりすることはなかったのだ。
「どういうことなんだろう? 俺って、そんなに変態的なことで、興奮度が増してきてしまって、自己嫌悪を通り越してしまうんじゃないのだろうか?」
 と思うのだった。
 そう思うと、
「俺って、大人になってから、娘を作ってはいけない父親なんだろうか?」
 と考えてしまう。
「そういうことを考えていると、余計に娘ができたりするんだよな?」
 と思うと、子供ができるのが怖かったりもするのだが、妄想していたのは、あくまでも、思春期の時代だけだった。高校時代に受験勉強に明け暮れるようになると、性的欲求不満は抜けないのだが、思春期の頃のような、変質者的な発想は出てくることはなかった。
「思春期の頃に妄想していたことが、却って今は妄想しなくなった分、よかったんだろうか?」
 と感じるようになった。
「思春期における妄想は、ひょっとすると、すぐに飽きるものなのかも知れない」
 と感じた。
「きれいな女性の顔はすぐに飽きる」
 という意味で、
「美人は3日で飽きる」
 と言われることがあるが、興奮も、数回感じれば、もう感覚がマヒしてくることになるのではないか?
 と思えたのだ。
 それが、思春期という時期によるものなのか、妄想した回数によるものなのか、その時に考えて図っていたわけではないので、よく分からないが、確かに、
「飽きが来た」
 という感覚は間違いなかったようで、だが、それがいつのことだったのかということを、ハッキリと自覚できたわけではなかった。
 妄想というものを、いかにコントロールできるかというのが、課題なのだろうが、思春期が終わるまでに、いかに、コントロールできるかなのだが、もしできないのであれば、それまでに、
「飽きる」
 という感覚に至る必要があるのではないかと思うのだった。
 父親の本棚を見ると、結構変態的な内容の小説が多かった。探偵小説の中でも変格小説が多いのも、特筆すべきであるが、特に、
「耽美主義的な話」
 というものが多いような気がした。
 犯罪を芸術として考えるというもので、
「道徳やモラルを考えず、ただ、美というものをあくまでも追及するという考え方のことを、耽美主義という」
 ということらしいのだが、探偵小説などでは、死体を芸術として捉えるような、一種の、
「見立て殺人」
 というものも、ジャンルとしてはあるようだ。
 日本の探偵小説にもあるではないか、
「俳句になぞらえて犯罪を犯す」
 あるいは、
「手毬歌の歌詞に則って」
 というような話もあったりする。
 ただ、それは耽美主義というよりも、動機の面で、人間性の裏側を抉るような内容だったり、他の人を犯人に仕立て上げようとする、いわゆるちゃちいと言われるような内容だが、それを伏線として繰り広げられるストーリーなどで、トリックのバリエーションをつけるような話も多かったりした。
 ある探偵小説作家が、まだ、日本では黎明時だった探偵小説であっても、
「もうすでに、大方のトリックは出尽くしていて、あとはバリエーションを利かせた話にすることで、トリックを延命させられる」
 というようなことを言っていたのを思い出した。
 ニュアンスは若干違っているように思うが、大まかにいえば、そういうことだと考えるのであった。
作品名:遺書の実効力 作家名:森本晃次