遺書の実効力
「この手紙、お父さん、いつ頃書いたんだろうか?」
という疑問をぶつけると、
「さあ、ハッキリとは分からないけど、ここ1年くらいの間じゃないかしら? それも、ちょうど一年前に近いくらいね」
と母親は言った。
「どうして?」
と聞くと、
「だって、お父さん。-、この手紙の中に、自分が死ぬということを考えていないように思えるからなの。もし、死を覚悟して書いたのであれば、もっと切羽詰まったような書き方をすると思うけど、この手紙は、今まで生きてきて、一つの節目を書いているように思うからなのよね」
と母親は言った。
「そうだね、確かに、お父さんの死への覚悟というものは感じられないような気がするね。どちらかというと、今まで生きてきたことを、振り返って書いているような気がする。死を覚悟していないのだとすれば、何とか隠そうという思いも分からなくもない」
というと、
「だからね。きっとお父さんは、お母さんが思うに、こんな手紙を毎年書こうと思ったんじゃないかと感じたのよ。理由はどこからかは分からないんだけど、節目という意味でね。日記を凝縮したみたいなという感じかな?」
と母親が言う。
「日記というのは、少し大げさじゃないかな? だけど、前に書いてから後の期間を凝縮して思い出して書くのだとすると、きっと、前にこの手紙を書いた時のことを思い出して書いていると思うんだ。だから、余計に節目節目が更新されていくような感じで、だからこそ、本人が死んだということもあるけど、遺書っぽい感じで見るんじゃないかな?」
というと、
「そうね、だから、お父さんは、自分がいなくなったら、最初にお母さんが見つけることを予測して、見られてもいいように書いていたんでしょうね。見られないと寂しいと思うけど、見られないなら見られないで、ホッとした気持ちになれる。そんなどちらにもとれる感覚だったのかも知れないわね」
と、母親は言った。
「お父さんがどういう気持ちでこの手紙を書いたのか、そもそも、これは手紙だと思っていいんだろうか?」
と、崇城がいうと、
「私はそうだと思っているわ。最後にお父さんは、完全に我に返ったかのようになってしまったけど、それすら予想していて、あんな風になったら、この手紙を見つけてくれると嬉しいのにと思っていたのかも知れない。結局見つけることはできなかったけど、それだけに、お母さんは少し悔しい気もするくらいなのよ」
と、母親は言った。
「お父さんって、どういう人だったんだろう?」
と、漠然とした質問を母親にぶつけた。
「あんたは、どういう人だと思ってるの?」
と聞かれて
「そうだなぁ、死の少し前までは、聖人君主のような人で、まるで神に近いようなお父さんだって思っていたんだ。でも、それは息子から見た姿で、実際に、会社の人や、お母さんがどんな目で見ていたのか、分からないじゃない。それを後からでも、どんな風に見ていたのかということを、想像させられるようなそんな人なんじゃなかったのかな? って感じるんだ」
と答えた。
「確かにそうね。お母さんも、あなたが、お父さんのことをどう思っているのか、気になったことがある。他の人には決して感じたことのないことで、これは不思議なことに、まだ付き合い始めからそうだったの。結婚してからのそれとは、ニュアンスが違ったけど、確かに、結婚前にも、あの人が他人から見られている目と、自分が見ている目が違っているような気がして。まわりがどう感じているかを気にしていたのを覚えているわ」
というのだった。
「お父さんって、不思議な人だったんだね? 僕もお父さんが会社の人とかから、まるで、神様を見ているような目で見られているのを、子供の頃は、誇らしげに思っていたんだけど、中学くらいになると、まるで逆だった。お父さんが羨ましいというか、嫉妬のようなものがあった。子供心にライバル心のようなものを持っていたのではないか? って感じたんだよな」
というと、母親も、
「そうなのよ。お母さんも、お父さんを慕っていながら、どこか、ライバル心を掻き立てられることがあったのよ。子供の目から見て、バチバチしているものを感じなかった?」
と聞かれて、
「それはなかったかな? どっちらかというと、二人が意気投合しているようにしか見えなかったかな?」
というのを聞いた母親は、
「ということは、まわりから見られていることも、実際には違っていたり、その違っていることを、感じている人にも分からなかったりする。そんな感じなのかしらね?」
というのであった。
父親の手紙が出てきたことで、それを読みながら、二人で父親のことを思い出していた。
ひょっとすると、父親はこんな光景を想像して、このようなほのぼのとした家族を自分がいないことで、見ることができればいいと感じ、そう思わせるような手紙を書き残したのかも知れない。
「ただでは起きない人だ」
と、会社では言われていたという話だったが、家族の間でも同じことが言えるのではないだろうか?
そんな父親に惚れて、母親は結婚し、崇城が生まれたのだと考えると、その思いは、
「間違っていないもの」
として想像でき、
「自分たち家族にとっての、間違いって、一体何なのだろう?」
と、考えさせられるのだった。
「そういえば、お父さん、本を読むのが好きだったでしょう?」
と、母親が思い出したように言った。
「うん、どんな小説が好きだったのかまでは知らなかったんだけどね」
というと、
「お父さんは、昔の探偵小説が好きだったのよ」
と、母親がいうのを聞いて、
「探偵小説? 推理小説ではなくて?」
と聞くと、
「ええ、推理小説というのは、いろいろな言い方があるでしょう? ミステリー小説と言ったり、推理小説と言ったりね。でも、昔、そうね、昭和の戦後くらいの頃までは、探偵小説という言い方が主流だったの。有名な私立探偵が出てきて、事件を解決するという感じのものね。そして、それが、謎解きやトリックを中心として、探偵が鮮やかに事件を解決するものを、本格派探偵小説と呼んだのね。でも、それ以外でも、当時は、動乱の時代であったり、戦後などは、何が起こっても不思議のない時代ということもあって、猟奇殺人であったり、変態的な趣味を持った犯人像である小説というのは、変格は探偵小説という呼び方をした人がいたのね。SMであったり、殺人を見せびらかせて、殺人をまるで芸術作品であるかのようにいう話。そんな時代があったのよ。しいていえば、そのどちらかというところかしら?」
と母親が言って、少し休憩した。
一気に話していることで、自分の考えが思っているところと違ったところに行ってしまうのではないかという危惧があったのだ。
それを思うと一拍呼吸を置いて、息を整えて、もう一度話し始めたのだ。
「でもね、そんな本格派小説であったり、変格派であったりするものは、次第にブームが去っていったというのか、別のブームが起こってきたというのあ、それは時代の流れというか、世間の風俗に大きく関係していると思うの」
という。
「うん」
と言って、少し考えている息子を見て、
「なかなか理解できていないみたいかしら?」